ユグヴァールが拠点にしているのは、都市部から少し離れたところにある森林部。以前、アンナが動物たちを呼び集めた場所だ。
 土地勘もあり、山に強いアンナと、エルフに出会ったことのあるライルを連れて、黒崎はそんな森林に分け入っていた。
 思えば、こういう土の匂いがする場所を歩くのは久しぶりだ。いや、ここに来る時、山小屋までは歩いたが――あの時は心理的にも追い詰められていて、そんなことについて思いをはせる余裕もなかった。
 土独特の匂い。歩けば暑いが、吹き抜ける風が冷たいおかげで、それほど嫌な感じはしない。歩き、疲れたところで息をつく。思い切り空気を吸い込むと、都会とは違った気配が肺を満たす。
「やっぱり山とか森はいいですねー」
 ここに来て、特に元気になっているのがアンナだ。彼女は自然の中にいる方が似合う。
「アンナ、君はエルフとは……?」
「会ったことはありませんが、そういう方々がいるっていうのは、動物たちに聞いたことがあります。ただ、私の世界では、エルフさんって数が少ないらしくて。森の奥から出てきませんでしたし、私たちとは居住域も分けていました」
「なるほど」
 獣人とエルフ。なんとなく、どちらも自然が似合う種族ではあるが、彼らなりに違いがあるらしい。
「ライル。エルフというのは、やはり、魔法が得意なのか?」
「ああ。俺が訪れたエルフの里は、里全体を魔法で隠していたな。俺が訪れたのは本当に偶然だった。そういう大規模な魔法を、彼らは非常に得意としている」
 では、ゲームや漫画におけるエルフのイメージというのは、それほど間違ってはいないらしい。
 とはいえ、これから行うのは交渉だ。失礼があってはいけないし、まずは慎重に様子見と行きたいところ。
 そうして森を進んでいくと、ふと、アンナが足を止めた。
「……どうした?」
「なんだか、森がおかしいです」
 くんくん、と周囲の匂いを嗅ぐアンナ。今度はペタペタと地面を触り、
「やっぱりそうです。ここと、ここ。同じような地面に見えて、なんだか違う。そうですね、たとえるなら、乾燥肉を切って、改めてくっつけたような感じです」
「地面が割られている……? いや、違う。本来ならここは裂け目なのか」
 それも何か違和感がある。
 裂け目というのも相応しくない。そう、まるで、遠くにある森を無理やり引っ張ってきているような――。
「……そうか。空間にふたをしたのか」
「ふた?」
「紙の真ん中をくりぬいて、空いた穴を無理やり塞いでいるようなイメージじゃないか? それなら、エルフの里が隠されていることも理解できる」
「ああ、そうです! そんな感じかも!」
「これは……、見つからないわけだ」
 森に詳しく、人離れした五感を持っているアンナだからこそ気づいた事実。
 だとすれば、エルフの里への入り口は、このあたりにあるはず。
「どうする? クロサキ」
「……待とう」
 黒崎はその場でどっかと腰を落とすと、なんてことはない森を見つめる。
「彼らは隠れ里で暮らしているだけのエルフじゃない。参加者、それも優勝候補だ。そうなれば、絶対に誰かが外に出てくるタイミングがある。それを待つ」
「なるほどな、了解だ」
「はーい」
 アンナとライルも車座に座り、周囲を眺める。
 静かに時間が過ぎて行った。

◇ ◇ ◇


 一方その頃。ユグヴァール本拠地『女王の大樹インペリアル・ツリー』。
 巨大な大樹をくり抜かれた城の中。魔法の光が浮かぶ中に、二人の女性が向かい合っている。
「……ミカエラ」
「はいっ、なんでしょう、シャル様?」
 一人は、ティアラを抱いた少女。外見だけならば十代中ごろと呼んで差支えないだろうが、エルフの外見年齢は人間のそれと大きく異なるので、実際はその数倍の年齢だろう。簡素ながらも質の良い服を着ている。その顔は美貌と呼ぶにふさわしいものだったが、今は涙にぬれていた。
 対するのは、侍従のお仕着せを着た女性。こちらは二十代後半に見えるが、やはり実年齢は違うのだろう。にこにこと笑いながら、自分の主を眺めている。
 ティアラを抱いた少女――シャルロット・エリュアールは、目尻に浮かんだ涙もそのままに、口を開く。
「あんたねえ、ちょっとは主人を敬いなさいよ!! 何よ10戦10敗って!!」
 バン、と机を叩く。
 向かい合った二人、その間にある机。その上には、ボードゲームが置かれていた。エルフの間ではごく一般的な知的遊戯で、駒それぞれに動き方が決まっており、交互に駒を動かして相手の王を打ち取るというゲーム。言うなれば、エルフ版のチェスや将棋だ。
「そうは言っても、シャル様、ゲームというのは全力でやるから面白いのです」
「だからってシャルが全敗ってどういうこと!? ありえないでしょそんなの!! シャルは王城じゃ負け知らずだったのよ!?」
「侍従のみんなは、シャル様が負けたら癇癪を起こすので、手加減してましたからねー?」
「そうなの!?」
「そうですよー」
「むぐぐぐっ……!!」
 怒り心頭の主に、侍従の女性――ミカエラは恍惚の笑みを浮かべる。
「ああ、やっぱりシャル様の涙目は最高です!!」
「あんた本当にバカでしょ!? 主敬えって言ってんのよ!」
「敬愛しておりますよ、シャル様? ただ私は、シャル様をいじり倒して涙目にしたいだけなのです」
「それのどこが敬愛しているっていうのよバカ!! もう知らないっ!!」
 ぷりぷり怒りながら席を立ったシャルロット。と、そんな二人が遊んでいた部屋に、別のエルフが飛び込んでくる。
 女性エルフは膝をつき、こうべを垂れながら言う。
「失礼します、シャルロット様。ミカエラ様。ご報告が」
「何よ」
「里の入り口、境界線のあたりに、人間が来ました。獣人と、同じく人間を連れております。参加者リストと照合したところ、『ノーネーム』のクロサキと判明しました」
「クロサキ? 誰よ、それ」
「最近、『地獄連盟』を仲間に引き入れた男です、シャル様」
 そっと、音もなくミカエラが寄り添う。
「シャル様、私が様子を見てきましょうか」
「……そうね、お願い」
「承知しました、シャル様」
 うやうやしく頭を下げたミカエラは、報告に来たエルフを引き連れ、部屋を出て行った。
「人間、か」
 つぶやくシャルロット。
 その顔には、確かに憎悪が張りついていた。