教会の近所に、こじんまりとした一軒家がある。その他の家を変わらないレンガ造りの家で、何ら特徴がない。 内装も似たようなもので、取り立てて特徴がない。キッチンとダイニング、そして寝室しかない小さな家。調度品は木々や布地の本来の色がまま。特に染められる事もなく、そのままの姿で鎮座している。 ここは、六竜神教会ディラータ支部の長、エレナ・テスタロッソの家だ。先代の長が住んでいた家で、先代が亡くなった後もエレナがひとりで住んでいる。 その寝室には、エレナの姿を考えれば似つかわしくない、武骨な剣が置いてあった。 エレナはそっとその剣を手に取り、鞘から引き抜いた。魔法光の下、刀身が鈍く輝く。磨きこまれた刀身は、年月の経過を感じさせない。 「風化、しないものですね」 エレナは刀身に触れてみた。ひんやりとした感触。殺すためだけに生まれた武器は、温かみが全く存在しない。なのにエレナは、そこに懐かしい温かさを感じていた。 「わかってはいるというのに、未練がましい……」 剣を鞘に収める。チン、という小さな金属音が響いた。 エレナは剣を丁寧に壁に立てかけると、ベッドに座った。 「どうして、今なんでしょう。もう四年も経ったというのに、どうして今……、思い出させるのですか」 そして、どうして忘れられないのですか。 小さな声が、静かな部屋に満ち、そして消えた。 「振り払うなんてカッコいい事を言ったまではいいけどな」 「はい?」 「いや、何でもない」 ヒカルは軽くため息をついた。 ここはディラータ近郊の小さな森の中。教会で使う薬草類が足りなくなったとかで、エレナはその採取に向かった。そのお供として付いてきたのが、ヒカルである。 ヒカルは少しばかり悩んでいた。エレナのアルフレッドというしがらみを除こうとは思ったものの、その手立ては全く思いつかない。 元々、彼は今まで恋人と呼べる間柄の相手がいなかった。多少はいい関係になった相手も、“友達”が限度。そこから先には進めないのがヒカルであった。 そんなヒカルが、女の子の気持ちを考えると言っても無理がある。まして、そのトラウマをどーにかする方法なんて思いつくわけがなかった。 こうして荷物持ちのような真似事ならできるが、それだけしかできない。それが歯痒く、そして、ヒカルを落ち込ませるのであった。 「疲れたのなら、少し休みましょうか?」 「ん、大丈夫だよ」 そう言った途端、ヒカルの腹がぐー、と鳴った。 エレナはくすりと笑い、 「お弁当にしましょうか」 「……助かる」 森の切れ間の少し開けた場所で、エレナは持ってきたお弁当を広げた。全てエレナの手作りである。 「ふひゃあ、これ、ぜーんぶお前が作ったのか?」 「ええ。一人暮らしなもので、料理の腕ばかり上達してしまうんです」 実際、並んだ料理はどれもおいしそうだ。いただきます、と言い、ヒカルは一口、食べてみた。 「うまッ!?」 途端、そのおいしさに驚いた。自然なままの味を活かしつつ、食材の持ち味を何倍にも高める工夫がなされている。 ヒカルがおいしそうに食べる様を、エレナはニコニコしながら眺めていた。 「……? エレナは食べないのか?」 「あ、えと、食べます」 見つめていた事を恥じたのか、エレナは顔を紅く染めつつ料理に手を伸ばした。 「にしても、エレナってすげーよな」 「へ?」 ヒカルは水筒の水を飲み、続ける。 「いやさ、だって料理は上手い。魔法も使える。戦いだって負けやしない。おまけに教会の責任者で、権力も立場もある。しかも可愛い」 「そんな……」 エレナは照れたように顔をそらした。さらりと銀髪が流れる。 「実際、たいしたもんだよ。オレの世界だったら間違いなくモテモテだ。ファンクラブとかできそうな勢いだな」 「そんな、私なんて……。戦いなら兵士団の方々には敵いませんし、教会の責任者なのも、長くあそこにいるからで。私ひとりじゃ、何もできませんよ」 「こんなにできてるじゃんか。別に謙遜しなくていいんじゃねーの? 実際、エレナはすごいんだからさ」 ふと、エレナの顔色が沈んだ。ヒカルが疑問に思っていると、エレナはそっと口を開いた。 「でも、本当に守りたいものも守れず、仮初の今にしがみついているだけなんて、情けないですよ」 「んー、そうか?」 エレナの重苦しい口調とは裏腹に、ヒカルは軽い口調で返した。 「守りたいもんが守れなかったなら、次は守ればいいじゃんか。過ぎちゃったものは仕方ないだろ? だったら、前向きに生きなきゃ仕方ないと思うけどな」 「前向き、に――」 ヒカルは頷き、 「例えばさ、この世界は戦争だらけだ。あちこちで人が死んでいる。でも、そいつらだって死にたくて死んだわけじゃない。守りたいものを守って、大事なものを失わないようにって必死にあがいて、それで今があるんだろ? だったらそういう想いは無駄にしちゃいけないと思うぞ」 そこまで言って、ヒカルは照れたように頭を掻いた。 「はは、オレが偉そうに言う事じゃねーな」 「いえ。ヒカルさんの言葉、とても染み入りました」 沈んでいたエレナの顔は、いつの間にか少し明るくなっていた。 「確かにヒカルさんの言う通りです。私はつい後ろ向きになってしまいますけど、ヒカルさんは強いんですね」 「うんにゃ。オレもそんなに強くないよ。ただ、守りたいって思えるものがあるから、強がっているだけさ」 そう言って、やっぱりヒカルは照れたように頭を掻くのであった。 「結構、恥ずかしい事を言ってるな、オレ」 たはは、と小さく笑う。つられたのか、エレナも小さく笑った。 ヒカルはふと、エレナの顔をじっと見つめ出した。真剣な眼差しがエレナに向けられている。 「……? な、何ですか?」 エレナは顔を朱に染め、軽くあとずさった。ヒカルはエレナの瞳を見つめ、口を開く。 「そういや……」 「ひゃ、ひゃい?」 「そういや、エレナの目って左右で色が違うんだな」 「……はい?」 ヒカルはエレナからはやはり目を離さず、元の位置に戻った。 「いや、だからさ、エレナの目って左右で色が違うじゃんか。片方は綺麗な緑色、片方は澄んだ青色。こっちじゃそういうのって珍しくもないのか?」 「あ、いえ。そんな事はないですよ」 エレナは、今度は違う意味で顔を朱に染めた。が、その色はすぐに暗く沈んでいく。 「何か、言いたくない理由なのか?」 「いえ、そういうわけでは……」 言い訳をしようとするエレナに、ヒカルは顔の前で手を振って答えた。 「無理なんかしなくていいよ。別に今、聞かなきゃいけない話でもないし。オレがエレナにどんな事でも話してもらえるようになりゃいいだけだろ? そうなったらまた聞くよ」 「ヒカルさん……」 エレナは懐かしげにヒカルを眺め、ぶんぶんと頭を振った。 「いえ。やはりヒカルさんには聞いて欲しいです。聞いて、下さいますか?」 ヒカルはニカッと、眩しいほどの笑みを浮かべた。 「ああ、じゃあ話してくれるか」 はい、と小さく前置きし、エレナは話した。 「私の父は人間ですが、母は、エルフなんです」 言って、エレナはヒカルの様子を窺うように覗き込んだ。ヒカルの表情には僅かな驚きがあるが、さほど大きなものではない。 「えっと、驚かない、んですか?」 「は? いや、驚いてるけど?」 「いえ、ですから、普通はエルフの子と聞くとそれだけでかなり驚くのですが……」 「そういうもんか?」 ヒカルは首を傾げ、 「だってさ、エルフも人間も大差ないだろ。少なくても見た目は。そりゃ考え方とか言語とか違うけど、そんなのは外人なんだから当たり前だしなぁ?」 エレナはぽかんとヒカルを見つめ、やがて笑い出した。始めは小さく、徐々に堪えられなくなったように大きく。 「は? あれ、オレ、何か変な事を言ったか?」 「い、いえ。そうじゃないんです」 エレナは目に薄っすらと涙すら浮かべ、首を横に振った。 「ただ、拍子抜けしてしまって。そうですよね、同じですよね」 「……?」 エレナは目元を拭い、居住まいを正した。 「この世界では、人間にとってエルフは敵なんです。ですから、エルフとのハーフはそれだけで嫌われます。私にとって、そういうのが当たり前で。そんな風に、自然に言ってもらえた事がなかったものですから」 「ふーん。寂しいな、そういうの」 理由もなく、人格すら意識せず、ただそれがそういう存在だから嫌う。それがどれほどに悲しい事か。存在すら否定された者は、一体どうすればいいと言うのか。エレナは、そういう幼少期を過ごしてきたという。 ヒカルには理解しきれないけれど、それでもそれが悲しい事だとわかる。その寂しさの一端くらいは、理解できる。 「じゃあ、銀髪なのもハーフの?」 「ええ。血が混じると、必ずではありませんが、特殊な髪色になったりします。私の場合もそれです」 「へえ。でも、綺麗だよな。その髪」 柔らかく風に流れる銀の色。陽光を受けて様々な色に輝くその髪は、とても美しい。少なくても、ヒカルには素直にそう思えた。 「ありがとうございます。そう言って下さったのはヒカルさんが初めてですよ」 言って、エレナは照れ笑いを浮かべた。つられて、ヒカルも照れ笑いを浮かべた。 「さて。メシ食って薬草を探して帰るか」 「ええ、そうですね」 微笑むエレナの顔に、もうかげりはなかった。 |