センタービルの中層階。
 そこに、ルナ・パルフェの私室があった。
「……」
 連れ込まれた部屋は、広さを除けばただの女の子の部屋に見えた。
 五十畳ほどの部屋。ピンク色の布団が乗ったダブルベッド。小さな机。足元にはスカイブルーの絨毯が敷かれ、部屋の隅にはクローゼットや棚が並んでいる。
「どう? 女の子の部屋に入ったのは初めて?」
「……いや」
「そう? 君、そういうふうに見えたけどね」
「妹がいるからな」
「ああ、それは女の子の部屋にカウントしないよ」
 くすくすっ、と笑ったルナは、黒崎をベッドの上に放り投げた。
「さあて、君を屈服させるにはどんな方法がいいかなぁ? 激痛? 苦痛? 疼痛? それとも……、あまーい甘い、サービスかな?」
 にこり、と微笑む。それは、初日に見た、あのアイドルとしての笑顔。
「――そうだね、やっぱり心を砕くには、君の半端な心意気が邪魔かな。じゃあ、君にチャンスを与えよう。ボクを殴ってみなよ。一発でも殴れたら、ボクの負けでいいよ?」
「どういうつもりだ」
「別に何も? ああ、神様の力を使うつもりはないから安心しなよ」
「……」
 どういうつもりか。黒崎には測りかねていた。
 神の力を使わないのであれば、見た目にはただの少女だ。華奢だし、腕など自分でも折れそうに思う。
 まあサキのような例外品もいるが、ルナはエルフ。およそ見た目通りの腕力と思っていいはず。
 では、何が?
 ――分からない。
 分からないからこそ、黒崎は無造作にベッドから起き上がろうとした。
 そして気づく。
「ッ!?」
 いつの間にか、目の前にルナが立っていたことに。
「遅いよ」
 次の瞬間には天地が一転していた。
 自分がなぜ、床に転がっているのか、理解できない。遅れて頭に痛みが走る。
「投げ、られた……、のか?」
「正解だよ。ボクは知っての通り長命種エルフだ。見た目には幼い女の子に見えるかもしれないけど、実年齢はそうじゃない。長く生きて、その間を他のエルフみたいに薄まった生き方をしなければ――何かを極めるなんてことは造作もない。武術とて、この通り」
「ッ!!」
 完全に見誤っていた。
 挑発し、神の力さえ使わせなければ、まだ勝機はあるだろうと。
 とんでもない。自分と彼女では、文字通り生きてきた桁が違う。若い肉体と老獪な戦術を兼ね備えた、ありえない戦士を前にしているのだ。
「ほら、敷物じゃないんだ。立ちなよ」
 ぐっ、と持ち上げられた。さほど力を入れたようには思えないのに、体が自然と浮き上がる。
「ほれ」
 すぐさま足を払われ、受け身も取れないまま、頭から床に落とされた。
 ごん、と鈍い音が響き、頭が割れそうに痛む。
 いや、実際に少し出血したかもしれない。ルナの声が、少しだけ遠のく。
「ふふふっ、君、やっぱり全然だね。そんなんでボクと戦おうとしていたの?」
「……まだ、わから、ない」
 今度は自分の意志で立ち上がろうとする黒崎に、ルナは眉をひそめた。
「しつこいね。いい加減あきらめなよ」
 無造作に蹴飛ばされる。床をゴロゴロと転がりながら、それでも黒崎は立つことを選ぶ。
「しつこいって言ってるだろ!」
 容赦のない蹴り。
 そのまま、げしげしと何度も踏み潰される。蹴飛ばされ、踏みつけられ、それでも黒崎の瞳からは光が消えない。
 ルナもまた、普通の人なら躊躇するほどの虐待を平然と行う。
 腕も腹も足も蹴飛ばし、顔面を踏みつける。鼻血が出ても口が切れても、関係なしに暴行を加える。
 それでも。黒崎は、まだルナを見つめる。
「……なんなんだよオマエ」
 いらいらと、ルナは自分の頭をかきむしる。
「なんなんだよ! ふざけるな!」
 とうとう、ルナの方が我慢の限界を超えた。
 黒崎の腕を踏みつけ、そのまま踏み抜く。
「ぐッ!?」
 エルフの魔力を込めた、全力のストンピング。人間の腕など耐えきれるはずもなく、骨ごと砕かれる。
 猛烈な痛み。もはや痛いことを通り越して熱く、ずきずきと脈動に連鎖して痛みが響く。
「ぐ、ぅ……!」
 意図せず脂汗が流れる。それを止める手立てもない。触れるのも怖いし、何もしないのも怖い。
 そんな恐怖心を踏みつけ、黒崎はルナを見上げた。
「君、は。立派な人だ」
「なんだよいきなり。今さら、命乞い?」
「違う。初日に。あの会場で。君は、たくさんのファンを……、得ていた」
 思い返す。
 大会に参加した初日、セレモニーの会場で、彼女は確かに多くのファンを獲得していた。彼女の一挙手一投足に注目している人々が、あんなにもたくさんいた。
「君は、たくさんの人に、愛されている。それなのに、その信頼を、壊すようなことは……、しちゃ、ダメなんだ」
「はぁ? 何を今さら。他人なんて、どうせボクらエルフからすれば関係がない」
「そんな、ことはない。君も、人間と、同じだ。一人じゃ生きていけない。体が生きていけても、心は、満たされない」
 黒崎には――分かっていた。
 腕の痛みなどよりも、よほど恐ろしいものがあるということを。
 誰彼からも見放され、捨てられ、永遠の孤独に落ちる感覚。
 自分という存在を、真っ向から否定される瞬間。
 あの地獄に戻るくらいならば、こんな腕の痛みなど!
 痛みに立ち向かうのではなく。
 もっと恐ろしいものから逃げるように、黒崎は立ち上がろうとする。しかし、勇者でもない黒崎では、腕を砕かれて立ち上がることもできない。結果、うごめいて、這いつくばるだけ。
 無様な姿だった。なのに、目には生気が宿っている。
 ありえない矛盾。
「君は、餓えている。餓えは、苦しい。当然だ。けど、まだ、間に合うんだ。たくさんの人から愛されて、望まれて。君は、そういう存在なんだから」
「そんなの、そんなもの! 何の意味もない!」
「ある!!」
 思い切り声を出すと、ルナは肩をびくりと震わせた。
「あるんだ。意味は。僕のように……、なっては、ダメなんだ。僕は、皆を、不幸にする」
 思い返す、親の顔。
 きっと、たくさん苦しんだのだろう。こんな自分を生んでしまったことを後悔しただろうか。こんな自分にしか育てられなかった自分を悔いただろうか。
 否。両親は、何も悪くなかった。ただ、自分で自分を捨ててしまっただけなのだ。
 そして、最も恩を返さなければいけない相手にすら、その程度しかできなかった自分。
 生まれたことすら否定されなければいけないような自分には――。
「なっては、ダメ、なんだ」
 息を吐くことすらつらい。吸うこともつらい。
 それは、まだ命が繋がっている証拠だった。
 生きていくことは、つらいことだ。
「……オマエ」
 ふと、ルナは顔を上げた。その目が、カーテンに注がれる。
 直後、
「ふッ!!」
 ガシャン、と窓が割れた。カーテンが引き裂かれ、人影が飛び込む。