狐モードのタマは、その気になれば新幹線以上の速度で走ることができる。
 まともに風を受けたらぶっ飛んで死ぬレベルだけど、彼女の妖術か、微風を感じる程度だ。
 宵の口。線路上に新幹線の姿はない。今はどこも電車を動かすどころではない大騒ぎなんだろう。ニュースは見ていないので、正確なところはわからない。ただ、さっきから一度もすれ違っていないから、たぶんそうなんだろうってだけ。
 鬼が現れたのは、当然ながら関東だけじゃない。そもそも鬼が封印されていた京都周辺や、各地の大都市では妖怪が出現しているようだ。鬼の他、混乱に乗じて天狗や河童が動いている地域もあるらしい。
「獣は動かないの?」
「獣妖はもともと人間と敵対するつもりはないからの。無闇に人間を殺したところで、自分の食いぶちが減るだけじゃ」
「そういうものかしらね」
「そういうものじゃよ。野山でエサを探すより、人里で可愛いフリをした方がエサが増えるといったものじゃ」
 そういえば、観光地ではたびたび野生動物にエサをやらないで、っていうのが問題になっているとか。見た目の可愛さでエサを貰えるなら、あえてエサを探すために歩く必要もない。
「鬼は戦いが好きな種族じゃし、中には人間しか食わぬという者もおるからの。必然的に、人間とは敵対するじゃろう。天狗はこすっからいからの、この期に乗じて女でも捕まえようって腹じゃろ。奴らは人間の女がおらんと子を成せん」
「河童は?」
「祭りが好きなだけじゃな」
 渋谷で騒ぐパリピみたいなものか。私とは気が合わなさそうだ。
「各地で妖怪が暴れておるな。こんなに妖気を感じるのは久方ぶりじゃ」
「止めたい?」
「関係ないじゃろ」
「正解」
 そう、私たちが移動しているのは、決して各地での争いを止めたいからではない。
 私の個人的な理由。そのために、少しだけ人間が利するかもしれない、その程度の話だ。
 線路を走っているのは、単にここが走りやすいからってだけ。
 途中で線路を乗り換えつつ、狐モードのタマが全力で駆け抜けた先は、奈良駅だった。そこからトントン、と跳びはねる。
「妾はここまでじゃ」
 鳥居の前に降り立ったタマに礼を言って、私は坂道に足を踏み入れた。
 人が手入れしなくなったからか、あちこちに鹿の糞や落ち葉が散っている。それらを踏みしめながら緩やかな坂を上っていくと、突き当たりに朱塗りの建物があった。
 春日大社。修学旅行で来た場所だ。
 賽銭箱は意外と壊れていなかった。ランタンを手にそこを乗り越え、奥に進む。
「……」
 感じる霊気。そこで、私はお守りを手にした。
 誰もいない社殿の中。しんと静まり返った空気。
「始めるか」
 口にすることで決意を固め、私は祈り始めた。

☆   ☆   ☆   ☆


 奈良で用事を済ませ、再び関東へと戻る。
 もはや公共機関はどこも機能しておらず、テレビ局や警察もどうなっているのか、よくわからない。
 動画サイトではセンシティブな映像が流れたりしているようだけど、そんなものはわざわざサイトで見なくても、ちょっと都市部へ行けばいくらでも見ることができる。
 私は決して死体マニアというわけじゃない。人間は嫌いだし、人間がいくら死んだところで心が痛むわけじゃないけど、だからって死んだ人間をわざわざ拝みに行く趣味もない。
 向かったのは、委員長たちが隠れているスーパーだった。人間モードになったタマと共に店内へ入り、薄暗い寝具売場へ向かう。
「いーんちょー」
 呼び掛けると、メガネ委員長が顔を出した。
「あ、不知火さん」
「小動物の様子は?」
「このみちゃん? うん、少し疲れているみたいだけど、大丈夫」
 ベッドのところへ行くと、小動物が横になっていた。寝ているわけではないらしい。
 昨晩、私は小動物を委員長のところへ連れて来ていた。家を留守にするのに、小動物だけを家に置いて行くのは嫌だったからだ。
 外見の傷はタマの妖術で治っていたし、気分が悪くなったみたい、という私の証言を委員長は素直に信じた。もう少し人を疑うことを覚えて欲しい。
 ……違うか。委員長は、人を疑うということを知らない。そういう人間なんだ。
 小動物のかたわらに立つと、その目がこちらを向いた。
「みくちゃん……」
「小動物、これ」
 私はポケットからお守りを取り出すと、小動物の上に放り投げた。
 家内安全のお守りは、私が奈良で祈りを込めてきたものだ。
「私は鬼退治に興味がない。それは、あんたがやりな。私は私の目的を果たすから」
「みくちゃんの、目的……?」
「風野に会いに行く」
「……!!」
 小動物が体を起こす。私は構わず続ける。
「たぶん風野と酒天童子は一緒にいる。他の部下もいくらかいるでしょうね。私とタマで酒天童子以外の一切を引き受けるから、酒天童子はあんたが封じなさい」
「アタシが、酒天童子を……」
「そのお守りは選別。あんたの力と、そのお守りがあれば、まあ良い勝負くらいはできるんじゃない。勝てるかどうかは知らんけど」
「……わかった。やる」
 ベッドから起き上がった小動物は、少しふらついたけど、しっかりと立っていた。
「タマ。酒天童子の部下、全部潰しといて。私の邪魔ができないように」
「あいわかった」
「オーライ。酒天童子が潰せるかどうかはあんた次第、でも、あいつを潰せば鬼どもは勢いを失うでしょうね。日本の命運はあんたの双肩にかかってる、ってやつだ」
 私が挑発すると、小動物は瞳に強い光をたたえて頷く。
「やるよ。やってみせる」
「好きにしなさいな。別に、失敗したところで私は困らないし」
 私は視線を移し、
「委員長はもう少しここに居た方が良いよ。うまくすれば、明日の朝には普通に戻るだろうから」
「し、不知火さん? このみちゃん? 何をするつもりなの? 鬼って何? 酒天童子って……?」
「知る必要のないことだよ」
「やだよ、ただ心配しているだけなんて……!」
「説明して欲しかったら小動物に聞いて」
 私はきびすを返すと、スーパーから出る。
 朝日の下、むせ返るほどの血臭は、少しだけ弱まっていた。
「行くか」
 風野に会いに。
 それが、私に必要なことだと信じて。