力が弾ける。
 妖気と霊力が衝突し、ねじれ、そしてーー霊力だけが残った。
「終わったわね」
「そうだね」
 あっけらかんと答える風野に、少し疑問を抱いた。
「作戦が失敗した割に、後悔している感じじゃないのね」
「失敗? どこがだい?」
「だって、酒天童子は倒されちゃったでしょ。これで鬼たちの狼藉も沈静化するわ」
「そうだろうね。でも、もう僕の目的は達しているから」
「人が死ぬこと?」
「そして、ただ生きるということの無意味さを知ることさ」
「……まだ聞いてなかったわね」
 私は風野に向き直る。いつの間にか、夕日は沈んでいた。空を光の残滓が照らしている。
「あんた、なんでこんな事件を起こしたの?」
「目的は説明したはずだけど」
「きっかけの話よ」
 私が言うと、風野は息を飲んだ。
「確かに、日本人は生きるだ死ぬだって世界にいないから、生死観ってのがゆがんでいると思うわ。それを憂える気持ちもわかる。でも、だからってこれほどの大事件を起こす、行動のエネルギーにはならない。動機は他にある」
「……慧眼だ」
「簡単よ。実体験だから」
「ふうん?」
 目を閉じる。
 幼い頃から住み慣れた、故郷と呼ぶべき町。
 そして、そこで見たーー死体の数々。
「私、酒天童子が蘇ってから、会いに行ったのよね。私をいじめた連中の、主犯ってやつに」
「へえ?」
 そのついでにスーパーに寄り、このみに会ったのはどういう偶然か。
「死んでたわ。連中、バカみたいにつるんで、一緒くたに殺されてた。ウジ虫が湧いてたけど、たぶん合ってる」
「どうだい? 自分を虐げた連中の無様な姿を見た感想は」
「思ったよりスッキリしなかったわね」
 私の悪い噂を流した女は、両腕が千切られていた。
 私をレイプしようとした男は、体の左半分しか見つけられなかった。
 特に何も考えてなさそうだった腰巾着の女は、ボロボロの格好で嘔吐物にまみれていた。
 見知った顔だ。忘れられない顔だ。
 憎んで、絶望して、恐怖した顔だ。
 でも、そいつらがどれほど無様に死んでも、私の気持ちが晴れやかになることはなかった。
「死んで欲しかったわけじゃないのよ。というか、殺したかったなら、とっくに殺しているわ。私にはタマもいたんだし」
 倫理観など欠片もない妖怪の彼女。私が頼めば、すぐさま連中を血祭りにあげていただろう。妖術で殺せば証拠も残らない。
 だけど、私はそんなことはしなかった。それは倫理観とか正義感とか、そういう類のものじゃない。
「連中の死体に会って、初めて分かったわ。私、連中に謝って欲しかったのよね」
「謝ったくらいで許せるのかい?」
「許すわけないでしょ。でもね、そうしないと始まらない……。ううん、終わっていないの」
 そう。私の中は、まだあの頃のままなんだ。
「殺しちゃったらさ、終わるきっかけ、なくなっちゃうのよね。私はそれを、心のどこかで理解していた。だから殺せなかったんだと思う」
 いつでも殺すことはできた。タマに一言頼むだけ。今日の夕飯はカレーにしてって言うくらいの気持ちで、あいつら殺してって言うだけでよかった。
 でも、そんなことはできなかった。
 人を殺すことにためらいがあったわけじゃない。ただ、私が強い感情をーー憎しみと恐怖とはいえーー持っていた相手を、殺せなかっただけだ。
「人を殺すエネルギーってスゴい力よ。物理的なパワーとは別の、心の強さ。それは、自分を傷つけた相手を前にしたくらいじゃ絶対に足りない。でも、あんたにはそれができた。そのきっかけ、まだ聞いていないわ」
「……つまらない話だよ」
 日が落ちた世界では、風野の顔も見えない。暗闇の中、彼女の声だけが聞こえる。
「僕にもね、無二の親友っていうくらいの子がいたんだ。小学生の時はずっと一緒に遊んだりしていた。けど、彼女は私立中学に進学してね。僕とは離ればなれになった」
「よくある話でしょ」
「もちろんそうだ。それに、学校が違ってもSNSでは話せたからね。そんなに距離が離れたって気はしなかったんだ。最初のうちは」
 一息。風が頬をなでる。
「彼女は、少なくてもSNSで連絡を取り合う中では、変わりないように見えた。実際は違ったんだけどね」
「いじめ?」
「そのようだね。全然気づかなかった。……たぶん、僕に気取られないようにしていたんだと思うよ」
 私もそうだ。いじめを受けていた時、周囲に相談しようなんて思わなかった。
 何故だか、それはとても恥ずかしいことに思えたから。
「僕が全てを知ったのは、彼女が自殺した後さ。葬式に呼ばれて、初めて知ったんだよ。薄情なものだろ? 親友が死んだっていうのに、僕はそのきっかけさえ気づかなかった」
 平坦な声。その声は、不自然なほど、何の感情も込められてなかった。
「自殺の理由は後で知ったよ。死んだ時、彼女は妊娠していたそうだ」
「……」
 その子には。私にとっての、タマがいなかったんだ。
 誰も守ってくれず、自分で戦うこともできず。傷つき、悩み、そして死ぬしかなかった。
「とても後悔したよ。助けられなかったこと、相談にさえ乗れなかったこと。でも、それ以上に僕をたぎらせたのは、彼女が死んだ後のことだ」
「死んだ後?」
「彼女の死後、女学生の自殺ってことで、話題になった。ましてや妊娠だからね。事件性があるってことで学校にも調査が入り、いじめも発覚した。学校関係者は色々と処分が下されたようだけど、いじめた連中は、証拠不十分なうえに少年法もあって、今ものうのうと生きてる。いや、もしかして死んだかな? 確かめてないや」
 くすくす、と風野は笑った。
「とにかく、僕を奮起させたのはいじめた連中でも、無責任な学校関係者でもない。何の関係もない連中さ」
「関係のない連中?」
「ああ。彼女の死はニュースになった。ネットニュースにも流れたし、たくさんのコメントも流れた。それが最高にムカついたんだ」
 ーー自殺までしなくても。
 ーー生きて告訴すべきだった。
 ーーもっと広い世界へ逃げるべきだった。
「無責任だ。無責任すぎる。お前たちに何がわかるんだ? 僕は、僕でさえ相談されなかった。彼女は、僕さえ頼れなかったんだ! それほどまでに、死ぬことしか考えられなかったんだ!!」
 一息に叫んだ風野は、荒げた息を整える。
「……それが理由だよ。日本に住んでいる連中は知らないんだ、”死ぬ方が慈悲になる”っていう、生の苦しみを」
「だから、争いを起こしたの。秩序をぶっ壊して」
「そうさ。何か悪いか?」
「悪いわ。でも、そうね、納得はした」
 私は手に霊力を込めた。ぼんやりと光がともる。
 風野の頬は濡れていた。
「あんたは許されないことをした。でもま、それはそれ。私は恨んじゃいないしね」
「君はたいがい、ぶっ壊れてるね」
「いいのよ、人間なんてクソみたいな存在なんだから」
 鼻で笑い、私は手を差し出した。
「あんたなら、友達になってあげてもいいわ」
「……伊藤さんが怒るんじゃない?」
「あいつは怒ってるくらいでちょうどいいのよ」
 ぐっと握手する。
 人間の手はもふもふしていないってことを、久しぶりに感じていた。