センタービルの地下空間。
 関係者以外立ち入り禁止とされている部屋の、奥の奥。
「……」
 そこには、巨大な鎖が繋がっている。
 センタービル中央の柱に巻きつけられる形で、大人よりも大きな鎖が、四方八方に伸びている。
 見た目にはただの鋼鉄だが、実際はそうではない。神様の力によって作られた、鎖の形を模しただけの霊具だ。
 実際、気象的にはあり得ない土地と土地を繋ぐために、こういう手段を取っていた。
 だが、自分には砕ける。
 ルナ・パルフェは、鎖を見上げながら、ひとりごちる。
「なんだよ、みんなして」
 信頼。仲間。
 そんなものは、存在しない。本当に頼れる仲間なんて、いるはずがない。
 いざという時、他人は自分を裏切るのだ。本当に苦しい時、助けてくれる人なんて、誰もいない。
 だから、自分は神になると決めたのだ。神の眷属となり、自分を裏切った者を皆殺しにし、こうして生きてきたのだ。
 なのに。
 ギリッ、と歯が鳴る。怒りか、口惜しさか。
 自分の中で渦巻く感情。それを握りつぶし、鎖に手を伸ばしかけたところで、止まる。
「……?」
 何やら、後ろが騒がしい気がする。
 振り返ると、大きな両扉が見えた。自分が先ほど入って来た扉だ。
 それが、ゆっくりと開く。
「ッ!!」
 ぎぃ、と音を鳴らしながら開いた扉。逆光となる影。
 だが、その人物の顔など、見るまでもなくわかっていた。
「黒崎ッ……!!」
「会いに来たぞ、ルナ」
 後ろから仲間を引き連れ、黒崎誠一が入ってくる。その姿に、またぞろ、ルナの中で怒りが燃える。
「どうやって、ここまで入ってきたんだい。各層には、お遊びで作った関門がたくさんあったはずだけど?」
「あの程度。僕の仲間たちなら、造作もなかった」
 黒崎が振り返ると、仲間たちが声をあげる。
「論理パズルなんて、エルフの主たる私には問題にすらならないわ!」
「高速飛翔する鍵というのはユニークでしたが、あの形状では飛翔速度に難がありますね」
「クソ重たい扉で閉鎖したって、鬼と巨人にはどうってことねえな!」
「あの狭いダクトの向こうにスイッチというのは悪辣だな。だが、我は吸血鬼。その気になれば霧に姿を変えることも容易なのだ」
「――なるほどね」
 十からなる『難関』。最初は、何かのお遊びに使えればと作っただけだったが、これだけ多種多様なメンバーならば、誰かしらは突破が可能というわけか。
 頭脳も、腕力も、特殊な能力すら要される関門の数々。あれを突破できるのだから、総合力は並大抵ではない。まあ、この幽世に集まった有象無象の象徴みたいな連中なのだから、当然といえば当然か。
「でも、ここでゲームセットだね。君たちにボクを止める術はない」
「そうだな」
 先頭に立つ黒崎は、軽く頷く。
「確かに、君が世界を壊そうと思ったら、僕らにそれを止める手段はない。君は、僕たちより、ずっと強い」
「そうさ、ボクは強い! 最強なんだ! わかるかい、最も強い者は、仲間を必要としない! 君たちがそれだけの人数を用意しなければ突破できない関門も、ボクならば一人で突破することができる!」
「それは、事実だな。だが、だからこそ、やらせるわけにはいかない」
「いかないならどうする? 君が何をしたところで! もはや手遅れさ!」
「まだだ」
 そっと、黒崎は手をあげた。
 無防備な手のひら。魔力も持たないただの人間に過ぎない彼は、当然、そんな意味深な動作をしたところで、何かの魔術が発動するはずもない。
「君が、この手を取れば、まだ終わりじゃない」
「理由がない」
「あるさ。これが、君の欲しいものだから」
 すっ、とルナの目が細くなる。
「どういう意味かな」
「僕にしかできないことだ」
「無能力で引きこもりに過ぎない君にしかできないこと? ふざけるのも大概にしなよ?」
「ふざけてなどいないさ」
 にやり、と黒崎は笑う。手を下げ、自分自身を指す。
「頑張って。努力して。けれど報われない。自分自身を否定され、やがて他人を拒絶する。孤独に陥る」
「ボクを君と一緒にしないでよ」
「わかるんだ」
 ルナは、言葉に詰まった。
 彼の言っていることは、おおむね正しい。ただひとつ、違うことがあるとすれば。
「君は、何もできないまま、他人に拒絶されただけだ。ボクは違う。ボクは、自分で他人を捨ててやったのさ。ボクにできないことは何もないから」
「それは、神になった君だろう。そうではない、エルフだった君は?」
「……ッ!!」
 気づいた。気づかれた。
 ルナの背筋に、戦慄が走る。
「君は後天的に神の力を得ている。つまりは、もともとエルフとして生きてきたんだ。エルフは長命種ではあるけど、万能じゃない。できること、できないことがあったはずだ。人間と同じように……、一人じゃ生きられない種族だ」
 黒崎の真剣な目つきが、ルナを射抜く。
「君は、混じれなかったんだ。他の、多くのエルフたちに。僕と同じだ」
「うる、さい。ボクは天才だった! あいつらが悪いんだ!!」
 脳裏によぎる姿。
 数百年以上も前、もはや数えるのも馬鹿らしいほど昔のことなのに、今でもはっきりと思い出せる。
「自分たちの愚鈍を棚にあげて! あげくボクが悪いだって!? そんなわけあるか!! 自分たちが無能だったから、森がダメになっただけじゃないか!! なんでそれがボクのせいなのさ!!」
 長老たちの顔。友人だと思っていた同年代のエルフ。恋人だった男。
 みんなみんな、自分をかばってくれなかった。誰も――、親兄弟でさえ、自分を助けてなどくれなかった!
 だから、決めたのだ。神の力を得た時に。
 他人を苦しめ、踏みにじり、その痛みを自分自身に捧げると。
 他人は信用できない。ならばこそ! 自分一人で、全てを完結させると!
「ボクのことを裏切った連中は皆殺しにしてやった! ボクのことを中傷した連中には最高の苦痛を与えてやったさ! その何が悪いんだ! ボクはボクだッ!!」
「……そうだ。君は、君だ」
 激昂するルナ。反対に、黒崎は冷静な眼差しを崩さない。
 冷え切った、氷のように。
「過去。君に何があったのか、僕は知らない。どれほど苦しんだのかも。それは、みんな同じだ」
 けれど、と黒崎は続ける。
「今、君が愛されていたことも、事実だ」
「あんなものはまやかしさ! みんな、ボクのことを裏切るに決まっている!!」
「そんなことはない。その証拠が、僕の後ろにいるぞ」
 ずらりと居並ぶ面々。それぞれが、小さく頷く。
「こんな……、どうしようもない屑にだって。ついてきてくれた仲間は、いるんだ。ましてや、君ほど愛されている人に、できないなんて。そんなことは、絶対にない」
「ぐッ……!」
 ルナは強く歯噛みする。そんなルナに、黒崎はもう一度、手を伸ばす。
「まだ終わっていない、やり直せるんだ。なら、やり直そう。何度でも。リセットしたって、エンディングになるわけじゃない。ハッピーエンドを迎えたいなら、とにかく進むしかない。それが前かどうかは、進まなきゃわからない」
「――ふざけるなよ」
 ぎゅっと拳を握る。
「ふざけるなよッ!!」
 爆発した感情。
 反論すらできないほど言いくるめられたルナは、その怒りを拳に乗せ、黒崎に向かう。歴戦の強者ですら反応できないほどの、圧倒的な速度。
 当然、黒崎にかわせるはずもない。
 手ごたえは、ほんの一瞬。
「ッ……、カハッ」
 自分の意志を超えて、勝手に血を吐いた。
 腹を貫通した腕が真っ赤に濡れている。熱い血が、滴り落ちる。
 潤む瞳。虹色に揺れる景色の中で、黒崎は、こちらを見ていた。
「これで、満足か?」
 そっと、ルナの頭をなでる。
 その感触に、ルナは目を見張った。ずっと、忘れていた感触だった。
 あれだけ痛めつけてやって。今も腹を貫かれて。苦しくないはずがないのに。
 なんで、こんな――父親のような、優しい手つきができるんだ。
「……なにさ。何もできないくせに」
「僕は、何も、できない。でも、尽力することは、きっとできる」
 誰かのために尽力する。
 幻想だ。助ければ助けてもらえるなんて。
 他人は、才能を食いつぶす。他人は必要ない。
 ましてや、神となった自分には。
 そう、思っていたのに。
「バカだね、ボク」
 羨ましいと、思ってしまった。
 そんな自分に、気づいてしまった。
 あれほど傷つけ、こうして傷つけた自分を。この男は、こんなにも優しい目で見てくれる。
 そんなことができる彼に。そして、そんなことができてしまう彼と、共にいる彼らに。

 ――羨望を覚えるなんて。

「不覚」
 腕を引き抜く。流れるはずの血が、しかし、まるで映画を逆再生するように、戻っていく。
 神の力を使った、治癒術だ。
「君に、ひとつ聞いてもいいかな」
「なんだい」
「ボクは、君の仲間になれる?」
 黒崎は、少しだけ頬を緩めた。
「もちろんだ」
 数百年も昔に諦めてしまったもの。
 それが、こんなにも、簡単に。
「……バカだなぁ、ボクは」
 信じる自分も、信じない自分も。
 自分が愚かだと思う日が来るとは、思っていなかった。
 ルナ・パルフェは、そんな自分に、呆れていた。