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黒崎が本当に森の只中で動かずいると、後ろから、下生えの草を踏み分ける音が聞こえてきた。 振り返ると、メイド服を着込んだ女性が立っていた。尖った耳に、淡雪のような長髪。その手には何も握っていない。表情はにこにこと柔らかではあるが、そこはかとない怖気のようなものを感じる。 黒崎はゆっくりと立ち上がり、 「黒崎と申します。あなたは」 「ミカエラ・パルパーニと申します。『ユグヴァール』参謀です」 「そうですか。では、ご主人と話をさせてください」 「ご冗談を。我らエルフ一同、人間と交わす言葉は持ち合わせておりません」 すっ、と後ろでライルが剣に手をかける。それを、黒崎は手で押し止めた。 「ああ、失礼。言葉の綾ですわ。より正確に申し上げるならば、我らエルフは、あなたたち人間を対等とは見ておりません、ということですわ。対等ではない相手とは交渉などできませんでしょう?」 「証明する」 「必要ございません」 笑顔は変わらない。それが、かえって恐ろしい。 「何故、そこまで頑ななのでしょう」 「我らは、あなたたちを嫌っているからですわ」 「その理由。教えてもらえませんか」 「不躾にもほどがあるかと」 黒崎は小さく頷き、 「失礼は百も承知。けれど、僕の生きてきた世界に、エルフの方々はいませんでした。あなたたちの世界で人間が何をし、エルフと断絶したのかも、僕は知らない。だけど、互いに知らぬままでは、何も始まりません」 「始めたくもないと言ったら?」 「この大会が永遠に続くことになるでしょうね」 「私たちはそれでもかまいません」 思わず、黒崎は口をつぐんだ。対するミカエラは、 「どうせ、あなたがた人間は、100年もすれば死ぬでしょう。大会参加者の上限はすでに締め切られていますから、これ以上、増えることはありません。私たちは急いでなどおりません。あなたたち人間が全員、寿命で死んでから、ゆっくりと長命種を統合すればいいのです」 「……ッ!!」 違った。そもそもの考え方が、まったく。 彼女たちが動いていなかったのは当然だ。そもそも、動くつもりなどなかったのだ。 豊かな異空間。食べるだけならば困らない。その中で、寿命の長いエルフならば、人間が全滅するまで待つことは十分に可能。殺すわけではないのだから、大会の要件にも引っかからない。仮に自分がこの空間で、結婚し、子供を成したとしても、子供は大会参加者ではないのだから関係がない。後から参加する手立てもない。 妙手だ。 「お分かりいただけたでしょうか、人間様。ならばお引き取りを」 一礼するエルフの女性に、黒崎は内心で冷汗をかく。だが、そんなことはおくびにも出せない。 「ならば。僕が、直接会いに行く」 「……?」 「君に案内されるまでもなく、自分の足で行こう。それならば、取り次いでもらえるだろうか」 「ご存じないかもしれませんが、我らの里は、エルフの秘術をもって封じております。人間が辿りつくことなどできません。まして、里の中は我らのテリトリー。自殺願望がおありで?」 「大会参加者を殺してはいけない。これはルールだ。破れば君たちのレギオンは失格になる」 「……なるほど」 初めて。 初めて、ミカエラの表情が少しだけ変わった。 「覚悟はお持ちのようで。では、どうぞ。我らの里までたどり着いてごらんなさい。そうすれば、案内してさしあげますわ」 恭しく頭を下げたミカエラは、そのまま森の木陰に姿を消す。 残された黒崎は、小さく嘆息した。 他方、居残り組。 サキの屋敷に残っている獄卒たちがいつも通り雑事に精を出す中、残ったミレイは、サキが寝そべりながらプレイしているゲーム画面を眺めていた。 今日は格闘ゲームだ。2Dの画面で、キャラクター同士が飛んだり跳ねたり。 「……のう、ミレイとやら」 「はい、なんでしょうか」 「おんしはゲームをせぬのか」 「ゲームとはなんでしょう」 思わずサキは振り返っていた。 「なんじゃおんし、ゲームを知らぬのか。それでどうやって生きていけるんじゃ」 「人間の生活のことでしょうか。でしたら、食料は――」 「そうではないわ。人間、食事もそうじゃが、心が満たされねば飢える。そういう生き物じゃ」 「そうなのでしょうか。そうかもしれませんが、自分は人間ではありません」 「阿呆。人と同じ形を成し、人のように魂を持つならば、それは人じゃ。体が硬いか柔いかの違いしかなかろう」 「……そうでしょうか?」 「そうじゃ。じゃから、ほれ、隣に座れ」 「はい」 命じられるまま、ミレイはサキの隣に座り、コントローラーを渡される。 「よいか、このボタンでパンチ、こっちで……」 「了解。学習モードに入ります」 それが、惨劇の幕開けだった。 深い森の中。 黒崎は周囲を見渡す。ここがおかしいというのはアンナの言によってはじめて気づいたが、自分の目で見れば、ただの森にしか見えない。そもそも、樹の違いなど、見た目でわかるはずもない。 「どうするんだ、クロサキ」 「そうだな……」 黒崎は地面の一点を指し、 「アンナ。ここから先は、違う森なんだな?」 「はい、匂いが違いますし、地面の質も違います。クロさんでも、よーく見れば、下草がないラインが見えるんじゃありませんか?」 「なるほど」 屈みこんで、下草を分けてみる。 なるほど、草の根本が一直線に並んでいる。自然ならばこういうことは絶対にないだろう。となれば、ここが異質の直線。 「……アンナ。先導して、この直線が途切れる場所まで案内してくれ」 「了解しました!」 アンナの鼻を頼りに、三人は森の中を進んでいく。 およそ、100メートルばかり進んだろうか。森の中を進むとまっすぐには進めないせいで、距離感覚がつかめないものの、大きくは違えていないはず。 「このへん、でしょうか。ちょうど、森が連なっている場所との境目みたいです。この先は、普通の森ですね」 「ありがとう」 周囲を見渡しても、ここは普通の森だ。先ほどまでの空間と違うところなど何もない。だが、アンナの微細な気配を感じ取れる鼻で感知したのだ。間違いない。 下草をかき分けてみる。 なるほど、このあたりで、線が途切れていた。やはり、ここがポイントなのだ。 「もし、仮に」 エルフの里を丸く囲い、大きく開いた口を閉ざすように、森と森を繋いだなら。 その端にあるこの場所から直線的に空間を開けば、隠されたエルフの里にたどり着けるはず。 だが、見た目には何もない。何か分かりやすい目印でもあればいいのだが、そんなものは一切いない。もっとも、そんなものがあれば、エルフの里が隠れることもなかっただろう。 おそらくは、魔術的な何かなのだ。それは目には見えず、ライルほどの勇者ですら感じることができないほどの、ごく微量な魔力で構成されているのではなかろうか。 だが、裏を返せば、微妙な魔力であるはず。 「ライル。何か、魔力のこもった武器のようなものはないだろうか」 「あまりないが……、これなら」 ライルは腰から小さなナイフを取り出した。 「予備のナイフだ。植生の濃い森を切り開いたり、食事にも使ったりする。これに……、ふっ!」 ライルが強く祈ると、ナイフがわずかに白く輝いた。 「神聖魔法を込めてみた。多少は魔力が伝わっているはずだ。けど、すぐ切れるぞ」 「問題ない」 ナイフを受け取った黒崎は、試しに、地面に刺してみた。 「ッ!?」 パリン、と小さな音が聞こえた気がした。 同時、自分の体が深く沈み込む。 止める間もなく、視界が暗転した。 |