照柿の案内で、黒崎は再び先刻の少女――サキの部屋に戻ってきた。
 サキは、先刻とほとんど変わらない場所で、パズルゲームに興じていた。テレビ画面には、色のついたヒヨコのようなキャラが表示されている。
「サキ様。客人が、サキ様とお話ししたいと」
「なんじゃ、日本人。まだわしに用事か」
「ええ、まあ」
 黒崎はサキの後ろに立つ。
 ゲーム画面を見ればわかる。これはぴよぴよだ。
 ぴよぴよは、シリーズを何本も重ねているパズルゲームだ。画面上から降ってくる色のついたヒヨコを四つ繋げると、鳥に成長して飛び立ち、画面から消える。
 これを繰り返していくだけのゲームだが、続けていくと、どんどんスピードが速くなっていく。手が追いつかなくなったり、集中力が途切れると、色が繋げられなくなって、ヒヨコがどんどん重なり――ついにはゲームオーバーに至る。
 要するに、よくある落ちゲーと呼ばれるやつだ。
 このゲームは、集中力さえ続けば、だいたいいつまでも続けることができる。制限時間の存在しないモードだと、上手い人ならば一時間くらい続くこともあるという。
 サキは、おそらく今までのシリーズを遊んでいるのだろう。最新作といえど手の動きによどみはなく、手堅く消していく。連鎖消しにはこだわっていないようだ。
「サキ、さん」
「なんじゃ」
「いつもこうして、ゲームをしているのですか」
「そうじゃ、それが?」
「働いたりなどは」
「仕事はもう飽いた。わしはこのまま自堕落に生きると決めたのじゃ」
画面に表示されているのは、あの話題になっていた最高難易度の極鬼モード。それを、難なくクリアしていく。
上手い。
 そのプレイ画面を眺めていた黒崎は、
「では、僕と、対戦しませんか」
「何?」
 思わずサキの手が止まった。画面には『WIN』の文字。
「どういうつもりじゃ」
「いえ、ただ、なんとなく」
「……よかろう。座れ」
 黒崎が隣に座ると、サキはゲーム画面を操作し、対戦モードに切り替えた。
「言っておくが、わしは地獄の主。獄卒たちの王じゃ。人間相手とて手加減などせぬし、悪鬼羅刹を相手にするというその意味、おんしは理解しておるんじゃろうな」
「理解、とは」
「負ければただでは済まさぬぞ? わしは悪辣じゃからな」
 くくく、と笑うサキ。その笑顔が――見た目には子供と言っても差し支えないほどの少女が――ぞくり、と背筋が震えるほど恐ろしい。
「やめるなら今のうちじゃが? 非礼を詫びるなら許してやらんでもない」
「……いえ、このまま」
「ほう? 度胸だけは買ってやろう」
 黒崎は、ぐっ、とコントローラーを握る。
 このゲームはキャラクターを選べるが、これで対戦に有利不利が生まれるわけではない。ただ、消した時に出るボイスが変わるだけのものだ。
 黒崎は適当にキャラクターを選択する。サキも同じように選択し、ゲームが始まった。
 降ってくる赤いヒヨコの三連。それを右に寄せながら、
「サキさんは、地獄で働いてらっしゃるとか」
「敬語なんぞ使わんでよい。照柿ではあるまいに。……そうじゃよ、それがどうした」
「地獄とは、どういうところ?」
「面白味のないところじゃ。怨嗟の声がいつまでも響き、荒涼とした風景は見ていて飽きる。人間の作り出したゲームの方が、よほど面白い」
「ありがとう」
「なんでおんしが礼を言うのじゃ」
「僕も、人間だから」
「……変わった男じゃの」
「そうだろうか」
 どちらかといえば、自分は普通寄りだとは思うが。強いていうのなら、普通よりはダメな人間といったところだが。
 いや、かなりダメな人間、だろうか。そういう意味では、変わっているかもしれない。
「地獄では、どんな仕事を?」
「判事じゃ。とはいっても、地獄に堕ちてくる時点で、罪人は確定じゃ。じゃから、罪の重さを測るというよりは、どういう処罰を与えればいいのか、それを考える仕事とも言える」
「罪人、とは」
「……ふむ。人間は地獄のシステムを知らんか。地獄というのはの、死に損ねた人間の行き着く先じゃ」
「死に損ねたとは?」
「人間に限らんが、死ねば普通は死んだことを受け入れよう。死者となり、その事実を受け入れた者は、やがて自然と同化する。それが死ぬということでもある。ところがたまに、自分が死んだという事実を受け入れられぬ者もおる」
「死んだことを、認められない?」
「その通り。そういう自我の強い魂は、世界と同化することなどできん。同化できぬままにいると、強い自我の重みで、やがて堕ちていく。その先こそが地獄じゃ」
 話しながらも、黒崎とサキの手は止まらない。すでにスピードは高レベルとなっており、とんでもない勢いでヒヨコが落下してくる。まだイーブン。
「ゆえに、地獄に来た魂は、みなすべからく強い自我を持っている。じゃが、世界はそんなものを必要としない。自我があっては転生の妨げにもなる。ゆえに、地獄では、ひたすら苛め抜くのじゃ。もはや生きていたいと思わぬほどに」
「死にたくなるほどの拷問、か」
「そうじゃ。魂だけの存在じゃから、どれほど拷問しても死ぬようなことはない。あとはひたすら苛め抜き、果てたところで、改めて世界と同化させてやる。地獄はそのための場所じゃ。そして、わしら獄卒は、そんな拷問を施すための存在。わしだけで言うのなら、誰を、どう虐げれば早く死にたくなるか、見極めるのが仕事じゃ」
 それで、合点がいった。
 照柿氏は、きちんとコミュニケーションが取れるくらい、人間と近い存在だ。それは、サキも変わらないだろう。
 だが、そういう者が、拷問など続ければどうなるか。
 きっと、彼女は――優しいのだ。だから、苦しむ人を見ていられない。仕事と割り切れず、感情を乗せてしまう。
 だから疲れてしまう。心を痛める。今はこうして楽しんでいるが、それこそ鬱になってもおかしくないような――。
 否、だからこそなのだ。
「だから君は、引きこもったのか」
「そのこころは」
「もう誰も、傷つけたくはないから」
「……」
「誰も傷つけたくはないから、働かない。働かなければ、獄卒たちとて、拷問しないで済む。そんな風に考えて……。つまるところ、君は、人間に寄り過ぎているんじゃないだろうか」
「……おんしも人間じゃろう、わしが人間をいたぶっているのじゃぞ。恐ろしくはないのか? 憎くはないか?」
「僕が君を憎むのはお門違いだ。憎む権利は誰にもない。君は、成すべきことをしている。たとえば、君が働かず……、魂たちが地獄に滞留し続ければ、どうなる」
「それは」
「地獄に堕ちた魂は救われない。君たちがやっていることは、手段を選んではいないかもしれないが、必要なことだ。誰かがやらなければいけないことを、君はやっている。憎まれながらも。それは、とても立派なことだと……、思うが」
 それは、自分にはできなかったことだ。
 世間の目を気にし、他人の視線におびえ、逃げた自分には。
「きっと、僕が君と同じような存在だったら、もっと早く、もっと明確に逃げていたと思う。何もかも投げ出して」
「それはそれでよかろ? 個人の幸福を阻む権利など誰にもない」
「でも、誰かが不幸にならなければ、世界は回らない」
「それが自分でなければならない理由は?」
「存在しない。だからこそ、君は尊いんだ」
 少しずつ、サキの画面に変化が出ていた。
 消えていたはずのヒヨコが、徐々に積み重なっている。
「照柿氏たちが、引きこもってしまったあなたの世話を焼くのも……、この世界では手に入りづらいゲームを探して、懸命に頭を抱えていたのも、君に喜んでほしいからだろう。それだけ部下に慕われる君が、悪辣な存在であるはずなんかない」
「……わしは」
「君を信じる者の数こそが、君が今まで誠実に生きてきた証だ。君は、立派な主だよ」
「ッ……!!」
 ミスをした。
 消せるヒヨコを消せなかったせいで埋もれ、それはさらなる悪化を招いている。サキが負けるまでに、そう時間はかからなかった。
 決着画面が出たところで、サキはコントローラーを放り投げた。
「ふう。わしの負けじゃ。おんし、若い割に思慮深いの。わしに心理戦を持ちかけてくるとは」
「……そんなつもりは」
「くくく、どうじゃろうな。まあよい、負けは負けじゃ。勝者は報酬を得ねばならん。何が欲しい?」
「欲しいもの……、それは、特に」
「くかかか! この閻魔を前にして、欲しいものなどないと申すか! 面白い!」
 パン、と膝を叩いた少女は、びしっと黒崎を指す。
「よかろう、わしら獄卒、おんしのレギオンに入れろ! おんしが我が主となれ!」
「……は?」
「わしはもとより、優勝など興味はない。閻魔の仕事もあるしの。それよりも、おんしについたほうが楽しそうじゃ」
「いや、しかし」
「否とは言わせぬ! わしに説教たれたのじゃ、おんしの生き様で! わしを楽しませてみせよ!」
 振り返った黒崎は照柿を見るが、
「サキ様がそうなったら、止まらん。よろしく頼む、黒崎殿」
 ごつい赤鬼に頭を下げられては、嫌と言うこともできず。
「はぁ」
 黒崎は、嘆息交じりに頷くことしかできなかった。