黒崎誠一は、平凡な男だった。
 勉強は、まあ普通。スポーツはする方も見る方もからっきし。好きなものはゲーム・アニメ・漫画他。どちらかといえばオタクっぽいが、アキバにも有明にも出かけはしない、オタクとしても中途半端な青年。
 そんな彼も大学に進学した。高校の頃には何人か友達もいたが、大学に入るとそんな知り合いもいなくなり、自然と一人になる。
 それでも学校生活はそれなりに回り、だらだらと過ごすうちに三年生へ。
 そのくらいになると、就職活動が始まる。それでも黒崎は、あまり慌てていなかった。世間は好景気などと言われ、売り手市場――仕事さえ選ばなければどんな人間にでも仕事があると言われる昨今。自分がたいそうな人間だと思っているわけでもない黒崎は、最初から仕事を選ぶつもりもなかった。
 インターネット上のサイトからエントリーし、とある会社へ。事務職のようだった。
 応募後、筆記試験を受け、面接へと進む。それが失敗だった。
 覇気など母の腹に忘れてきた、殺気すら感じさせる目つき。生まれながらの根暗。大学では三年もの間、ろくに友達も作らず、結果的に他人と会話することも極端になかった。つまるところ、コミュニケーション能力というものが、致命的に欠如していた。
 それを思い知ったのは、最初の面接でだった。
 ――言葉が出ない。
 学校でも教わり、マニュアル通りに自己アピールなどというものも考えてきていたが、それが口から出ることはなかった。
 原稿の内容が思い出せない。他人の目を見ることができない。
 そんな人間など、面接官からすれば、相手にするまでもない相手とわかる。
 お祈りします、という文面が届いたのは、数日後のことだった。

 それからというもの、とかく、うまく回らなくなった。
 最初の失敗はどうしても頭をよぎる。
 会話ができない。覇気はない。
 仕事を選ばなければなんでもある、と言われていた時代。そのはずなのに、どこに行っても面接で落ちる。
 もとより技術など何もなく、覇気もなく。会社側からすれば、雇ったところで数カ月でうつ病でも発症しそうな顔。当然、雇いたくはない。
 お祈りします、の文面は、徐々に山を成すようになった。
 就職活動というのは、自分という存在の価値を他人に認めさせる活動だ。
 だが、それで失敗し続けると、だんだんと思考がマヒしてくる。自分が否定されているような錯覚だ。
 そう、実際にそれは錯覚だった。そもそも、会って、数十分ばかり話をしただけで、その人間の全てがわかるわけではない。
 だが、受けている側は、そうは思わないものだ。
 自己否定が重なると、自分という存在が認められなくなってくる。面接会場ではひとりきりだし、そもそも友達もいない黒崎は、頼る相手などいるはずもない。
 失敗に失敗を重ねる。
 その結果――家の外に出ることが億劫になってきた。
 失敗が100を超えた時。とうとう、黒崎は家から出ることもできなくなった。

 他人の目が怖い。
 自分自身が否定されている。
 そんなはずもないのに、ただ歩いているだけの人にすら、迷惑がられているように思えてしまう。
 自然と家に引きこもるようになった。家の中にいると、今度は出られなくなる。
 一日出ないと翌日も出られなくなり、それが三日になり、一週間になった。
 家族も、自分が就職活動で苦戦をしていたことは知っていた。それだけに、声もかけられなかった。
 そうして、黒崎誠一は、引きこもりとなってしまった。

◇ ◇ ◇


 目を開くと、色あせた天井が見えた。
「……」
 起きあがり、周囲を見渡す。
 硬めのベッドと、ローテーブル。本棚には何も入っていない。家具といえば、それだけしかない。
 一瞬、自分がどこにいるのか、わからなかった。ゆっくりと寝ぼけた頭がさえてくるにつれ、今までの出来事が思い出されてくる。
「そうか……、異世界に」
 そう、自分は昨日、あの神様になれるという大会に参加したのだ。
 そこは、運営の人が見つけてくれたアパートの一室だった。言われてはいたが、確かに古かった。階段を上るとギシギシと鳴るし、廊下の明かりは薄暗い。
 だが、部屋に入ってみると、最低限の家具はあった。台所にはガスレンジらしきものがあるし、水道はちゃんと水が出る。人間向きの、ごく普通のアパートだった。
 ベッドに横たわり、黒崎は色あせた天井を見上げる。
 こうしていると、日本でアパートでも借りたような気になってくる。だが、ここは現実世界ではないのだ。いや、これも現実なのだから、正しくは異世界とでも言うべきか。
「異世界、か」
 漫画やアニメの世界ではありふれていた言葉。それが現実になると、途端におかしい。
 だが、まずはここからなのだ。
 自分という存在を変えるため。自分という存在を捨てるため。
 そのためには――。
「何を、すべきか」
 大会のルールは聞いた。何かの勝負をし、勝利して、相手に自分を認めさせること。それがルールだという。
 だが、自分が勝負して勝てる種目など、果たして存在するのだろうか。
 実家の自室で死んだような生活をしていた時にやったことといえば、漫画やラノベを読むこと、ゲームをすること、まあそれくらい。
 時間だけは無駄にあったが、何か努力をしたかと言われればそんなことはない。
 体力はないし、筋肉もないし、頭が良いわけでもないし、異世界無双できるような知識があるわけでもないし。
 とにかく、何かにつけて普通。というか普通以下。そんな自分にできることが、果たしてあるのか?
 だが、何もしないわけにはいかない。実家で引きこもりをしていた時なら最低限、死ぬことだけはなかったが、今ではそうもいかない。
 とにかく、せめて家の外に出なければ。そうしなければ、何も始まらない。わかってはいるが、いったん腰を落ち着けてしまうと、今度は外に出ること自体が億劫になる。
 出不精症候群。目の前にある普通の扉が真実の門みたいに見えてくる。そんなに頑丈でもなければ、開けたところで体が持っていかれるわけでもないが。
 家の外に出るべきか引きこもるべきか、普通の人間ならば悩むはずのないポイントでさっそく悩んでいると、
「あっ!? お兄ちゃーん!?」
 部屋の外から、女の子の声が聞こえてきた。薄っぺらい木造アパートの壁なので、外の声もよく聞こえる。
 その、あまりに切羽詰まった声が気になった黒崎は、踏ん切りがついた。玄関の扉を、そっと開く。と、アパートの前庭で、女の子があたふたしていた。
「……?」
 頭に生えているのは銀の毛並、そして動物っぽい耳。毛皮のような上下を着ているが、腰のあたりからはしっぽのようなものが覗いていた。やはりというか、この大会、普通の人間はあまりいないらしい。
 わたわたする女の子を眺めていると、視線がかち合った。
 コミュ能力がない人間の常で、視線が合うと、ついそらしてしまう。が、向こうはばっちりこちらを見ているのが、気配でわかった。
「あ、あの!」
 やばい声をかけられたどうしよう。
 内心で冷汗をかくが、そこは鉄面皮。表情には出ない。
「あの、ごめんなさい! 助けてくれませんか!?」
「助ける?」
 思わず聞き返すと、少女は叫び返した。
「はい! お兄ちゃんが、さらわれちゃったんです!!」
「……はい?」