謁見の間の扉まで走り抜けた黒崎は、大きく息を吐いた。
「クロさん、大丈夫ですか……?」
 隣を走って来たアンナが、心配そうに背中をさすってくれる。そんな彼女に手をかざし、黒崎は無理やり息を整えた。
「大丈夫、だ」
 扉に手をかけ、押し開く。
 謁見の間。その最奥、豪奢な椅子には、碧眼の青年が座っていた。
「ふむ。よくここまで来たな、人間」
 ひじ掛けに手を乗せ、退屈そうに自分を見下ろしていた青年は、ゆっくりと立ち上がった。
「マックス、アトラ、フツ。皆、神域級の力を持つ手練れぞ。それらと拮抗するほどの戦力を有していたわけか。なるほど、総力戦を申し込むだけのことはある。だが、それもここで終わりだな」
「それは、どうだか」
「わかりきっておろう。貴様は我を倒せぬ。薬が手に入らなければ、貴様らの負けだ」
「僕らが薬を手に入れれば、それで勝ちだ」
「その通りだな。だが、それができるか? 貴様?」
「やってみせる」
 黒崎は、普通に距離を詰めていく。
 武術の心得があるわけでもない黒崎は、本当に何の気なしに詰めていくが、
「ふざけているのか貴様」
 ひょい、とヴァルトが指を振るうと、衝撃が走った。
 顔面を拳で殴られたような衝撃に、思わず黒崎は倒れこむ。
「クロさん!?」
 アンナの悲鳴が聞こえた。
 痛い。猛烈に、痛い。
 それでも、立ち上がる。ヴァルトをにらみながら、ゆっくりと前へ。
「ただ歩くだけか。それで我を倒すと? 気が触れたか貴様」
 再びの魔力弾。
 魔術ですらない、純粋な魔力の弾丸だったが、黒崎には受ける手立てもかわす手立てもなかった。馬鹿正直に弾丸を喰らい、殴られ、それでも歯をくいしばって耐える。
 二発喰らっただけで口の中は血の味がするし、三発喰らった後には足が震え、四発喰らった後では意図せず、えずいた。
 だが、それでも立ち上がった。馬鹿正直に、愚直に、前へ。
「クロさん、もうやめてください!!」
 アンナの悲鳴が聞こえるが、そんなものを無視し、ひたすら前へ。
 その様に、ヴァルトは眉をひそめた。
「なんだ貴様。何が目的だ?」
「……」
 すでにしゃべるのも億劫になってはいたが、黒崎は口を開いた。
「お前、は……、僕を、殺せない」
「――何?」
「ルールの壁だ。参加者を殺せば、失格。勝負のルールに、乗った以上、それは……、絶対だ。だから、お前は、僕を殺せない。どれほど、痛めつけようとも、殺すことだけは、絶対にできない」
 そう、それが、黒崎の唯一無二の作戦。
 ヴァルトと自分の間には絶対的な能力の壁がある。吸血鬼がどれほどのものかは知らないが、あれら神域級とすら言われる部下を持っているのだ。彼自身、相応の能力はあるのだろう。
 だが。それらの能力をフルに使えば、ただの人間に過ぎない黒崎は、あっさりと死んでしまうことだろう。
 すなわち、ヴァルトは自分の能力を十全に発揮するわけにはいかないのだ。
「お前は、手加減するしか、ない。だけど、いつも、手加減なんかしないだろう。だから、どのくらいならば死ぬのか、どのくらいならば安全なのか、判断がつかない。だから今も、ちょっと攻撃するだけで、止めてしまった。それ以上、攻撃して……、僕が死なない、確証がないからだ」
「ッ!! 貴様、正気か!?」
「僕の命が盾だ。お前は、この盾を壊せない」
 殺さないよう手加減をしつつ、黒崎の気持ちを折る。
 それは、何よりも難しいことだ。絶対に殺されないとわかっている相手の戦意を奪うというのは。
 まして、今の黒崎には目標がある。目標がある人間は、そう簡単に折れはしない。
「ぬ、ぐう!!」
 とうとう、ヴァルトは立ち上がった。ひじ掛けを握りつぶし、粉となって砕く。
「貴様! 我を愚弄しおって!!」
「それが、どうした。それとも、負けを認める……、か?」
「ぬかせッ!! 小僧!!」
 一瞬にして互いの距離を詰めたヴァルトは、黒崎の背後に回り、その体を羽交い絞めにする。
 殴られたダメージに加え、もともと武術の心得すらない黒崎には、ヴァルトに拘束されても逃げることなどできない。
「ならば! 貴様の肉体をしもべと化してくれるわ!!」
 ヴァルトが大きく口を開くと、長い牙が覗いた。
 吸血鬼特有の能力。血を吸い、相手を傀儡と化す能力。
「貴様の浅はかな戦略! 後悔するがいい――!!」
 牙が、黒崎の喉笛に突き立つ。
「ッ!?」
 直後、ヴァルトは飛び跳ねた。
「な、んだっ!?」
 まるで神職の聖なる魔法でも受けたかのような衝撃。
 全身を駆け巡る痛みと悪寒に、ヴァルトはよろめく。
「飲んだ、な」
 まさに思い描いていた通りの展開に、黒崎は笑みを浮かべた。そして、そのまま倒れる。
「貴様、何を――!!」
「聖水、さ」
「……なんだと?」
 すでに立ち上がる気力もなくなっていた黒崎は、浅い息を吐きながら答える。
「聖水だよ。ライルの作った聖水を、飲んだんだ」
「聖水を……、飲んだ、だと!?」
 通常、聖水は、自分自身の体に振りかけて使う。
 そうすることで、神職による聖別を、自分の体にかけたのと同じ効果を得られるのだ。言うなれば、自分の体を聖なる魔力でコーティングするためのアイテム。それこそが聖水だ。
 だが、黒崎は、あえてそれを飲んだ。体内に入った聖なる魔力は、黒崎自身の体に吸収され、血液に混じる。
 聖水を原液で飲むほどではない。だが、闇の貴族であるヴァルトにとって、聖なる存在とは、猛毒だ。それを、わずかとはいえ、血と共に飲み込んでしまった。
 不調は当然だ。
「がっ、ぐう……!! 貴様!!」
 ヴァルトは爪を伸ばし、怒りに任せて黒崎を切り裂こうとするが、
「させません!!」
 すかさず、アンナが飛び込んできた。
 格闘能力が高いわけではないアンナだが、それでも獣人だ。人間とは身体能力が大きく異なる。
 そんな獣人の体当たり。万全の状態なら喰らうこともないが、聖水を飲んでしまったヴァルトは、かわすことができなかった。
 衝撃によろめき、
「せええええええええええ!!」
 続く回し蹴りをかわせない。蹴り抜かれ、玉座に叩きつけられる。
「ぐッ……!!」
 生まれて初めて感じた、戦いの痛み。
 闇の貴族であるヴァルトは、そもそもろくに戦ったこともなければ、圧勝できなかったこともない。
 相手からの反撃など、受けたこともない。その痛みが、自分を襲っている。
「ぬ、う」
「遅いです!!」
 続くアンナの蹴撃が、ヴァルトを縫いとめる。蹴り抜かれ、全身に走る痛みに、ヴァルトは血反吐を吐いた。
「きさ、まらァ……!!」
 憎悪のこもった眼差しで二人を見る吸血鬼。ひとしきり怒りに食いしばったヴァルトであったが、
「……ふん」
 その口元が緩む。
「だが、まあいい。貴様らの勝利などない。我が配下になったら、死なない程度にずっと苦しめてやる」
「それは、お前が薬を持っていないから……、か?」
「ッ!?」
 今度こそ。
 ヴァルトは、驚愕に目を見張った。
 アンナに肩を借りながら、黒崎が立ち上がる。その瞳は、決してあきらめてなどいない。
「今回の勝負、決着方法は、君を倒せるかじゃない。薬を手に入れられるかどうか、だ。だとすれば、君が薬を隠すことも、想定できていた」
「そこまで、読んでいたというのか!?」
「そうさ。僕らの役目は、みんなと同じ。お前を、動かさないこと。薬の捜索に向かった仲間を、邪魔させないことだ」
 そのために、入り口で別れたのだ。
 人間以上の鼻を持つ、最高の仲間に、全てを託して!
 直後、外からスピーカーの割れる音が響く。
『試合しゅーりょー!! ノーネーム所属、ブレン・ベルベット氏か薬を発見しました!! よって勝者、ノーネームッ!!!』
 その声に、今度こそ、ヴァルトの全身から力が抜ける。
「そんな、まさかお前、最初から……」
「そうさ。最初から、君たちを倒すつもりなんかなかった。だってこれは、総力戦だから」
 そのために、この条件を提示したのだから。
「君たちの敗因は、相手の出した条件に、素直に乗ってしまったこと。自分の力を、過信したことだ」
 膝をついたヴァルトは、じわじわと、自分の敗北を感じる。
 意図せず震える手。胃がせりあがるような、気持ち悪い感覚。
「……くそっ。我の、負けか」
 ヴァルトはぎゅっと握った拳で床を叩く。
 その痛みは、全身を走る奇妙な感覚によって、打ち消されてしまった。