少しだけ待っていると、アンナが一人の少女を連れて戻って来た。
 今日は白っぽいワンピースに、可愛らしいリボンで着飾っている。肩口には、見覚えのない真っ赤なドラゴンが乗っていた。
「やっほー。黒崎君」
「こんにちは、ルナさん」
 席を立ち、出迎える。ルナにソファを勧めつつ、黒崎はそっとアンナに耳打ちした。
 アンナは小さく頷き、部屋を出て行く。
 ルナは黒崎が勧めるまま、対面のソファに腰かけた。そして、にこりと笑い、
「すごいねー、黒崎君。優勝候補なんだって?」
「偶然、さ」
「いやいやいや。そんなことないよ。全部、黒崎君が頑張った成果だからね。でも、だからこそ、大会運営委員として、聞いておきたいことがあったんだ」
「聞いておきたいこと、とは」
「えっとねー。黒崎君ってさ、人間だよね」
「ええ、そうですが」
「それでね? 黒崎君は、優勝したら何をするの?」
「何を、ですか」
「うん、そう」
 ルナは肩に乗ったドラゴンをなでながら、
「人間だとさ、よくある願いは『永遠の命』かな。あとはお金、それに、女の子! 美味しいものを食べて、ハーレムを作って、嫌な奴はけちょんけちょんにしてー。だいたいそのへんが願いになる。エルフとかだとまた違うんだけどね。それで、黒崎君の願いは何かなって。やっぱりそういうの?」
「……正直、どれも興味がない」
 ぴたり、とルナの動きが止まる。
「どれもって? 今挙げたの全部?」
「ああ。永遠に生きてもつらいだけだと思う。それに、誰かを傷つけたいとは思わないし、大金も必要ない」
「じゃあ、優勝したらどうするの?」
 黒崎は、さっきまで見ていたリストを持ち上げた。
「これは、僕のレギオンに参加したいと言ってきた人たちの願いなんだが」
「うん」
「切実なものから、叶えてあげたいと思う。誰かを傷つけない範囲で」
「……へぇ」
 すっ、とルナの目が細くなる。そのことに気づきながらも、黒崎は続ける。
「僕は、誰かを傷つけたくない。誰かが泣くようなところも見たくない。でも、願いを持っている人の中には、今のままじゃ泣くことしかできないような人もいる。そんな願いを持つ人には、力が必要だと……、思うんだ」
「それが、君の願い?」
「ああ。誰かが泣いて、それでハッピーエンドにはならない。僕は、みんながハッピーエンドを迎えられるようにしたい」
「君自身の幸せは?」
「僕は……、とくには」
 そう、自分に幸せなど不釣り合いだ。
 親すらも見放した自分。結局のところ、前向きな自分というのには、まだ出会えていない。
 否、この大会に参加し、わかったことがある。
 叶えたい願いがある人は、強い熱を持っていた。反して、自分は冷めきっている。
 氷を熱すれば氷ではなくなるように、自分には熱というものが合わないのだ。シャルロットのように命をかけて仲間の屈辱を晴らすなんて自分にはできないだろうし、ヴァルトのように好き勝手をして後ろ指をさされることもできない。
 自分には、とかくそういう姿が向いていないのだ。
 思えば、大会に参加すれば、何か変われるんじゃないかと思っていた。けど、そんなことはなかったのだ。
 人間は、変わろうとしなければ変わらない。そんなことを、思い知らされた。
 屑は屑だ。
 そんな存在が願いなど、おこがましい。
「……面白くない」
 ぽつり、とルナが漏らす。
「そう、面白くないんだよね、それは」
「なら?」
「死んじゃえ」
 次の瞬間。扉を弾き飛ばす勢いで、銀光が閃く。
「ッ!!」
 気づいた時には、目の前に剣があった。剣と刃が、ギリギリのところで競り合っている。
「お前。何のつもりだ?」
 聖剣の主――ライルが、ルナをにらむ。
「この大会は殺しご法度。お前が自分で言ったんだろう」
「参加者なら、ね。ボクは参加者じゃない」
 手に持ったナイフを翻し、ルナはとん、と飛び跳ねた。
 壁に足をつき、そこで止まる。重力を無視した姿なのに、違和感は全くなかった。
「これがルールの穴ってわけ。参加者が参加者を殺せば、大会参加の資格を失う。同時、運営委員のボクが参加者を殺しても、もともと参加者じゃないんだから関係ない。そして、レギオンリーダーを失った君たちは、さりとてリーダーになる資格もない。結果、残ったレギオンのリーダーが優勝することになる。つまり、この子がね」
 ルナは肩に乗ったままのドラゴンをなでた。よくよく見れば、その首には、参加者の証であるネックレスが輝いている。
「この子はボクのペットなんだ。ボクに忠実。だから、どう転んでも、優勝者はボクが選べるようになっているんだ」
「……そういうからくりか」
 最初から、ただの茶番だったのだ。
 誰がどう勝とうとも、ルナが全ての帳尻を合わせるようになっているシステム。
「いやいや? ボクもね、優勝した子が面白ければ、そのまま見逃すつもりでいたんだよ? だけどねー。君は面白くない。何が涙は嫌、だ。誰かが泣かなければ勝者は生まれない! 人の嘆きを踏み台にしてこその勝利だ! それこそが面白いんでしょうが!!」
「貴様ッ!」
 聖剣を構えたライルの前で、ルナはにこりと笑う。
「なになに〜? まさかボクに挑もうっていうの〜? ふふふ、無謀だね。無謀だよ!!」
 どん、と壁が揺れる。ルナが跳ねたのだと気づいた時には、すでにライルと刃を交えていた。
「そんなナイフで! この勇者ライルを落とせると思うなよ!!」
「甘いのはそっちさ!!」
 交わった刃。ルナはそのまま、聖剣を無造作につかむ。
「ッ!?」
 そのまま、たいして力をこめた様子もないのに、ライルの体が浮き上がる。
「そーれっ」
 軽い声と共に、ライルの体が壁に叩きつけられた。屋敷の壁が揺れ、ひびが入る。
「ライルッ!」
「甘いよぉ」
 くすくすと笑うルナ。その背後に、ゆらりと揺れる影。
 音もなく振るわれる一刀。それを、見てもいないのに、ルナは手のひらで受け止める。
「なにッ!?」
「甘いって……、言ったでしょ!」
 ライルの時と同じように、刀を握りしめる。その持ち主――フツノミタマノツルギごと、フルスイング。窓ガラスを叩き割り、その姿が外に消える。
 腕を振り切った姿勢。その隙を狙い、室の外からミレイとサキが飛び込む。ミレイはスラスターを吹かし、全速突撃。
 渾身の体当たり。開いた体勢では受けることもかわすこともできない――はずだ。
 なのに。
「ぐッ!!」
 顔も向けず、ルナは軽く片足をあげた。バレエの一幕であるかのように振りあがった足先は、正確にミレイの顎先を蹴り抜き、一回転したアンドロイドは床をこすりながら壁にぶち当たる。
 遅れて天井から降ってきたのはサキ。痛烈なかかと落としを、ルナは頭で受けた。
 トラックが激突するような衝撃。それでも、ルナはまったく変わらない。
「邪魔だよ角付き」
 自分の頭に乗った足をつかみ、再びルナはフルスイング。
「ぐおっ!?」
 扉側に投げ捨てられたサキは、廊下の向こうで激しい破砕音を響かせた。
 黒崎からすれば、一瞬の惨劇。ノーネームが誇る武闘派が、揃いも揃って、一瞬で片づけられてしまった瞬間。
「バカ、な……」」
 サキのパワーは本物だ。聞くところによれば、巨人族だったアトラスさえも一蹴したという。
 ライルの剣も、フツノミタマノツルギの刀も、揃って一級。ミレイとて、一人で戦車すら凌駕するという戦闘能力を持っている。
 それらが、皆、一撃で負けた。
「君は……、いったい」
 震撼する黒崎の前でルナは舞い上がった埃を払う。
「みんな乱暴だね〜。あ、パンツ見えた? えっちー」
「な、に?」
「ふふっ。ああ、冗談を言う気分じゃなかった?」
 ぺろり、と可愛らしい女の子のように舌を出し、ルナは続ける。
「言ったでしょ? ボクは大会運営委員。神様の眷属だよ? この程度で、やられるわけがないでしょう。ニンゲンクン?」
 邪悪な笑みというものを。
 黒崎誠一は、初めて知った。
 アンナに頼み、みんなを呼んでもらったのが、かえって裏目だ。今、この屋敷に滞在していたのは、ライルに稽古をつけていたフツノミタマノツルギだけ。ヴァルトたちは不夜城だし、シャルロットたちは女王の大樹インペリアルツリーにいる。
 残った戦力らしい戦力は、まだ隠れているアンナとブレン、それに照柿氏たちだけ。だが、サキすら敵わない相手に、彼女たちでは分が悪すぎる。
 どうかこのまま、出てこないことを願うくらいしかできない。
「で、邪魔な人、いなくなったね?」
 ルナは、どこからかナイフを取り出した。さっきもそうだ。彼女は、何もないところから、武器を生み出すことすらできる。
 本当に本物の、神様の力を持つ相手。そんな相手に――自分が何をできるのか。
 一瞬だけ考え、黒崎はすぐに考えることをやめた。
 考えるまでもない。できることなど、何もない。
「……それで」
 自分にできるのは、こざかしい会話だけだ。
「僕を殺して。君はどうするつもりだ」
「決まっているでしょ? 残った有象無象のメンバーも殺しちゃえば、この子が優勝する。それで大会はおしまいさ」
「それで、君は面白いのか?」
 ぴたり、とルナの動きが止まる。
「君は、面白くないから僕を殺すという。だけど、僕を殺したところで、君が面白くなるわけじゃない。大会をもう一度、やり直すか? 長い時間をかけて」
「……それも面倒だね。でも、君が面白くないことに変わりはない。それとも? 何か面白いことでもしてくれる?」
「僕が君を倒せたら。それは、とても面白いと思わないか」
「はぁ?」
 あはは、とルナは笑った。
「恐怖で頭がおかしくなった? ボクの力は神様の力。どんな種族もボクには敵わない! 鬼だろうが悪魔だろうがね。君たちが束になったところで同じさ」
「力では、そうだろう。だけど、そうではない可能性もある」
「ないよ、そんなもの」
「君はエルフだ」
「……」
 再び、ルナの動きが止まった。今度は、注意深く黒崎のことを観察している。
「確かにそうだよ。それが何?」
「つまり、君の力は後天的に得たものだ。先天性のものじゃない。生まれ持って……、と呼ぶのが正しいのか分からないが、最初から神様としての力を持っていたのなら、君は『エルフ』ではなく『神』であったはずだ」
「……まあ正解だよ。確かにボクは、エルフの中で唯一、神様の力を得た。後天的な力だ。だけど、それがどうだと?」
「分からないか? 君は、後天的に与えられた力で無双し、自分は強いぞとうそぶき……。そんなことをして、面白いわけがない」
「へえ?」
「勝利――、努力し、得難いものを手に入れた時の熱、それだけが自分を満たしてくれるんだ。他人から与えられた力で満足できるはずがない」
「なるほど。一理あるね」
 小さく頷いたルナは、
「それで? じゃあどうすればボクは満足できると思う?」
「簡単だ。手に入りにくいものを努力して手に入れれば、それでいい」
「手に入りにくいものって?」
「他人の心さ」
 とん、と黒崎は自分の胸を叩き、
「勝負だ。僕を屈服させてみせろ。僕が負けたと言えば君の勝ち。言わせることができなければ、僕の勝ち。それが、この大会らしいだろう」
「……いいだろう」
 つかつかと黒崎に近づいたルナは、その胸ぐらを掴む。
「ただ、ここじゃ邪魔が入りそうだね。ボクの部屋においでよ」
「っ!!」
 ぐい、と少女にはありえない力で黒崎を持ち上げたルナは、そのまま、軽い調子で窓の外に飛び出した。

◇ ◇ ◇


 部屋の外で様子をうかがっていたアンナは、青ざめた顔で兄に詰め寄る。
「ど、どうしようお兄ちゃん!? クロさんが連れてかれちゃった!」
「がるるっ」
 落ち着くよう妹に伝えた兄は、
「ぐるるるっ」
「っ……、そ、そうだね。こんな時こそ、しっかりしなくちゃ。じゃあ、お兄ちゃんはシャルロットさんたちを呼んできて! 私はヴァルトさんたちを呼んでくる! あ、それと、照柿さんにみんなの手当てを頼まなきゃ!」
 立ち上がった少女は、銀狼と共に、慌てて駆け出した。