家の方は割と静かだった。
 鬼の姿もなく、喧騒もない。家の中に入ってしまうと、あまりに日常的過ぎて、外で起きている非日常の出来事が夢か何かではないかと思えてしまう。
 私は床にごろんと転がりながら、タマに風野のことを話していた。
 全てを聞いたタマは、
「なるほどの。鬼を蘇らせる鍵を持っていたということか」
「たぶんね」
「酒天童子は京の宇治に封じられておったはずじゃ。それを蘇らせるのは、一人の力では無理じゃろう。手を貸した妖怪がおるな」
「そういうものなんだ? ってか、酒天童子って大江山に住んでいたんじゃなかった?」
「大江は住処じゃな。人間が奴を封じるとなった時、奴の霊力はあまりに強すぎた。そのせいで都に封じることができず、都から外れた場所にあった宇治に封じたと言われておる」
「ふうん」
「まあ、妾もその瞬間を見ていたわけじゃないがの。人伝に聞いただけじゃ」
 風野が宇治に行きたがったのは、酒天童子が封じられていた場所を見たかったから? まあ、そんなところだろう。
「酒天童子は鬼の中でも別格の強さがあるからの。霊力だけならば妾に劣らぬし、おまけに鬼だけあって力も並ではない。現代の霊能者に、果たして奴を封じられる奴が何人おるか」
「じゃあ、このまま人間滅亡する?」
「そこまではせんじゃろ。いちいち探し出して殺すのも面倒じゃしな。今は……。そうじゃな、増えすぎた害虫の駆除といったところかの?」
「少しでも残したら、また増えるじゃない」
「妖怪にとって人間は増えすぎても困るが、なくなっても困る存在じゃ。人間がおるから妖怪もおる。まあ、せいぜい限られた里に生かしておく、といったところじゃろ」
「ふうん。なるほどね」
「特に鬼は人間しか食わぬという奴もおるからな。言うなれば牧場といったところか」
 こういうことを言うあたり、やっぱりタマは人間じゃないんだな、と思う。
 そしてそれは、私も同じだ。
 妖怪連中が本気になったところで、私を家畜にすることはできないだろう。タマもいるし、そもそも私が鬼にやられるほど弱いつもりはない。
 でも、他の大勢は違う。おそらく大半は殺され、あるいはなぶられる。
 風野の言う、尊厳などというものを欠片も保てない生しか残らないだろう。
「それが風野のやりたかったことなのかな」
「まあ、そんなところかもしれんの。人間の考えというものは、妾にはようわからん」
「まあ、あんたは妖怪だしね」
 妖怪は妖怪。人間とは違う。
 人間が獣の考えを理解できないように、獣もまた、人間の考えを理解することはない。お互いが違う種族なんだから、そんなのは当たり前のことだ。
「それにしても、面白いの」
「何が?」
「お主が人間の名前を認識したことじゃよ」
「……」
「お主が変わって以来、お主が人間を人間と認識することはなかったじゃろ」
「まあ、そうね」
「それだけ、お主の興味を引く人間なんじゃなあ」
 私の興味を引く人間、か。
 それは、少しだけ理解できた。きっと私は、彼女の考え、彼女がそうなるに至った理由に、ちょっとだけ興味があったんだ。
 それは、どこか私に通じるものがあるから。
「まあ、しばらくはおとなしくしておいた方がいいじゃろ。食べ物ならそこらにいくらでもあるじゃろうしな」
「いくらでも?」
「そりゃそうじゃろ。食う人間がいなくなったんじゃ、しばらくは食べ物も余るじゃろう。野山で獣が狩られた時と同じじゃ」
「なるほど」
 コンビニやスーパーには、日持ちする食品が並んでいることだろう。それを食べる人間は片っ端から虐殺されているし、生き残った人も、家の外には怖くて出られないだろう。
 そう考えると、普通に買い出しすることはできるかもしれない。
「まあ、近くになくても、人死にの多い場所に行けば何かあるじゃろ」
「そういうところ、本当に妖怪よね」
「誉め言葉として受け取っておくぞい」
 食うに困ることもない。少なくても今すぐは。
 学校も、どうせもう授業なんてできないだろう。連絡があったわけじゃないけど、連絡なんかできるわけもない。
 となると、とたんに暇なんだな、と気づく。宿題のない夏休みといった感じ。
 日がな一日、何をして過ごせばいいのやら。
「……タマ。暇だし、散歩でもしてみる?」
「よいのか? 外は危ない人間がうろついておるかもしれんぞ」
「そっか」
 危ない妖怪、とは言わなかった。そんな相手はいない。
 でも、人間は人間を襲うかもしれない。法律が守ってくれなくなった現状なら、なおさらだ。
 まあ、暴漢程度、タマがなんとかしてくれるだろうけど。あえてトラブルに巻き込まれる必要もないか。
「……暇ね」
「よいではないか」
 狐モードになったタマが、もふっ、と寝転がる。
 その毛並みをなでながら、私は何かの幻を見ている気がした。

☆   ☆   ☆   ☆


 数日後。家にあった食料を食べ尽くした私たちは、別件ついでに少し離れた町まで食料を探しに出掛けた。
 町中には人っこ一人いない。妖気は感じないでもないけど、近くにはいないようだった。
 もともと、近くの町が妖狐の縄張りということは、鬼の間では知られていることだ。今の増長した鬼たちが気にするようなことではないかもしれないけど、強い妖怪がいる場所にはわざわざ近づかないのかもしれない。
 目当てにしていたスーパーに到着する。入り口のガラス扉は割れていた。店内は暗く、明かりはついていない。
 そのくらいは予想していたので、懐中電灯を手に、店内を探索する。
「……誰かおるな」
 人間モードのタマがくんくんと鼻を鳴らした。まあ、スーパーなら食料もあるだろうし、避難している人がいるのかもしれない。
「そういえばタマ、なんで人間モードなの?」
「人間の建物は人間の体で操作しやすいようにできておるからな。狐でいるよりこの方がよいのじゃ」
「なるほど」
 確かに、狐モードじゃ棚の上には届かないか。
 このスーパーは3階建て。1階は生鮮食品が売っていた場所だけど、どれも腐って異臭を放っていた。
 幸いにもインスタント食品や常温保存できる缶詰などは無事だったので、適当に見繕って拝借する。段ボールに入った飲み水なんかも貰っていくことにした。店員さんはいないから、盗んだところで怒られることもないだろう。
「本当に食べ物が残っているものね」
「食う人間がいなければそんなもんじゃよ」
 乾麺の類は好きだけど、こればっかりってのは栄養的にどうなんだろう。そんなことを思ったので、サプリメントのコーナーに行き、ビタミン剤なんかも貰っていくことにした。
 大きなリュックサックいっぱいに食料を詰め込んだところで、上を見上げる。
「人の気配、上よね?」
「そうじゃな。確認するか?」
「どうでもいいっちゃどうでもいいけど」
「そうじゃなぁ。じゃが、向こうから来るようじゃぞ」
 普通に話ながら食料を漁っていたので、人の気配に気づいたのかもしれない。
 特に隠れるつもりもなく待っていると、エスカレーターを明かりが降りてきた。
「えっ!? みくちゃん!?」
「ん?」
 聞き覚えのある声。明かりの方に懐中電灯を向けると、どこかで見たような小動物の顔があった。
「なんじゃ、こやつ。あの人間か」
「みくちゃん、無事だったんだ……。その女性は?」
 小動物は緩んだ顔で私を見つめる。
「タマ。同居人」
「そうなんだ。よかった……。あ、クラスメイトも何人か、3階に隠れているの。ついてきて」
 まるで一緒に来ることが当たり前といった風に、小動物はエスカレーターを上っていく。
 私はタマと顔を見合わせ、
「どうする?」
「ま、せっかくだし、話くらいは聞いてやってもいいんじゃないかの」
 タマがそう言うなら行くか。
 私は、エスカレーターのステップに足を乗せた。