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センタービルは、幽世の中で、最も高い建物だ。 ここからは空間の全てがよく見える。森、湖、都市、荒地。 それらを見下ろしながら、大会運営委員長ルナ・パルフェは、問いかける。 「それで? 優勝はほぼ決まりなんだ」 「ええ」 振り返る。そこは、運営委員長であるルナ専用の執務室だった。黒檀の机と、来客用のソファが一組。脇にも木製のデスクがあり、今はそこに、受付にもいた女性が向かっている。部屋の隅では、小さな竜が寝息を立てていた。 「黒崎誠一君、ね。何の変哲もない人間みたいだけど?」 ルナの問いに、受付嬢が答える。 「その通りよ。出身世界は『コスモ』。出身国は日本。種族は人間。性別は男性。これといった特技があるわけではないけど、しばらく外出を控えていた期間があり、その間に培った知識と経験――ありていに言って、引きこもりのゲーマーね」 「そんな人間が優勝ねぇ……。英雄も、妖精も、悪鬼羅刹も集めたこの大会で」 「地獄連盟が負けたのは、咲雷が説得に負けたから。不夜帝国は油断と驕りね。ユグヴァールは彼にほだされた」 「ただの人間が、鬼を説得し、吸血鬼を下し、エルフを引き入れたというの?」 「そうなる。ちょっと出来過ぎかしら? これも運命の女神がいたずらした結果かしらねぇ」 「……まあいいんだけど。それで? 彼の願いというか望みは?」 「問題はそれね」 カタカタ、とキーボードを叩いていた受付嬢は、手を止める。 「何もないのよ、彼」 「何もない?」 「そう。そもそも、この大会に参加したのは本当に偶然のようね。他の面々のように、何か明確な目標があり、こういう世界と神の力という存在を明確に知っていて参加したわけじゃない。力というものの存在を信じていたわけじゃないから、力の使い方なんて考えたこともない。とりあえず参加しただけなので、目標もない」 「……そう」 ルナ・パルフェは再び視界を幽世へと移す。 広がる夜景。その向こうには、多くの命が住んでいる。それら雑多な者たちの主となる男。 それが、何の目標もない、ただの人間? 「それはそれで悪くないんだろう、けど……。面白くなさそうな気がする」 「面白くない?」 「だって、小市民の権化みたいな男じゃない? たとえば彼が力を手にしたとして、その力でどこかの世界を焼き尽くしたり、奴隷を作ったり、自分が好き勝手するための王国を築いたりすると思う?」 「しないでしょうね。きっと」 「そう、だからなーんにも面白くないの」 ばっ、と両手を広げ、ルナは続ける。 「ボクが見たいのはね! 嘆き悲しむ人々であり、羞恥に苦しむ人々であり、絶望の淵に堕ちた人々であり! そういう姿を見たいの!」 「相変わらずねぇ、あなたは」 嘆息し、しかし、受付嬢はたしなめたりしない。 彼女がそういう存在であると、よく理解しているから。 「面白くない奴が眷属の仲間入りなんて、ボクは認めないよ」 「じゃあ、どうするの?」 「保険を使う」 パチン、と指を鳴らすと、部屋の隅で丸くなっていた小竜が顔を上げた。 「行くよ」 ルナは窓ガラスに触れると、軽く力を込めた。それだけで、高層に耐えうる強化ガラスがひび割れ、砕け散る。 外からの冷たい夜気を浴び、髪をなびかせながら、ルナは不敵に笑った。 「さあ、ゲームを始めましょう」 とん、と何気ない風に、ガラスの向こうへと飛び降りる。竜が翼を広げ、その後を追いかける。高さ数百メートルの建物であることなど、彼女は気にも留めない。 残された受付嬢は深くため息を吐き、 「ガラス、簡単に壊さないで欲しいんだけどなぁ」 そんなことを言いながら、パチンと指を鳴らす。 次の瞬間には、元通り綺麗なガラスが、はめ込まれていた。 黒崎誠一が目覚めると、何やら屋敷の外が騒がしかった。 身支度し、部屋の外に出ると、獄卒たちがあわただしく駆け回っている。 「何か、あったのか?」 声をかけるのもためらわれるコミュ障。自分の足で、屋敷の外まで出向く。すると、そこには人だかりができていた。 「……?」 見たことのない顔が多数。種族もバラバラで、人間に近い姿かたちの者もいれば、獣人や、地面に足がついていない種族までいる。 「これは、一体?」 「ああ、クロさん!」 振り返れば、アンナが頭の上で耳をぴくぴくさせていた。 「アンナ。この騒ぎは?」 「みなさん、ノーネームの仲間になりたいという方々です」 「僕らの?」 アンナはこくりと頷く。 「ほら、なんだかんだで、サキさんのところ、ヴァルトさんのところ、シャルロットさんのところと、大所帯をみんなまとめちゃったじゃないですか」 「それは……、まあ、確かに」 「結果的に、うちが一番の大所帯になっちゃいました。そのせいで、勝ち目がないと思った他の参加者さんが、ならここに来ようと」 「それは、白旗をあげた、ということか」 「そういうことです。ただ、大半の人は、白旗をあげる代わりに、自分の願いを聞いてくれという人ですが」 「ああ、なるほど」 まあ、気持ちは分からないでもないが。 これだけの大所帯。どんな勝負でも、それなりに強い者が誰かしらはいる。やはり数は力だ。 その中において、単独、もしくは少人数のレギオンは、当然ながら戦ったところで負けるだけではある。それよりは、現実的な問題で、相手にゴマをすってでも何かしらのプラスを得た方が利益が多い。そう判断したのだろう。 「今、獄卒の皆さんで、それぞれの要望をまとめている最中です。実際にレギオンメンバーにするかどうかはクロさんでないと判断できませんから」 レギオンメンバーにするかどうか、決定権は黒崎だけが持つ。これはレギオンリーダーの特権だ。メンバーが勝手に他のレギオンに参加したり、勝手に勝負を挑んでは、大会が成り立たない。 「朝食が終わったら、リストを見て、クロさんが判断してください」 「ああ、わかった」 黒崎は小さく頷いた。 朝食を終えた黒崎は、客間でコーヒーを貰いながら、リストに目を通していた。 こうしてみると、本当に色々な参加者がいたのだと思う。要望も様々で、 『彼氏が欲しい』 『故郷の皆が飢えている、豊かな土地が欲しい』 『女の子に生まれ変わりたい』 『食べても太らない体にして欲しい』 『とにかくお金が欲しい』 などなど。正直すぎる願いから、切実な問題まで様々だ。 けれど、根幹は同じように見える。 「今が不満、か」 現状に満足していれば願いなど生まれない。現状が不満だから、願いが生まれるのだ。 それらを叶えるのは――もちろん願いをそのまま叶えてあげることも、神様の力ならできるんだろうが――きっとそれでは、何も変わらないだろう。今の願いが叶ったところで、“餓えている”以上は満たされない。 それが、黒崎にはよくわかる。今の自分では駄目だ、と思う気持ち。 では、どうなればいいのか。どうすれば幸せなのか。 結局はそんなものなど、ないのではないか。 「仲間がいて。食べるものがあって。それで……、それが、全て」 他種族であろうとも、人間と変わらない。 心と体が満たされれば、それで事足りる。体が満たされていない人たちには、神様の力を振るえばいい。だが、心を満たせていない人々には、何が必要なのか。 きっとそれは、神様の力だけでは足りない何かがあるのだ。 「……それを、僕が」 優勝候補。そんな風に、自分のことを考えたことはなかった。 だが、優勝が現実的に見えてきて、神様の力が手に入るかもしれないとなって。 自分に何ができるのか。自分は何をしたいのか。自分は何をすべきなのか。そんなことを、今さらになって考え始めていた。 そんな折、扉が控えめにノックされた。遅れて、アンナが顔を出す。 「あの、クロさん。お客さんなんですが」 「リストの追加か?」 「いえ、そうではなく。……ルナちゃんです」 「ルナ?」 大会初日に見た、あのアイドルが思い起こされる。同時、いつぞやの喫茶店で見た、あの畏怖を与える影も。 「……わかった。会おう。ここまで案内してもらえるだろうか」 「はい、わかりました」 自然、黒崎の表情が引き締まる。彼女は一筋縄ではいかない。 それが、ただの人間に過ぎない黒崎にも、わかってきていた。 |