私はいつもイヤホンをしている。
 学校でも授業中以外は外さない。それは、音を聞きたくないからだ。
 人の声が嫌い。人の発する音が嫌い。人の生きる音が嫌い。
 人の、気配が嫌い。

 ーー私は、人間が嫌いだ。

 イヤホンをしていると、少しだけマシになる。音楽をかけていればもっと良いけど、そうすると今度は色々と聞こえなきゃいけない音も聞こえなくなるし、プレーヤーのバッテリーも持たない。だから妥協で、イヤホンだけで我慢している。
 Bluetoothのイヤホンは便利なもので、ただ耳に入れているだけで、音楽でも聞いているように見える。
 私は、いつもそうしている。

「あの、不知火さん」

 物思いに耽っていた私は、声をかけられ、顔をあげた。名前を思い出せないクラスメイトが、メガネ越しに私を見ていた。
「プリントを集めてて……。不知火さんもまだ出してないよね?」
 言われて思い出す。そういえば、進路希望のプリントを提出する期限は先週だった。私は金曜日に学校を休んでいたから提出していない。
「先生、朝練で忙しいからって、あたしが代わりに……」
 担任の水戸屋先生は、野球部だかの顧問だ。うちの野球部はまったく強くないし、甲子園どころか地区予選すら敗退する程度だけど、それと練習をサボるかどうかは話が違うんだろう。
 私は鞄からプリントを取り出すと、無言で差し出す。
「あ、ありがとう」
 名前も知らないクラスメイトはプリントを受け取ると、クリアファイルを手に、教室を出て行った。
 窓の外を見る。青い空が見えた。
 窓際の席からは、青空も、グラウンドも、民家の群れも、よく見える。
「……」
 あの町並みに、隕石でも落ちてこないかな、なんて思った。
 そんなことは起きることなく、やがて、授業が始まった。

☆   ☆   ☆   ☆


 帰り道。私はいつも一人だった。
 人が嫌いな私にとって、誰かと帰る道は苦痛だ。こうして一人の方が、心が休まる。
 学校は丘の上にあり、校門を出てしばらくは、なだらかな下り道が続く。左右は並木道が続き、緑色の葉が生い茂っていた。
 図書室に寄り道し、帰る時間を半端なところに調整したので、帰宅部組はとっくに帰っている。部活組は今ごろ絶賛活動中で、私の他に下校する人間はいなかった。
 そんな静かな道を歩いていると、木々の間から金色の毛玉が飛び出してきた。
 もふもふの正体は狐だ。綺麗な金色の毛並みで、陽光にきらきらと煌めいている。
 狐は私を見上げ、
「こぉん」
「何、学校まで来て」
「なんじゃ、つれぬのぅ。愛しの君に会いに来ただけじゃというに」
 どろん、と妖気が立ち上る。次の瞬間、狐が居た場所には、一人の女性が立っていた。
 美しい金色の長髪。透き通った白い肌。背丈はすらりとしているけど、出るべきところはきちんと出ている。道を歩けば男どもが振り返るような美女。
 見ての通りで、彼女はただの狐じゃない。千年を生きる妖狐ーーというのが本人の言。本当かどうかは確かめようがないけど、妖狐であることは間違いないようだ。
 妖狐のタマ。私の同居人だった。
 私に両親はいない。今は、タマと二人で暮らしている。
「学校の近くで狐が出たら目立つって言ってるでしょ。私は目立ちたくないの」
「じゃから、人間もーどになったじゃろ」
「人間モードでも、あなたは目立つのよ」
「なぜじゃ」
「美人だからよ」
 私が言うと、タマはふるふると震えた。尻尾が生えていたら、たぶんブンブンと振っている。
「んもー、美空はすぐ妾を落とそうとする! そういうとこじゃぞ、そういうとこ!」
「どういうとこよ。というか落とそうとしていないわ」
「いけずぅ」
「はいはい。大好きよタマ」
「あぁん、そういうとこじゃぞー」
 くねくねするタマを一瞥し、私はため息をついた。
「置いて行くわよ」
「ひどいぞ美空ぅ!?」
「やかましいわ。あ、そういえば、消耗品で何が切れているんだっけ?」
「むう。消臭剤とゴミ袋じゃろ」
「そうそう。じゃあついでに買っていくから、おとなしくしてるのよ」
「そのくらい、妾が買い出しに行くぞ」
「あんたに買い物でうろちょろさせるのも目立つでしょ。ナンパされて帰って来ないし」
「妾が人間の悪漢ごときに負けると思うのか」
「この前、風船が割れる音にビビっていたのは誰だったかしら」
「あれは仕方ないじゃろー!? ぱぁんっていったんじゃぞ、ぱぁんって! 猟師の銃声かと思ったわ!」
「妖狐のくせに猟師を怖がらないでよ」
「狐もーどの時は本能が勝るのじゃ、仕方ないのじゃ」
「はいはい。役に立たないお狐様は家で待ってなさい」
「やーくーにーたーつーのーじゃー!!」
 へばりつくタマを乗せながら、丘を下っていく。
 それは、私にとっての日常だった。

☆   ☆   ☆   ☆


 ドラッグストアに寄り道し、必要なものを買ったところで、お店を出る。
 そこで、タマが足を止めた。
「何?」
「新参の匂いじゃな」
 くん、と匂いを嗅いでみる。わかるわけない。
「獣? つくも?」
「鬼じゃな」
「鬼?」
「ちょっと寄ってよいか」
「ん」
 タマの後を続き、ドラッグストアの脇道を抜けていく。裏通りは住宅街で、人通りはない。
 道端に、グズグズに崩れた赤黒い塊が転がっていた。妖気を無視すれば、腐乱した鳩の死体にも見える。
 妖怪だ。私の目には普通に見えるけど、霊力がない人には存在さえ見えないだろう。
「そこの鬼。顔を出せ」
 タマが声をかけると、グズグズの塊がうごめき、顔が飛び出した。
 焼けただれた肌。小さな三本角。
 首から下はスライム状で、顔だけがカチカチと牙を鳴らしている。
「なんだテメエ。俺様が見えるってことは妖怪か。……ふん、獣だな」
「妖狐じゃ。お主、新参じゃな。妾に挨拶もなしとはどういう了見じゃ?」
「けっ。なんで鬼が獣なんざに挨拶せにゃならんのだ」
「ほう。口のきき方がなっておらんな。誰の配下じゃ? 鈴鹿か? 紅葉か?」
「はんっ。そんな腑抜けた連中、鬼と一緒にされちゃ迷惑よ」
 けらけらと笑った小鬼は、タマをにらむ。
「今に見てろよ。この国は鬼が支配する」
「ふっ。鬼ごときが百妖の長になれるとでも思っておるのか」
「なるさ。そのうち、でっかいことが起きるぜ。その時が楽しみだなぁ、おい」
 ふっ、と妖気の密度が増す。タマの放つ怒気だ。
「……何をするつもりじゃ。事と次第によってはただでは済まさぬぞ」
「誰が言うもんか」
 ひょい、と小鬼は物陰に姿を隠す。気配はすでになかった。
「知らない鬼なの?」
 怒気を収めたタマは、ふう、と息を吐いた。
「うむ。それにしても、何かをしでかすつもりなのが気にかかるの」
「鬼ってそんなにヤンチャだっけ」
「まあ、大人しくはないの。妖怪の中でも特に好戦的なのが鬼族じゃ。力を試すことが連中の意義というところもある。じゃが、大半の鬼は武士によって封じられておるはずじゃ」
「封印? って解けるの?」
「まず無理じゃな。現代の、陰陽道さえ知らぬ現代人風情では、どれが封印かさえ分からぬじゃろう」
「昔話なんかだと、地蔵とかをずらしたら封印が解けたとかあるけど」
「その程度で封印が解けることはない。というか、その程度で解けておったら、台風のたびに妖怪が蘇っておるわ」
「それもそっか」
 昔は知らないけど、最近は異常気象だかで、崖崩れとか墓石が倒れたりとかはよくある。
 確かに、そのたびに妖怪が復活した、なんて話は聞かないし、妖怪が町を壊した、みたいなニュースもない。
「封印には解除の術式が必要じゃ。それは、その時に使った封印の術式と対になるものでなければならぬ。封印の術式は我流のものも多かったし、適切な対の術式を見極めるのは本職でも困難じゃ」
「鍵穴に合う鍵が必要、みたいな?」
「端的に言えばそういうことじゃな。そして、ほとんどの鍵は失われた。封印を解除する方法などないに等しい」
「……でも、あの鬼は誰かが復活する、みたいな感じだったのよね」
「うむ。じゃが、この町はずっと昔から妾の縄張りじゃ。ここに封じられた鬼はおらぬ」
「じゃあ、なんであの小鬼はあんなに偉そうにしていたの?」
「う、む……」
 タマは口を閉ざす。
 そう、よくわからない。
 子分の鬼が、親分が蘇るからすごいんだぞー、って言うのは、田舎のヤンキーみたいなイメージがある。つまり、自分たちのテリトリーから離れたところではイキがれない、みたいな。
 でも、あの鬼は強気だった。妖怪としてはそれなりに力があるタマにもビビってなかった。自分より確実に格上のタマと会ってビビらないってことは、自分の主は、もっと強いという確信があったんだろう。
 そんな妖怪、町に封印されていれば、タマが知らないはずがないんだけど……。
「まあ、そのうち調べておくかの」
 タマの言葉が、ちょっとだけ耳に残った。