コンコンと扉を叩く。中からどうぞ、という声がしたのを確認し、エドガーは扉を押し開いた。
「おや、エドガー。どうしたんだい」
 ダイナスの優しげな声に、エドガーはため息をついた。
「どうしたのだい、ではありませんよ。書類はできたのですか?」
「ん? まあ、ははは」
「笑って誤魔化さないで下さい。全く……」
 エドガーはこめかみに指を当て、頭痛を抑えようとした。
 ダイナスは戦闘能力は高いし、兵士に対する態度も柔らかで人気がある。また、いざという時の物怖じしない態度は、上にも一目置かれている。が、いかんせん、彼は書類仕事が遅い。頭が悪いとか字が下手とかではなく、単にやらないだけなのだ。
「この書類だけはどうあっても団長にやってもらわねばならないのですから、きちんとこなして頂きますよ」
 エドガーが机の前まで来て見下ろしながら言った。
「まったく。エドガーは厳しいな」
 苦笑を浮かべ、ダイナスは羽ペンを手に取った。
 書き出せばダイナスの仕事は速い。どうせすぐにできるのだから、もっと早くに手をつければいいとエドガーは思うのだが、彼は昔から書類だけは遅かった。
「団長、どうして書類ばかり遅いのですか? それ以外は完璧なのに」
「人間、欠点のひとつくらいないと面白みがないだろう?」
 カリカリとペンを走らせながらダイナスは答えた。
「面白みなんていう理由で書類を止められてしまうと困るのですがね」
 エドガーはじろりと睨むが、ダイナスには全く動揺した様子がなかった。年季が違うとも言える。
「そういえばエドガー。ヒカルにアルフレッドの事を教えたそうだね」
「ええ。それが何か」
 ダイナスは手を止め、エドガーを見上げた。
「礼を言っておこう。我々では、冷静に彼の事を説明できなかったろうからね」
「でしょうね。少なくても、アリシアやエレナ殿に説明できたとは思えません」
「ああ。アリシアたちに吹っ切ってもらうと言って張り切っていたよ。今日もエレナ殿と薬草採集に行ったはずだ」
「ほう……。それは捨て置けない話ですね」
 ダイナスはふう、とため息をつき、また羽ペンを動かしだした。軽やかな動きで、羊皮紙の上にインクの線が踊っていく。
「まだエレナ殿を狙っているのか。あの方は守りが堅いぞ」
「だからこそ、落とし甲斐があるというものでしょう」
「そうかな。私は愛情こそが優先すべき事項だと思うけれどね」
 ぴたり、とダイナスの手が止まる。羽ペンをインク壷に戻し、ダイナスは羊皮紙を突き出した。
「ほら、できたよ」
「拝見します」
 エドガーは素早く目を通す。そこに書かれているものに隙がないと確認し、まだ生乾きの羊皮紙に簡単な呪文をかけて乾かした。
「確かにお預かりしました」
 クルクルと巻き、懐にしまう。一連の動作の後にそれでは、と言って部屋を出て行こうとして、思い出したようにエドガーは振り向いた。
「団長、ひとつお聞きしたいのですが……竜神神話の冒頭はご存知ですよね?」
「『虚無を切り出す巨大なる存在。それらは世界を作り出し、光と影を生み、この世の全てとなった。そして、彼らは自ら名乗った。我らは竜神、六の世を総べる竜神である、と』」
 よどみなく、ダイナスはすらすらと暗誦した。一般人でも知っている竜神神話の冒頭部である。
「そう。ところで団長は、竜神は実在だとお思いですか?」
「……本当に存在しているのなら、この戦を止めてくれると思っているよ」
「なるほど、参考になりました。ありがとうございます」
 頭を下げるエドガーに、ダイナスは言った。
「調べない方がいいよ。禁忌だ」
「それはつまり、そこに手がかりがあるという事ではありませんか?」
「そうかもしれない。が、我々にはそこまでする勇気がない」
 エドガーはふっと笑った。
「そこまですれば、好敵手が消えるかもしれない。となれば僕もリールフォルトの一員である以上、立ち止まるわけにはいきませんね」
「……無茶は、するなよ」
「せいぜい死なないようにしますよ」
 はは、と小さく笑い、エドガーは団長室を去った。残されたダイナスは軽くため息をつき、茶をすすった。

 漆黒の闇を、小さな魔法光が懸命に切り裂く。埃臭い書庫の中、ひとりの男が魔法の光を頼りに本を読んでいた。
「……なるほど。知られたくはないわけだ。こんなものが周知になれば、動揺どころじゃ済まないからな。これが事実なら、竜神は――」
 独り言を呟き、読みふける。
 男はふと顔を上げた。背後を振り返り、ニヤリと笑う。
「ようやく気付きましたか。もっと厳重な警備体制だと思っていましたが」
「……読んで、しまったのですね」
 暗闇の中から声が飛ぶ。男は本を書棚に戻し、微笑みをたたえたままに向き直った。
「一応、言っておきましょうか。僕はこの内容を公表するつもりはありませんよ。ちょっと報告はしますがね」
「でしょうね。でも、その内容は誰も知ってはいけないのです。もちろん、あなた自身も。それは、公表するかしないか、という事は関係ありません」
「でしょうね」
 流麗な動作で、男は腰の剣に手をかけた。
「少し聞いても構いませんか?」
「――どうぞ」
 相手が頷いたのを確認して、男は問いただした。
「この本の内容は、真実なのですか?」
「……その証拠はありません」
「そうですか。では、まだ竜神が存在している可能性もあるのですね」
 言って、男は微かに笑った。
 書物の内容が事実かどうか、それは関係がない。そういう可能性そのものが危険。故に、封じられたのだから。
「さて。では、やりましょうか」
「……ええ」
 男の引き抜いた剣が、光の下で怪しくきらめく。血を欲するように、戦いを求めるように。
「ひとつだけ、聞いて下さい。僕があなたを愛したのは真実。禁書などは、関係ありませんよ」
「――さようなら」
 魔力輝く中で、ふたつの影が交錯した。

 ヒカルはいつも通り、とりあえず午前中の時間を潰すために図書室に向かった。今日は何の本を読もうかと書棚の間を巡る。毎度の事ながら、ここの本は無駄に多い。どれを読むか、いちいち迷ってしまう。
「エレナはここの本を全部、読んでいるのかな?」
 ふと沸いた疑問。だとしたら物凄い労力だ。ヒカルには真似できそうにない。
「ご苦労なこって」
 ぶつぶつと呟き、書棚の角を曲がる。
「ん?」
 別の書棚の陰に、何かが落ちていた。興味を持ったヒカルは、そちらの方を覗き込む。
「なッ――!?」
 そこに、傷つき、今にも死にそうな男が倒れていた。赤い水溜りの中で、男は眠っているようにも見えた。
 その名前は、エドガー・リールフォルト。
 兵士団でも有数の戦士が、息も絶え絶えに倒れこんでいた。
「エドガー!」
 ヒカルは慌てて駆け寄る。ぜーぜーと荒い息を吐くエドガーは、当然のように意識がなかった。
「ひでぇ……」
 血まみれで、腕や足は曲がるはずがない方向に曲がっている。見た目だけで十分に痛々しいが、中身はどうなっているのかわからない。
「待ってろ、すぐに誰かを呼んでくるから!」
 自分では処置できないと判断したヒカルは、立ち上がって走り出した。大きな声で、人を呼びながら。



  
目次に戻る