あれが何年前のことなのか、もう思い出せない。
 思い出にあるのは、らんらんと輝く眼と、血まみれの体。
 百の鬼を斬り伏せ、全身を血染めにしながら、なおも戦いたいとウズウズしているような、とんでもない男。

『もう終わりか? もっとかかってこいや!!』

 そう叫ぶあの男が、わたくしは大嫌いだったわ。
 何故って? それは、あの男が、わたくしの愛しき人ーー酒天童子を封じたから。
 後に、その男の名が源頼光と知る。彼の持っていた霊刀は特別で、あらゆる鬼を斬り伏せるだけの霊力が込められていた。
 頼光自身はそれほど強い霊力を持っていなかったから、あの刀を作った男は別でしょう。ならば刀さえ奪えば終わりかと思えば、そうでもなかった。
 頼光という男は、本当にとんでもない男だった。殴ろうが刺そうが、死にはしない。痛みを与えるほどに喜んで、戦うほどに戦いたがるような、とんでもなく好戦的な男。
 人間相手の戦に飽いたとか言うと、妖怪たちを潰しにかかる。それも、殲滅することが目的じゃない。ただ戦うことだけが目的の男。
 鬼たちも戦いは好きで、暴れることが意義みたいなところがあったから、片っ端から頼光に挑んでいった。
 結果的に全員が負け、弱った鬼たちは次々と封印されてしまったわ。わたくしの愛しき人、酒天童子も同じく。
 わたくしは、酒天童子の封印を解くべく、頼光に挑みました。けれど、酒天童子が敵わぬ相手に敵うはずもなく、返り討ちにされてしまった。
 弱ったわたくしは、なんとか野山に逃げ込み、妖力の回復に努めたわ。
 あれから人間の都は移り、人々の数は増え、野山に隠れることもできなくなった頃。わたくしの妖気は完全に回復し、それを隠蔽する技術も手に入れた。
 わたくしは妖気を隠して人里に紛れ、酒天童子を復活させる手助けをしてくれるような人間を探しました。
 ところがいつの間にか、人間は妖怪という存在から距離を置いていた。まともな霊力を持つ人間がほとんどいないのです。
 これでは酒天童子の封印を解除することなどできない。あちこち探しているうちに、人里は変遷していった。
 町ができ、戦か何かで壊れ、再生し、災害で壊れ。そんなことを繰り返す人里で、霊力を持つ人間を探して探して。
 ようやく見つけたのは、一人の女。まだ子供の年頃であったことも都合が良い。
 わたくしはその人間に声をかけました。

 ーー鬼を蘇らせたいの。手伝って?

 それが、この惨状を作り出すきっかけ。
 血と死が飛び交い、怒りと悲しみが渦を巻く、混沌とした世の中。
 わたくしたち鬼が最も喜ぶ、正しき世界の姿が。

☆   ☆   ☆   ☆


「茨木童子さま」
 わたくしの前に平伏した鬼が言う。
「順調に人間どもを殺せております。今の兵はどれも我らに歯が立たぬ雑兵ばかり。武士など一人もおりません」
「そう。じゃあ引き続き、人間たちを殺しなさい」
「御意に」
 そう言って、鬼は立ち去る。
 わたくしは顔を上げた。
 ここは野山の上。視界は開けており、遠くには人里が見える。そこかしこであがっている煙は、火事か、狼煙か。
 切り株の上に座り、景色を眺めていると、思わず笑いがこぼれてしまう。
「くふっ」
 これよ。これこそが、わたくしの見たかった光景。
 あの頼光みたいな、厄介な男がいない世界。酒天童子を頂点とした、鬼の国!
「楽しそうだね、茨木」
「あら、祈」
 顔を上げる。そこにいたのは、制服という衣をまとったおなご。
 風野祈と言う。わたくしを助けた、人間としてはあるまじき外道の女。
「何が楽しいんだい」
「楽しいに決まっているでしょう。人間どもがこんなにも苦しんで死んでいるんだもの」
「君は酒天さえ居ればよかったんじゃないのかい?」
「もちろん酒天童子はわたくしの全てよ。けれど、酒天童子がいれば良いというものでもないわ」
「そうなの?」
「ええ。わたくしが惚れ込んだ酒天童子という鬼は、あらゆる人間を踏みにじり、百鬼を従える存在。そういう姿が見たいのよ」
「なるほどね。彼氏の活躍が見たいってところか」
「……なんだか俗な言い方をされた気がするけれど」
「ああ、気にさわったらごめんね」
 そう言って、祈はくすくすと笑う。彼女が反省しているようには見えない。
「そもそも、あなたに人間の情なんて理解できるの?」
「理解はできるよ。一応、僕も人間だからね」
「人間は鬼を蘇らせないし、他人とはいえ同族が皆殺しにされて喜ぶこともないと思うわ」
「そうだろうか。僕は、これこそ人間としてあるべき姿なんじゃないかと思うよ」
「これが?」
「そうさ。人間は増長しすぎたんだよ」
 増長している。それはその通りだ。
「人間はいつだって死ぬ。それぞれの命は平等に価値がない。なのに、勘違いしているんだ。命は大事だとかなんとか。生き物にとって、個の命にはいかほどの意味もない」
「命、ね」
「まあ、生物ではない君たちとは概念が違うかもしれないけどね。人間っていうのは、個を特別視しているから、ひとつひとつを捨てることに躊躇してしまうんだ。生きるべき人間なんてものはいない。皆、常に死すべきなんだ」
「わたくしも、長く人間を見てきたけれど……。あなたのような人間には会ったことがないわ」
「そう? じゃあ、僕は人間という種族のバグなんだろうね」
「バグ?」
「失敗作、かな。あるいは癌と言ってもいい」
 知ってる? と祈は続ける。
「癌という病気があってね。そもそも人間の肉体は部品ごとにコピーして作られているけど、時々、コピーに失敗してしまうことがあるんだそうだ。それが癌細胞ってやつでね。元は同じなのに、身体という自分たちの国を壊してしまうんだそうだ」
「まさにあなたね」
「そうさ。だから僕は、人類の癌細胞なんだ」
 元は同じなのに、国を壊してしまう存在。
 自分たちが存在する世界を壊して、困るのは自分だ。本来なら、生物がそんなことをするはずがない。
 でも、この女はそうする。
「壊れているのね、あなたは」
「そうさ。でも、それでいい。そんな人間でも認めてしまったのは、人類そのものなんだから」
 認める。個性、か。
 わたくしも、人間の里に紛れていたから、多少は人間を知っている。
 確かに人間は、個性というものを非常に重んじる。そのくせ、個性というものをないがしろにする。矛盾の多い存在だ。
 その極端な形が、風野祈という存在なのかもしれない。
「ただ、そろそろ来ると思うんだよね」
「来る? 何が?」
「霊能力者」
「……現代に生きる霊能力者なんて、全員返り討ちよ」
「そうだね。君一人でも、まともな霊能力者は返り討ちにできると思う。けど、それだけじゃないと思うんだよね」
「それだけではない?」
「たぶん、次に来るのはーー本物の妖怪だから」
 そう言う祈の横顔は、やはり楽しそうだった。