翌日。午前中はエレナも仕事や祈りの時間があるため、訓練はできない。その時間を利用して、ヒカルは図書室の本を読んだ。エルフの奇襲前からすれば、かなり真剣な様子で。まさに、一心不乱といった言葉が似合う。 壁に開いた穴は今のところ木の板で塞いでいるだけだ。その前には、こびりついた血の跡がある。その跡が、ヒカルの覚悟をさらに強固にした。 ヒカルが椅子に座り、真剣に本を読んでいると、背後から声をかけられた。 「ヒカル、また来たのか」 「……エドガー、さん。そっちこそ」 エドガーはさらりと髪をかき上げ、ヒカルの隣に座った。 戦いのせいか、左腕に包帯が見える。と言っても、それ以外に怪我は見当たらない。 服装は戦闘前といった感じで、鎧まで着込んでいる。念のための警戒中といったところだろうか。 「ヒカル。エレナ殿に魔法の訓練を受けているそうだな」 「ええ。耳が早いですね。つっても、午前中はエレナにも仕事があるんで、午後だけなんですけど」 「そうか。それじゃあ、ちょっと付き合わないか」 がたりと席を立ったエドガーは、ヒカルを見下ろした。ヒカルは何となくその姿が気に入らなかったが、とにもかくにも付いて行く事にした。 城内には兵士が訓練を行うための部屋がある。様々な武器が壁にかけられ、訓練用の木人が部屋の隅に置いてあった。 ヒカルはエドガーに連れられて、ここを訪れた。ふたりを除いた他の人間の姿は見当たらない。国内の整備に向かっているのだろう。 「ほら、これを使うといい」 エドガーは壁にかけられていた木刀を放り投げた。ヒカルは受け取ると、ひゅんと振ってみた。割と重いその武器は、脳天にでも受ければ気絶では済まないだろう。 エドガーも木刀のひとつを手に取ると、正眼に構えた。 「いくぞ」 ヒカルが構えるのを待つ事すらなく、エドガーは距離を詰め、そのまま木刀を振り下ろした。ヒカルも慌てて攻撃を受ける。 エドガーは攻撃に緩急をつけてヒカルを攻め続けた。それでもかなり手加減しているのか、ヒカルでもその攻撃を受ける事ができた。 「アリシアに弟がいた事は知っているか」 攻撃しつつ、エドガーは問いかけた。 「し、らないッスよ!」 一撃を大きく弾き、ヒカルは逃げるように距離を置いた。エドガーはその程度の距離をさっと詰めてしまう。 「名前はアルフレッド。アリシアがまだ兵士団で第一師団長をしていた頃、その部下だった。兵士としては平均より少し下といった程度の、普通の兵士だった」 ヒカルからすれば、アリシアが兵士団にいたという事実も初めて聞いたのだが、今はそんな事を言っている余裕がない。エドガーの攻撃を受けるのに精一杯なのだ。エドガーはそんなヒカルの様子にも構わず、淡々と話し続ける。 「彼は姉の代理に、教会にも頻繁に出入りしていた。そして、その際にエレナ殿と知り合ったわけだ」 カンカンと、木刀の交じる音が響く。ヒカルは額に汗を浮かべ、必死に攻撃をかわした。一方、エドガーは汗ひとつかかず、無表情のままだ。 「次第にエレナ殿とアルフレッドの距離は縮まった。最初は友達程度から、そして最終的には恋仲となった。彼のどこに惹かれたのか、未だに僕には理解できないがね」 ヒカルは返事ができない状態だというのに、エドガーは全く意に介さず、話を止める事はなかった。 「あれは……四年前の事になるのか。エルフと大きな戦があった。例によって、エルフ軍の侵攻を我々が食い止めるという形だ。が、数の上ではエルフ軍の方が僅かに優勢だった。徐々に押し込まれ、我々は結果として撤退した。もちろん、そのすぐ後には借りを返し、ディラータは守り抜いたがね」 エドガーの鋭い突きがヒカルの肩に刺さる。ヒカルは鋭い痛みから、肩口を押さえ、膝をついた。 「話の流れでわかると思うが、アルフレッドはその戦で死んだ。名誉の戦死というやつだな。それが原因でアリシアは辞職したのだが、それは関係がないな。さて、アルフレッドの戦士が問題になるのだが……どうしてだか、わかるか?」 木刀の切っ先をヒカルの鼻先に突きつけ、エドガーは問いかけた。その瞳には、微かに怒りすら滲んでいるように見える。 「アリシアさんにとっては弟の戦死。エレナにとっては恋人の戦死。ショックだったでしょうね」 荒い息を吐きながら、ヒカルは答えた。 「それだけじゃない。アルフレッドは、エレナ殿やアリシアの目の前で死んだのだよ。エルフの雑魚に、斬られて」 目の前で、愛しい人が、家族が、殺されていく様。それは、どのような気持ちなのだろう。何もできない自分への怒りか。世の中の不条理を嘆く想いか。永遠に別れねばいけない運命を呪うか。 「もちろん、もう四年も昔の話だ。戦いで戦死者が出るのは当たり前の事。我々とて、そんなものにいつまでもかかわっているほど暇でもない」 「じゃあ、何でそんな話を?」 エドガーの目がすいと細くなった。冷たい、殺気すら漂う瞳が、ヒカルを射抜く。 「似ているんだ。君の姿が、アルフレッド・アレンに」 「――――え?」 ただ呟いただけの音は、すぐに消えてなくなる。なのに、エドガーの声は……何故かヒカルの耳から離れようとしなかった。 「おかしいと思わなかったのか。いくら信仰とは言え、見ず知らずの君を、兵士団長たるダイナス様が拾い、教会の要職にあるエレナ殿が世話を焼き、金が全てのバトルヘルパーたるアリシアが面倒を見るなんて。理由は簡単だ。誰もが、君の姿にアルフレッドを重ねているのだよ。亡き弟、亡き部下、亡き恋人の幻影を君に求めているに過ぎない。それ以上も、それ以下もないわけだ」 ヒカルの脳裏を、様々な光景が駆け巡った。ダイナスの静かな微笑み、アリシアの快活な笑い、エレナの陽だまりのような笑顔。それらは全て、彼ではなく……すでに死んだ者に向けられたものだった? 「特に、エレナ殿の行動は顕著だな。本来なら最も優先すべき行動より、君のためを想った行動をしている。本を読んだり、魔法訓練に付き合ったり。戦いに際しては、真っ先に護りに行ったとも聞く。つまり、エレナ殿の中では、君はアルフレッドの代用品というわけだ」 ヒカルはこっちの世界に来てから、多くの人々に世話になった。特に、ダイナスやエレナには感謝してもしきれぬほどの恵みを貰った。 だが、それは偽りのものだったとしたら? いったい、この感謝の念はどこに向ければいいのだろう。 「ヒカル。その事実を知って、まだ君はダイナス様やエレナ殿のご好意に甘えるつもりか?」 ヒカルは、すぐに答えられなかった。エドガーが木刀を引いた事にも気付かなかった。 ただ、ショックだった。親切の裏には、ヒカル自身とは何の関係もない、異世界の死人があったという事実が。 「どうなのだ。ヒカル、答えたまえ」 再度、促され、ヒカルはようやく重苦しい口を開いた。 「……オレは、変わりません」 「何?」 「そうだ。オレは変わらない。ダイナスさんやエレナがどうしてオレに優しくしてくれるのかなんて、関係がないんだ。オレは、オレに親切にしてくれた人に報いたい。その人たちの願いがあるなら、それを叶える手助けをしたい。 そりゃ、ショックだよ。みんな、黙ってたんだもんな。でも、いいじゃんか、別に。理由なんて関係ない。親切にしてくれたっていう事実があって、オレはそれに感謝しているっていう事実がある。それだけで十分じゃないか」 後半はなかば独り言のように、ヒカルは言った。 何も難しい事はない。みんながどんな理由であろうと、優しさを見せてくれた。なら、それに優しさで報いたい。たった、それだけの事。 「なるほど」 エドガーは手にした木刀を、元の位置に戻した。 「ならばヒカル。君の事を、正式に僕の好敵手として認めよう」 「は?」 ヒカルがきょとんとエドガーを見つめると、エドガーはキザっぽく髪をかき上げた。 「君は、理由はともかくとして、エレナ殿の愛情を勝ち取っている。ならば、僕は君からエレナ殿を奪おう。この僕に得られない愛などあっていいはずがない。だからこそ、君は僕の好敵手だ」 展開についていけないヒカルは、ただ黙ってエドガーを見つめていた。エドガーはふふん、と笑い、ヒカルを正面から見据えた。 「このエドガー・リールフォルトの好敵手となるのだ。誇りに思いたまえ」 「はぁ」 ヒカルが目をぱちぱちとさせている間に、エドガーはさっさと訓練室から出て行ってしまった。 「――好敵手、か」 言葉として呟いてみた。それは、確かに“ヒカル”という存在を認めた証でもある。アルフレッドではない、ヒカルを。 「いいじゃんか。存分に相手にしてやるぜ!」 元来が燃えやすい体質のヒカルは、ぐっと拳を握り締めた。そして、続ける。 「……モテた事はねーけど」 |