あれよあれよという間に、修学旅行当日となった。
 私はリュックサックを背負い、集合場所の東京駅に来ている。と、小動物がめざとく私を見つけ、手をぶんぶんと振り回した。
「おー、ちゃんと来たね、みくちゃん!」
「前から思っていたけど、その名前で呼ぶやつ、なんとかならないの?」
「ならない」
 うざい。
 東京駅の団体待ち合い広場は、地下の、少しばかり薄暗い場所にあった。暖色系の光に照らされ、同じ制服姿の女子が並んでいる。
「今日はよろしく」
「出たな」
「出るさ」
 中性はいつもと同じく、つかみどころのない雰囲気。制服のスカート姿ではあるけど、男性のような凛々しさもある。
「ちなみに美空、僕の名前は?」
「知る必要のない情報は知らない」
「風野祈。名前くらい知っておいてよ。いくら他人に興味がなくてもね」
「どうでもいいわ」
「あ、あの……」
 と、後ろから声がした。振り返ると、おどおどとした眼鏡女。
「なんだっけ、委員長?」
「すごい、不知火さんが人を識別した……!」
「それで驚かれるってどうなんだい」
 いやまあ、進歩だと思うんだけど。
「あ、あの、あたしは忍足おしたりです。忍足明美」
「新幹線に乗る頃には忘れてるから大丈夫」
「あ、うん……」
「もう少し覚えていようよ」
 必要のない情報は覚えないんだってば。
 それよりも。私にとって重要なのは、京都に行って、こいつが何をしでかすか、だ。
 もちろん、だからといって私に止める理由があるわけじゃない。権限があるわけでもない。
 だけど、見届けなければいけないような焦燥感が、どこかにある。
 私のなかで、何かが渦巻いている。
 
☆   ☆   ☆   ☆

 
 京都までは新幹線で2時間ちょっと。到着後は班ごとに自由行動で、夜に指定されたホテルまで到着すればいいらしい。私は行きたい場所なんてないので、他のメンバーに行き先を委ねた。結果、中性の意見が通り、郊外へと行くことになった。
 京都駅から、奈良まで続くという電車に乗り換えてしばらく。降りた宇治とかいう駅は、傍目には関東の町と大差ないように見えた。
「で、これからどこに行くのー?」
「あ、平等院に行きます」
 委員長の案内で、四人で揃って歩き出す。
 市街は、はっきり言えばただの町だった。京都の中心部に近い方は歴史ある感じなのだろうけど、こちらは本当に普通だ。
 大きな川沿いを歩き、植垣の脇を進むと、入り口があった。
 平等院・鳳凰堂。10円玉になっているくらい有名な建物なので、誰でも知っている場所だろう。けど、実際に見てみると、それほど立派な感じはしない。ちょっと大きめの神社っぽい建物といったところか。目の前には池があり、観光客が写真を撮ったりしている。
 平等院の館内を見て回るツアーがあるということだったけど、私は興味がないので、池のほとりで待つことにした。
「……」
 特に意味もなく、池の外周を歩く。と、池のほとり、古い松の木陰に、中性が立っていた。
「ん、君も中に入らなかったんだ」
「興味ないもの。あんたこそ、平等院に来たいって言った割には、中には入らないのね」
「建物の中には意味がないからね」
「ふうん?」
「見て分かるかな。平等院の建物、というか、神社は定期的に立て替えたり、修復をしたりするんだ」
 言われて見ると、なるほど、そういえば何百年と経過した割に、赤い色が鮮やかな気がする。
「神様はね、新築を好むんだ。だから神社は定期的に立て替える。まあ、木造だから、定期的に立て替えないと持たないっていうのもあるんだろうけどね」
「まあ、そりゃそうでしょうね」
「ところでさ、国宝ってあるでしょう? あるいは、国の重用指定文化財とか。そういう風になるとね、勝手に修復したり、立て替えたりができなくなるんだ」
「有名な神社なんてみんなそういう指定があるんじゃないの? ……じゃあどうするわけ?」
「一部だけ改修したりするそうだよ。あるいは随時とか。変な話だよね、人間が決めたルールで、神様への祈りとか、伝統とか……。ずっと守られてきたものが無理やり、ねじ曲げられてしまうんだ」
「神様へのルールも人間が決めたものじゃないの?」
「まあね。けど、重みが違う。本来、国宝指定というのは、歴史的に重用なものを後世まで残すためのものだ。そういう意味なら、立て替えるという神道の文化、それこそが残されるべきだった。なのに、国はそれを認めなかった」
「ふうん。何が言いたいの?」
「下らない大人のルールで、人間としての根幹が揺るがされるなんていう、つまらない話さ」
「根幹?」
 中性は頷き、
「神道だけではないけれど、他人にとっては無駄に見えることでも、その人たちにとっては、人生の一部を構成する重用な要素ってのがあるんだ。それは他人の手で犯されるべきではない、尊厳という領分だ。けど、人間はたやすく尊厳を踏みにじる。それが当たり前のような顔をして、それがより良い世界のためだなんてうそぶいてね」
「……」
 尊厳を、踏みにじる。
「僕はそういうのが嫌いなんだ。君と同じくね」
「で?」
「だから、僕は君と仲良くなれそうだなって思うんだよ」
「私は思わないわ」
「人間と仲良くできないなら、僕が人間じゃなければ?」
「あんたは人間でしょ」
 私が言うと、中性はくすりと笑った。
「確かに、僕は人間だ。でも、遠からず人間ではなくなる」
「何をするつもりなのか、いいかげん教えたら?」
「……京都はさ。その昔、たくさんの妖怪がいたそうだね。百鬼夜行と呼ばれていた」
「で?」
「僕はね、そんな光景、見てみたいと思うんだよ」
「そう」
 ふと、声がした。振り返ると、小動物と委員長が戻ってくるところだった。
 中性はくすりと笑う。
「ここまでかな。修学旅行、楽しめるといいね」
「あんたも楽しむつもりはないんでしょ」
「そんなことないよ。今も楽しいもの」
 くすくす、と笑う中性。
 その横顔に、疑問がひとつだけ沸いてきた。
「あんた、人間嫌いなの?」
 私の問いかけに、中性の笑みは少しだけ影を帯びた。
「好きだよ。大好きさ。だからこそ、頑張ろうと思うんだよ」

☆   ☆   ☆   ☆


 夜は京都市内に戻って宿泊した。
 旅館の部屋も班ごとだ。中性は、少なくても旅館では何かを仕出かすつもりはないようだった。
 特に何も起きずに夜は更け、朝を迎える。
 旅行の二日目は、奈良市街の観光だった。団体バスで東大寺に向かい、集合時間までは自由行動となる。
 私たちの班は、東大寺の近くにある春日大社へ向かうことになった。本当に寺の目と鼻の先に神域があり、神社があった。
「ふうん」
 広い道と、左右に伸びる木々。神域の雰囲気は騒がしい学校などとは違い、私の気持ちを少しだけ安定させてくれる。
「あ、鹿だー!」
 小動物が騒ぐ。見ると、なんでもない通路に、当たり前のように鹿が歩いていた。
「この鹿は野生の鹿だけど、人間に慣れているよ。とはいえ、怒らせたりすると危ないんで、優しくね」
 とは委員長の弁。
 なるほど、野生という割に、人間を怖がっている様子はない。大きな鹿も、一見すると子鹿のような鹿もいるが、人間が近くにいても嫌がる様子がない。半分ペット、町でエサを貰っている猫みたいなものだろう。
 とはいえ安全のためか、角は切られていた。鹿の角は毎年生えてくるものだから、切っても問題ないんだろう。
 神社の中では神職らしい人たちが行き交い、落ち葉を掃除したりしている。
「うん。やっぱり神社の方がいいね」
 いつの間にか隣に立っていた中性。私がにらんでも、中性はまったく意に介さない。
「お寺はね。どこか、贅沢の匂いというかな。お金の匂いがして好きじゃないんだ」
「普通、お寺の方がお金を使わないものじゃないの?」
「まあ、そうだろうね。寺は悟りを開くための修行場という位置付けのはずだよ。とはいえ、東大寺を見ただろう? あの巨大さを」
 確かに、東大寺は門も大仏殿も、人間の何倍もの大きさがあった。あれを作るのは簡単ではないし、作るとなればお金も相当かかっただろう。
「悟りを開く、仏を敬う。それが人間には簡単にできないから、大枚をはたいて仏像を作ったり、寺を作ったりするんだ。そうやって、悟っていない自分でも地獄行きにはならないと信じるんだよ。まさに、地獄の沙汰も金次第ってやつだ」
「お金がかかるのは神社も同じじゃないの?」
「そうだね。神社は国の繁栄や人々の安らぎを願う場所だ。一方で寺は自分が悟るための場所。言うなれば、神社は正しく生きられるように願う場所であり、寺は正しく死ねるように願う場所だと思っている」
「正しく死ねる、ね」
「僕は死後には興味がないんだ。死んだ後もあるなんて、それだけでなんとも救いのない話だと思わないかい」
「……さあね」
 鳥居をくぐり、緩やかな坂道をのぼると、社が見えた。
 春日大社は、東大寺の南大門なんかと比べると、とても小さかった。マンションと一軒家みたいな違い、といったらおかしいだろうか。
「随分と小さいんだね」
「社の後ろには空間が開けてあってね。そこに新築の社を立てて、遷宮の時には差し替えるんだそうだ。つまり、広いスペースがあっても、半分しか使うことができない。必然的に小さくなるんだよ」
「なるほど」
 それが、神社という場所が紡いできた伝統、というものなんだろうか。
 そういえば、伊勢神宮は社を立てるスペースが二ヶ所あると聞いた気がする。神社というのは、定期的にそうやって移住するものなんだろう。
 国宝になってしまうと、それができない。尊厳が奪われる、か。
「……」
 木々のざわめきと、鳥の鳴き声が微かに聞こえる。
 木漏れ日の中、お参りする中性たちを眺めながらーー何が正しいのか、少しだけ考えていた。