目を開くと、そこは見慣れた天井だった。
「……」
 体を起こす。いつものベッド、いつものパジャマ。時計を見ると、朝の六時だった。いつも起きる時間より少しだけ早い、だけどいつも通りの朝だった。
 手も、足も、体もいつも通り。鏡を見ると、顔も元に戻っていた。
「終わった、んだ」
 悪夢のような学校での時間は終わりを告げ、日常が戻ってきたんだ。
 僕が、僕だけが。
 またしても。

☆   ☆   ☆   ☆


 結局、時間的にはほんの一晩だったようだ。
 あれだけの日数を過ごしたのに一晩だけとは違和感があったけど、そもそも姿も性別も変えられる空間において、時間なんて意味がないのかもしれない。
 僕は制服に着替え、とぼとぼと学校に向かう。頭の中をよぎるのは、あの学校で出会った人たちのこと。

『卒業生もこの学内で殺された子だ。もう遅いよ』

 霧の言葉が耳に残っている。もう遅い。もう手遅れ。
 本当にそうなんだろうか。本当にどうにもならないんだろうか。
 あの学校は霧と狐塚さんの幽霊たちが集まって作った、この世界ではない空間だった。そんな場所で起きた出来事が、現実の出来事と同じような感覚で考えてしまっていいのだろうか?
 何か抜け道があるんじゃないか。それは僕の希望かもしれないけど、その考えがこびりついて離れない。
 もう一度会いたい。その気持ちが、僕の考えを甘くしているのかもしれない。現実はそんなに甘くない。
 あるいは、学校での出来事だってただの夢だったのかもしれないんだ。いや、そう考えた方が現実的とさえ言える。
 幽霊? 霊団? 除霊? 何の漫画だ。
 現実の問題とは考えられない。そう、忘れてしまった方が懸命なんだ……。
 そんなことを考えながら歩いていると、ごみ捨て場を前に立つ人を見かけた。
「……?」
 うちの学校と同じ制服。見覚えがないのは学年が違うからだろうか。鮮やかに染めた金髪と短いスカート、派手な感じはギャルっぽいというか、一般生徒っぽくはない。
 その上級生らしき女子生徒は、リュックの中からぬいぐるみを取り出した。僕の目はそのぬいぐるみへと釘付けになる。
「それ……」
 狐のぬいぐるみだった。女子が僕の存在に気づき、こちらを見やる。
「んだよ。なんか文句あるのか」
「そ、そうじゃなくて。そのぬいぐるみ、どこで?」
「あぁ? どこでだっていいだろうがよ。こんなもんのせいで、えらい目に遇ったぜ」
「えらい目……」
 この話し方。このぬいぐるみ。もしかして、
「あの。あなた、”紅蓮”さん?」
「ッ!?」
 上級生の顔が真っ青になる。そのままツカツカと僕に詰め寄ると、襟首をつかまれた。
「お前。なんで知ってんだ。あの場所にいたのか!?」
「あかりです。あなたがこうやってゼファーに絡んでいた時に会った」
「あかり? ああ……」
 紅蓮さんは僕を離すと、ちっ、と舌打ちした。
「あれは夢、だったのか? いや、いい。そんなわけねえってことはわかってるんだ」
 紅蓮さんの言葉に、僕は深々と頷いた。
「そう、あれは現実だよ。現実のはずなんだ。でも、僕も信じられない」
「信じるも信じないもねえだろ。お互いあんな出来事、忘れちまった方がいいんだ」
「そうかもしれないけど……」
 僕は紅蓮さんが持っているぬいぐるみを見つめ、いや、と言葉を漏らした。
「行こう、もう一度だけ。月暈へ」
「あぁ!? もう一度だと!?」
「そうだよ。僕は納得できないんだ。なんで僕らが巻き込まれることになったのか。あの学校で亡くなった卒業生たちはどうなったのか。狐塚さんは除霊されたけど、他の幽霊たちはどうなったのか」
「んなこと言ったって……。このぬいぐるみ抱いて寝てればまた行けるって言うのか?」
「おそらくだけど、それは無理だと思う。学校の呪いーー狐塚志津香の呪いは滝川霧が解除した。ぬいぐるみと学校の繋がりは外れていると思う」
「じゃあどうやって……」
「月暈は現実にあった中学校だ。調べて、その場所に行ってみようと思う。女性たちの遺体が見つかったニュースは見ていないし、せめて弔いでもしないと。そうしないと、僕の気持ちも落ち着かないと思うんだ」
「そ、そうかよ。じゃあお前は好きにすればいいだろ。オレは知らねえぞ」
「ああ、好きにするよ。でもいいのか? あんただって少なからず、あの学校ではトラウマを植え付けられたはずだ。ここでケジメをつけなきゃ一生つけられなくなるかもしれない」
「……」
 紅蓮さんは僕をにらみ、しばし沈黙した。やがて根負けしたのは紅蓮だった。
「けっ。そこまでしてオレを連れてってどうすんだよ」
「僕はあなたがいてもいなくても関係ない。これはあなたのために言っているだけだよ」
「はん。お節介なやつだ。で? どこに行くんだ」
「待って」
 スマホで検索すると、月暈の場所はすぐにわかった。僕らが住んでいる町から電車で二時間ほどの場所だ。
「ここに行くよ」
「ふうん。近いような遠いような……。ここならバイクで行った方がいいな。オレが乗せてやる、お前も乗っていけ」
「運転してくれるの?」
「乗り掛かった船ってやつだよ。そうだ、テメエ、名前は?」
「だからあかり……」
「偽名じゃなくて本名だよ」
「ああ。遠野だよ。遠野碧」
「アオか。オレはサキだ。手塚サキ」
 サキは手を出し、
「解決するまでは一蓮托生だ。ツレはダチ、そういうもんだろ」
「……昭和のヤンキーなの? 君」
「るせえ」
 無理やり僕と握手をかわしたサキは、そのまま引きずるようにして僕を連れていく。
「ひ、ひとりで歩けるよ!」
「うるせえ」
 サキと並んで歩きながら、僕は前を見ていた。
 やりたいことはもう胸のなかに決まっていた。僕は、もう迷わない。