気づけば、地面に寝転がっていた。
 起きあがる。そこは、集落だった。
 周囲にはツリーハウスが並び、家畜なのか、鶏の姿もある。だが、人の姿は見当たらない。
 いや。
「……ッ!!」
 一人だけいた。メイド服を着た女性――ミカエラだった。
「どう、やって、ここに? ここは、シャル様の魔術で閉ざされた里なのに……」
「ナイフを刺したら、来れた」
 事実ありのままを伝え、ナイフを見せる。それを見つめたミカエラは、
「バカな、そんな、ありふれた刃物で? そんな、はずは」
 よろめいたミカエラは頭を振り、
「……約束は約束です。我らエルフは、誓いを違えたりはしません。どうぞ、こちらへ。我が主のもとへご案内いたします」
 ミカエラの先導で、ツリーハウスの間を進む。
 ひときわ大きな樹木の前まで来たミカエラは、樹からぶら下がる巨大な籠を指した。熱気球の下のところ、といった風情。見上げるとロープがはるか上まで続いている。
「どうぞ」
籠に乗ると、音もなくロープが引き上げられる。上の方に到着すると、入り口がぽっかり口を開けていた。
そこがエルフ風に言うところのエントランスなのだろう。何もない空間が広がっている。
「こちらへ」
ミカエラが案内するままに通路を進んでいくと、ひとつの部屋にたどり着いた。室内には、資料で見た少女の姿があった。
十代中ごろ、日本では言えばせいぜい中学生か。だが、サキのような特殊な子もいたし、あまりあてにはならない。
 彼女こそ、シャルロット・エリュアール。ユグヴァールの総代。
 ミカエラは少女の前で恭しく一礼し、
「シャル様、人間です」
「はあ?」
シャルロットは眉根を寄せ、
「人間、どうやってここに入ってこられたわけ?」
「境目にナイフを刺しただけ、だが」
「……!?」
それは、ありえないことだった。
エルフが開発した独自術式。それが人間風情に破られるなどということは。
 実際は獣人と勇者という、ある種の規格外な二人が協力しているからこそ成し得たわけではあるが、純粋なエルフとして他種族と交流してこなかった二人にとっては、化物と対峙しているような気分にさせてくれる。
 それでも落ち着きを取り戻したのは、さすが、エルフを率いる者といったところか。
「いいわ、それで、何が目的?」
「君たちは、どうしてそこまで人間を嫌う?」
 ギシリ、と少女の歯が鳴った。
「人間。口を慎みなさい」
「知らなければ、何が悪いのかも理解できない」
「……」
 ひとしきり黒崎をにらんだエルフの少女は、
「……いいわ。話してあげる。感謝なさい」
 こほん、と咳払いし、
「もともと、我々エルフは、森の中で小さな集落をつくって生きていたわ。各部族は互いに干渉せず。それが掟だった」
 黒崎が頷くと、少女は言葉を続ける。
「流れが変わったのは100年ほど前よ。あるエルフが、行き倒れの人間を助けた。それが始まり」
「行き倒れ?」
「そうよ。その人間は、商人だった。森にエルフが住んでいることを知った商人は、エルフを使った金儲けを企んだ。エルフの女は人間の基準で言えば見目麗しいし、みんな高い魔力を有しているから、魔力を取り出せば兵器に転用できるわ。魔力を抜かれたエルフは廃人になるなんてこと、関係なしに」
「……」
「たくさんの部族が襲撃されたわ。女は慰みものにされ、男は魔力を抜かれて道端に打ち捨てられた。今でも里には心に傷を負った女や、自分では歩くこともままならない男が住んでいる」
「……それで、人間が」
「そうよ。ちなみにその後、お母様が残る部族をまとめ、国家を樹立したわ。そして人間に戦争を挑み、奴らは皆殺しにしてやった。今、シャルたちの世界に、人間なんて数えるほどしかいないわ」
 少女の――シャルロットの鋭い瞳が、黒崎を射抜く。
「ユグヴァールは国の名。シャルは、そんなエルフたちの代表なの。おわかり? 人間」
 黒崎は小さく頷く。と、シャルロットは鼻を鳴らした。
「あなたも人間よ。できるなら、きっと同じことをする。同胞の苦しみ、忘れることなんて絶対にできない。シャルは神になって、あらゆる世界の人間を根絶やしにしてやるわ。邪魔はさせない。わかったら、とっととくたばりなさいな。人間」
 しばし沈黙した黒崎は、首を振る。
「君たちの理屈は、わかった」
「それで?」
「けど、それはさせられない」
「それはそうでしょうね、あなたも人間だもの」
「違う」
 もう一度、黒崎は首を振る。
「僕が人間だとか違うとか、そんなことは関係がない。むしろ、人間なんて、どうなろうと構わない」
「はぁ? あんた、人間なんでしょう」
「限りなく人じゃない何かさ」
 人間として見捨てられた。
 クズの中のクズ。生きていく価値のなかった、ゴミクズと同じ何か。
 だが。そんな自分だからこそ。
「僕は、君たちがこれ以上、手を汚すことはないと……、そう思っただけだ」
「……いいでしょう、別に。シャルの勝手よ」
「君たちは、長く生きるんだろう。僕よりも、ずっと」
「それが何!」
「人を殺した苦しみは、死ぬまでついて回る。君は、人間などよりずっと長く、苦しみ続けなければいけない」
「だから何よ! 同胞の受けた苦しみに比べれば、そんなもの!」
「だからといって、新たに苦しみを増やす理由にはならない」
「……ッ!」
 強く歯噛みしたエルフの少女は、黒崎をにらむばかり。
「あん、たに。あんたに、知った風な口を利かれたくないわ」
「そうだろうな。けど、それが僕の想いだ。僕は、誰かが泣くような世界にしたくない」
「もう涙は流されたのよ! 癒えることのない傷を負わされたのよ!!」
「重ねる必要があるのか?」
「うっ……、くぅ」
 言葉を忘れてしまったかのように口を開閉させる少女に向かい、黒崎は続ける。
「復讐したいと思う君の気持ち、当然だと思う。だけど、それは自分を新たに苦しめる。ひどい人間もいれば、まっとうな人間もいる。それを、人間というくくりで殺せば、必ず君はいつか苦しむ。そんな涙は、見たくない」
「あなたがシャルの涙を見ることはないわ。死ぬんだもの」
「それでもだ」
 断固として言い張る黒崎。
 シャルロットは何かを言いかけ、口を閉ざし、ぐしぐしと顔をこする。
「ミカエラ!」
「はい、シャル様」
「リング。持って来なさい」
「……よろしいのですか?」
「武勲に報いてこそのエルフよ。人間と同列に身をやつすの?」
「承知しました」
 ぺこりと頭を下げたメイドは部屋を出ると、いくらもせずに戻って来た。その手には、小さな箱を持っていた。
「どうぞ」
 黒崎が受け取り、箱を開けると、中には木製の指輪が入っていた。
「エルフの身守りよ。弱い魔物を退ける力がある」
「……いいのか?」
「あなたは、今まで誰もなしえなかった、エルフの秘術を破った人間よ。誰にもできないことをなした、その事実は、人だろうとエルフだろうと称えられてしかるべきだわ」
 キッ、と黒崎をにらんだシャルロットは、
「言っておくけど、術式は強化するわ。今度は絶対に入れないようにしてみせる」
「そうか」
 指輪をはめた黒崎は、ぺこりを頭を下げると、出口に向かう。
「あ、ちょっと、クロサキさん! 戻るのですか?」
「ええ。話は、終わったのでしょう」
「終わったって、あなた、エルフの話を聞いただけでしょう」
「それを聞きたかった、だけなので」
 そう言って、黒崎は本当に部屋から出て行ってしまった。