受付嬢が案内してくれた喫茶店は、客席の並ぶフロアがL字型になっていた。
 長方形の店から厨房のぶんを切り取った関係だろう。最も奥まった席は、ちょうど四人が腰かけると、そこだけ個室のように切り取ることができる。隣に人が座らないという点では、安心して話せそうだった。
「ささ、どうぞ?」
 それぞれが頼んだ飲み物が机に並んでいる。厳密には違うらしいが、黒崎的な解釈でいえば、ルナはコーヒーフロートを、受付嬢はホットティーを、アンナはホットミルクを頼んでいた。自分はよくわからないので、緑茶っぽい飲み物を。
 とはいえ、気軽に話せるような内容でもない。
「……どうぞ、と言われても」
 嘆息し、黒崎は自分の中で整理しながら、口火を切った。
 レギオン『ユグヴァール』の存在。
 彼女たちの世界で、エルフが受けた仕打ち。それを行った人間。
 彼女たちの目指す世界。
 そして、そこに至るための戦法。
 人間がエルフを喰いものにしたという話ではアンナも眉をひそめたし、人間が寿命で死ぬまで待つという戦法には受付嬢が嘆息した。
「なるほどー、そういうことでしたか」
 頷いた受付嬢は、
「それは困りました。神は、この大会を、お祭りのようなイメージで開いています。もちろん持久戦も戦略のうちではありますけど、さすがに100年単位ですとー」
「ルール上、問題はない」
「その通りです。それが最も困るところ、と言いましょうか。今からルールを追加することは不可能じゃありませんが、それだと、ユグヴァールだけに不利益をもたらすってことで、大会運営上は好ましくありませんしね」
 こくり、と黒崎は頷く。
 大会というのは、お互いが納得したルールで、平等な条件を与えられてこその大会なのだ。そうでなければ、優勝したところで独りよがり。誰も自分の優勝などと認めてくれないし、誰もいない墓標のうえで勝利宣言したところで、何の意味もない。
「それに、もちろん大会的にも問題だろうが……」
「クロさんが気になさっているのは、別のことですよね。つまり、エルフさんたちの恨み、悲しみ、それをどうやったら取り除けるかっていう」
 また、黒崎は頷く。
「そんなのほっとけばいいじゃないですかー。だって、もうどうしようもないことでしょう? その世界で人間がやらかしたのは事実だし、エルフたちがそれを契機に人間を恨んだのも事実。黒崎さんの世界でだって、昔の戦争の恨みをいまだに呟く人とかいるでしょう?」
「それは、まあ」
 否定はできないのだ。
 地球でだって、そういう問題はある。過去の戦争どころか、現在進行形で、人に危害を成す人はいるし、それによって傷ついた人もいる。その結果、自殺するような人がいることも知っている。
 そんな人たちのために自分が何かをしたかといえば、そんなことはない。
 彼、彼女たちの苦しみを分かち合う努力などしていなかったし、考えもしなかった。日本人にとってはそれが当たり前で。
 だから、今さら自分がそんなことを考えること自体、おこがましいのかもしれない。だが、それでも。
「知ってしまったし、何かをしたいと思ったのは……、事実だから」
 彼女たちの存在を知らなければ、こうして考えることはしなかっただろう。
 結局のところ、自分の身近にそういう問題がなかったというだけのこと。たまたま自分が幸せな世界で生きてきたから、そんなことを考えたことがなかっただけで。
 犯罪の被害者なんてどこにでもいただろうし、それで苦しむ人も、いくらでもいたのだ。
 ただ、今回、自分は知ってしまった。知った以上、知らんぷりするのも寝覚めは悪い。
 それに、現実的問題として、彼女たちと和解できなければ、自分が優勝する芽もないのだ。そういう意味でも、彼女たちの問題は解決してやりたい。
 だが、そんなことが可能なのか。
「ふーん」
 スプーンを口にくわえたまま、ルナはうなる。
「なるほどねー。面白いというか面白くないというか」
「君は、どうすべきだと思う?」
「んなの簡単じゃーん? ぶっ壊しちゃえば」
「……は?」
 黒崎は目を丸くするが、ルナは構わず続ける。
「だから、ぶっ壊す。まあ大会的に殺しはご法度なので? 正確には、記憶だけなくせばいいのかな?」
「そんなことが、できるのか?」
「まあできる人も、この大会にはいると思うよ? それこそ神様だってできるだろーし。そんなのは、あなたたち人間も得意じゃないの?」
「……ッ」
 記憶をなくす手段。
 思い浮かぶのは、どれも、まっとうな方法ではなかった。
 嫌な記憶を、短期的に忘れる方法なら、いくらでもあるだろう。極論、一晩寝れば、気持ちも落ち着く。
 だが、今回の問題は、そういう問題ではない。一生もののトラウマなのだ。それをなくすというからには。
「薬系はよくわかんないけど、そういうのとか。まあ簡単には、右も左もわっかんないくらい精神ぶっ壊してもいいんだけどー」
 やはり、そういうところのもの。
 麻薬だかなんだか。薬というかおクスリ的なもの。
「それは、駄目だ」
「えー、なんでー」
「なんでも何も。倫理的に」
「いいじゃん別に。だいたい、そんな問題、解決しようがないし。だったらいっぺんリセットするしかないじゃん?」
 ごく当たり前のように言ってますがそれはダメなんです。
 言いたかったが、言えなかった。というか、言っても無駄な気がした。なんとなくだが、ルナは自分と倫理観とか生きている世界とか、そういうのが違う気がする。
「まあまあ。ルナちゃん、たまに極端だからー。でも、言ってることは、そんなにおかしくないんですよね」
 そう言って、受付嬢も黒崎を見やる。
「実際、黒崎さんが悩んでも、答えは出ないと思いますよー。ユグヴァールの面々が持つ恨みっていうのは、誇りとか尊厳とか、そういうのと密接に関係しています。結局のところ、解決する方法のない問題ってことです」
「それは、まあ」
「解決できなきゃリセット。人間単位でいえば、ごにゃごにゃ言って時間を引き延ばして、孫くらいの世代で和解なんてこともあるでしょうけど。エルフみたいな長命種が相手じゃ、それもままなりません。そもそも、やったことは取り返しがつかないんです。だったら、それはそれって割り切るのは手段ですよー」
「……」
 それはそう、なのだ。もっともな正論なのだ。
 過去の出来事は変えられない。それを、どうこうしようと悩んだところで……。
「……アンナ、君は、どう思う?」
「そうですねぇ」
 ずず、とミルクをすすったアンナは、
「確かに、簡単には解決できないと思います。でも、クロさんみたいに、思い続けていれば、解決できる気もします」
「思い続ける?」
「はい。自分のことを真剣に考えてくれる人がいるって、誰でも魅力を感じます。解決できない問題でも、いえ、だからこそ、そうやって悩み続けてくれる。心を寄り添ってくれる。それは、エルフさんの心を癒してくれるんじゃないでしょうか」
「エルフの心に……、寄り添う」
「そうですね。エルフさんは、消せないほどの傷を負いました。それが事実なら、その傷を癒せるのもまた、人間だけだと思います。人間がつけた傷を、命がけで償うんです」
 命がけの償い。
 そんなことは、考えたこともなかった。だが――。
「そういう方法も、あるんだな」
 彼女たちのために何ができるか。
 答えはない。だけれど、それは、この大会に参加してからこっち、ずっとそうだったかもしれない。
 悩み続ける。そして、最善を尽くし続ける。
 彼女たちが許してくれるまで。彼女たちの心が癒されるまで。
 自分の、たかが数十年程度の寿命で解決できないかもしれないが。駄目ならそれを誰かに託してでも。
「何か、お役に立てましたか?」
 小首をかしげるアンナに、
「……そうだな。ありがとう、アンナ。それに、ルナさんと……、そういえば、お名前は」
 これだけ話したのに、まだ名前も聞いてなかったことに気づき、黒崎は受付嬢を見やる。対する彼女は、
「にはは、面白そうなので、私の名前は受付嬢でー。受付のお姉さんとでもお呼びください」
「はぁ」
 そんな名前でいいんだろうか。まあ、本人がいいと言うのなら。
「じゃあ、受付のお姉さんも。ありがとうございます」
「いえいえ」
「まあまあ面白かったし、いいかなー」
「ふふっ」
 人を救えるのは、人。
 ただ空を見上げているだけでは出なかった答え。それを気づかせてくれた仲間。
 その事実が、ただ、胸を温かくしてくれている。