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二日目の夜は奈良で一泊だ。
夜半。一旦は眠っていた私も、今は目が冴えていた。そのまましばらく起きていたけど、もう一度眠る気にはなれず、こっそりと部屋を出た。 見つかったら間違いなく教師から怒られるので、バレないように旅館から出る。外に出て通りを歩くと、涼しい夜風が肌をなでる。 明かりは持っていないけど、月も出ているし、街灯もある通り。暗いと感じることはなかった。左右の生け垣が黒々と迫っている。 「こらー、どこに行くの」 聞き慣れた声に振り返る。小動物が立っていた。 「抜け出しているのはあんたも同じでしょう」 「そういう意見もあるね。というか、みくちゃんが出ていくところが見えたから、ついてきたんだよ」 「余計なお世話」 「まあそう言わず」 私の後ろを、小動物が勝手についてくる。何か話せ、という圧力を感じた。 すると、小動物の方から勝手に話し出した。 「春日大社で、風野さんと何の話をしていたの?」 「何というほどのことは話してないよ」 「そう? その割には仲良さそうだったけど」 「私が誰かと仲良しに見える?」 「ほらここに親友が」 「馬鹿なの?」 「あ、はい、割と」 知ってるわ。 「……あいつは、たぶん大きな事件を起こすんじゃないかな」 ふと。そんなことを口にした。 「大きな事件って?」 「あいつは鬼が見えてる」 「……? え!?」 「何をするつもりか知らないけど。京都や奈良に来ていて、見鬼が起こす事件なんてひとつしかないわ」 「ひとつって……?」 「鬼を蘇らせる」 まさか、京都まで来てテロ事件を起こすというわけでもないだろう。まあ鬼を蘇らせるのもテロと言えばテロだろうが。 「大変じゃん!? って、でも、昔の封印なんてそんな簡単に解けるものじゃないでしょ?」 「そうね」 でも、たぶんあいつはできる。その確信が、私の中にあった。 だから今夜、中性がーー風野が部屋を出ていったのに、私は止めなかった。こうして、通りを散歩しているだけ。 そう、私より先に起きて、部屋を出ていったのは、風野の方だった。昼間の感じからして、何かを起こすつもりなのは明白だった。その証拠に、あいつは服を着替え、持ってきた鞄も持って行った。きっと、もう帰らないだろう。 小動物たちは寝たまま気づかなかったらしい。私は気づいていたけど、声はかけなかった。 「と、と、と、止めなきゃ!?」 「なんで?」 「なんで!?」 私が足を止めると、小動物も足を止めた。 「鬼は獣を殺さないよ。鬼が殺すのは人間だけ」 「それが一番ダメでしょう!」 「だから、なんで私が人間を守らないといけないの?」 「それはっ……!」 「私は人間が嫌い。嫌いな連中が死んで、なんで私が悲しむ必要があるの? なんで私が守らなきゃいけないの? 冗談じゃないでしょう」 「でも、人間ってそういうものじゃ!」 「知らないよ。それに、鬼が蘇ったところで、私が死ぬわけじゃないもの」 「えっ……」 「あんたは知らないものね」 私が、鬼程度にやられることはない。倒せるわけでもないだろうけど、倒されることもない。 私よりも弱い人間はずっと多い。それに、東京に戻れば、タマもいる。 妖狐のタマは、千年級の古い妖怪だ。タイマンであいつに勝てる妖怪はそうそういない。私と揃えば、たいていの妖怪に負けることはない。 鬼は頭がいいわけじゃないけど、面倒な私たちを相手にすることはしないだろう。そのくらいの分別はある。 だから、私は無事。そのかわり、世の中は地獄になるかもしれないけど。 それは、私には関係がない。 「それは、でも、そのっ……」 小動物は何かを言いたげで、けど、言葉にならないようだった。 小動物の言いたいことはなんとなくわかる。私も、人間としての常識を失ったわけじゃない。 世間では言うだろう。私のような考えはおかしいと、非道だと。 人間は助け合うものだ。命は尊いものだ。みんなそう言う。 でも、人間は私を助けてくれなかった。命だけは繋ぎ、命以外は尊重してもらえなかった。 なら、なぜ私が人間を守る必要があるというのだろう。 これが、私からお前たちへの答えなのだ。 「……行くね」 小動物は旅館の方に駆けて行った。着替えて、風野でも追いかけるつもりだろうか。どこに行ったかもわからないのに? 無駄なことだ。 「ん」 その時。ふわりと妖気が膨れ上がった気がした。 顔をあげる。北側ーー京都の方向か。 思いのほか、妖気が強い。これだけ離れていても感じるほどだから、よほど強い鬼が蘇ったのだろう。 少し前、タマが見つけた鬼を思い出す。 『今に見てろよ。この国は鬼が支配する』 京都から遠く離れた関東にいた鬼でさえ、あれほど強気になっていた。 蘇った鬼の妖力からすると、きっとそれは事実なのだろう。あるいは、私やタマよりも強いかもしれない。 このクラスなら、日本支配なんて容易だ。銃や爆弾で鬼を殺すことはできない。霊力が通っていない武器で、妖気を削ることはできない。 鬼はーー妖怪は、妖気がある限り何度でも蘇ることができる。妖怪の力を削るには、人間の霊力が必要だ。それを普通の人間は操ることができないし、人間が使う武器もまた、霊力が通うことはない。 要するに、もう、蘇った鬼をどうにかする方法はないんだ。小動物は何かをするだろうけど、小動物程度で押さえられる妖気でもない。 「もう遅いってやつかな」 人間は事件が起きてからあれやこれやと議論したがる。 でも、それは意味がないのだ。事件が起きるような社会を作ったのはお前たちだ。 お前たちが今さら反省したところで、傷ついた人間が救われることは絶対にない。だって、もう傷ついてしまったのだから。 人間の心は修復されることなんてない。傷を見ないように、忘れることはできたとしてもーーついた傷が消えることだけは絶対にない。今さら反省して、社会やルールを変えたところで、過去に傷ついた者が癒されるわけじゃない。 未来の誰かを救ったところで、過去の私たちは救われないままだ。 風野の人生に何があったのか、私は知らない。でも、これだけはわかっている。風野は、あいつの信条に従って、正しいと思えることを成した。 明日からの世界は、違う形になるだろう。 それが、少しだけ楽しみに思えた。 |