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気がつくと、崩れたアーケードと青空が見えた。 体を起こす。あちこちがガタガタと悲鳴をあげているけど、骨折とかはしていないようだった。あれで、手加減してくれていたのかもしれない。 それにしては、だいぶハードだったけど。 「痛た……」 ゴロリと転がる瓦礫を蹴飛ばしていると、影が射した。 「妖狐……、タマさんだっけ?」 絶世の美女にしか見えない彼女は、妖狐だ。その鋭い眼差しが、射殺すように私を見つめている。 「お主、美空と同じ学校の生徒じゃろう」 「そうだけど?」 「なのに、美空のことを知らんのか」 「あー、アタシ、転校生だから」 「そうかいの」 はぁ、と息を吐いた狐は、どこからかキセルを取り出した。 妖力で火をつけ、くわえる。 「今の紙巻き煙草だの電子煙草だのは好かんでな」 「そう」 「時にお主。美空に何があったか、知りたいか」 「聞けば話してくれるの? なんかそういう感じには見えなかったけど」 「教えてやる義理なぞないな。じゃが、お主は知っておったほうが良いかと思っての」 「……少しは認めてくれたわけ?」 そう聞くと、タマさんは指を立てた。 指先に、ほんの少しだけ赤いものが滲んでいた。 「約束じゃからの」 「じゃあ手を貸してよ」 「美空が怒っておるからの、それは無理じゃ」 からからと笑い、タマさんは続ける。 「美空はの、あれで昔は快活で、よく笑う子じゃった。同時に、人を笑わせるのが好きな子じゃったよ」 「今とは正反対だ」 「そうじゃな。そうさせたのは人間じゃが」 タマさんは、どこか遠いところを見つめていた。 「よく笑う人間のまわりには人がよく集まるものじゃ。美空はそうやって、誰彼からも愛されておったし、自分でもそう思っておったようじゃ。じゃが、ある時、あの子の悪い噂が流れるようになった。教師に取り入ってるだの、売春しているだの、後輩を売っただの」 「……」 「周囲は慰めてくれておったようじゃ。あの子がそんなことをするはずがないと、皆が口々に言っておった。じゃから、悪い噂にも負けずに済んでおったようじゃ」 「なら、それでいいじゃない」 「その噂を流しておったのは、あの子が一番の友達と信じておったやつじゃ」 「……ッ!!」 タマはぷかりと煙を吐き出す。 「たまたま、教室で話しているところを聞いてしまったそうじゃ。仲間内とでも言うのかの、仲が良いと思っておった連中は美空の噂を半ば信じておったし、その噂を拡散させておったのもその子らじゃ」 「それは、ひどい……。けど……」 「美空を傷つけたのは悪い噂そのものではない。平気な顔をして、裏で他人を貶められる人間という存在そのものじゃ。善意の仮面を信じられなくなった結果、他人と距離を置きがちになった。それが気に入らなかったのかの、美空は仲間連中にーーいや、仲間とは呼べんかもしれんが、ともかく仲間に呼び出しを受けた」 「それで?」 「もう少しで貞操が危なくなるところじゃったな。妾が叩きのめしておらんかったら」 「……なんでそこまで」 「さての。人間が人間に悪さをする理由なんぞ、妖怪である妾には見当もつかん。とにかく、妾はそやつらを潰し、美空は連中と距離を置けるよう、引っ越しをさせた。とはいえ噂はついてまわるものじゃ、今の学校でも、知っておるものは知っておろう」 アタシは、入学してからそんな噂は聞いたことがない。 けど、みくちゃんが、誰ともつるもうとしないってのは聞いていたし、実際に見ていた。彼女はいつだって一人だった。 「誰か一人でも信頼できる者は心が折れたりせん。あの子の心を折ったのは他でもない、人間そのものじゃ。あの子は二度と善意を信じないじゃろうし、人間がすべからく悪意を抱えておるのも事実じゃ」 「そんなことはッ……!!」 「何が違うのじゃ? 妾とて千年は人間を見てきておる、お主らが汚い存在であることは百も承知じゃ」 「それが人間の全てだなんてことはないわ!」 「全であるかどうかは関係ないのじゃ。時にきれいな面を見せることもあろう、じゃが、人間の本質とは他人をいたぶることに快楽を見出だすところにある。個を重んじすぎるせいかの、獣のように、全を守ろうなどとは欠片も思っておらん」 タマさんはキセルから灰を落とし、にやりと笑った。 「獣はの、全体を生かすことを第一とする。弱い者を切り捨てるが、これは全体のためじゃ。決して、美空のような強き者をいたぶり、力を出させぬままに殺すことなんぞせんのじゃ」 「強い……」 「妾もお主らは嫌いじゃよ。美空を苛めたお主らは大嫌いじゃ。お主らがどれだけ死のうとも、妾の心は痛まぬ。まあ、妖怪じゃしの」 存在が違う彼女には、それが事実かもしれない。 でも、みくちゃんは。 「やっぱり、引き下がるわけにはいかないね」 「ほう? 何ゆえ?」 「みくちゃんは、やっぱり救われるべきだよ」 「傷をつけたのはお主らじゃ。お前じゃない、などと下らぬいいわけはするなよ。美空は人間そのものを憎んでおるのじゃから」 「確かに、人間は汚いかもしれないし、きれいなところばかりじゃないかもしれないよ。それでも、みくちゃんは人間だから」 ぐっ、と拳に霊力を集める。作れたのはナイフ程度の刀。それが今の精一杯だった。 「人間には、人間が必要だと思うんだ」 「下らぬの。その程度の刀で妾に歯向かうつもりか? 蛮勇どころではあるまい」 「それでも、やらなきゃ。アタシが諦めたら! 誰も動かないから!!」 「お主一人で人間を背負うつもりか。おこがましいにも程がある!!」 「それでもやんなきゃ変わらないでしょうが!! 諦め、られるかッ!!」 全力で突撃する。ナイフを前に、体を弾丸に。 当然、そんな刃では妖狐に届くこともなかった。 「はん」 足蹴りひとつ。せっかく作った霊刀はかき消え、蹴り飛ばされたアタシは地面を転がるしかできなかった。 全身が痛い。もはや立ち上がる元気もない。 そんなアタシを、狐が見下ろしている。 「よくよく考えるとよい。人間は何をしたのか。どうなるべきなのか」 くるりときびすを返し、狐は歩き去って行く。その後ろで、ひらりと一枚の紙切れが落ちた。 紙切れには、何やら住所らしきものが書かれている。 「……」 何をしたのか。 どうべるべきか。 そのために、何をするべきか。 そんなもの、答えはひとつしかない。 アタシがやらなきゃ、誰もやってくれない。人間がそんなものだなんてこと、教えてもらわなくても知っている。 初めて会った時、寡黙な子だと思った。委員長や他の子から噂を聞いて理解した。 あまり良い感じの子ではないらしい、という噂。そんな噂が流れていることを知ってか知らずか、学校という場所でひとりきりの、特殊な女の子。 他の子とは違う彼女の雰囲気に、少しだけ惹かれた。その理由は、狐の話でよくよくわかった気がする。 私は、みくにシンパシーを感じていたんだ。 「やら、なきゃ」 無理やり体を起こす。全身が悲鳴をあげているけど黙殺して、残っていない霊力を振り絞って立ち上がる。 そこらに転がっていた木の棒を杖代わりに、住所のメモを頼りにして歩き出した。 行かなきゃ。 |