教会の大聖堂の長椅子に、ヒカルは座っていた。隣にはアリシアも座っている。その顔には、一様に不安げな色が浮かんでいた。 長椅子の正面には、六竜神をかたどった像が置いてある。六体の竜が天に向かって咆哮する様は圧巻だ。 ギイ、という重い音と共に、ヒカルの背後で扉が開いた。ヒカルたちが振り返ると、ダイナスが深刻な表情で入ってくるところだった。 「ダイナスさん。エドガーは……」 ヒカルが問いかけると、エドガーは首を軽く振った。 「よくないね。両腕、および左足の骨折。肋骨も三本ばかり折れているようだ。内臓はいくつか傷ついているらしいし、外見は見た通り、切り傷だらけさ。持って明日の夕刻、といったところらしい」 「そんな! それじゃあ、エドガーは――」 ヒカルが飲み込んだ言葉を、アリシアが受け継いだ。 「このままでは死ぬ、という事だな。回復術は?」 「無理だ。今の教会にいる者では、エドガーの治療ができる者がいない」 なぜなら、と続ける。 「傷を治す魔法は大きく分けて二種類ある。ひとつはその者の体力を使い、放っておいても治る傷の回復を早めるものだ。だが、今のエドガーにそんなものを使えば、治療が終わる前に彼の体力が尽きてしまう」 アリシアは頷いた。彼女には説明せずともわかっていた事だ。今の説明もヒカルのために行ったものに過ぎない。 「そのため、使うならもうひとつの魔法でなければならない。すなわち、使用者の魔力を傷んだ者の体力の代わりとして消費する魔法だ。だが、これは回復を得意とする水系の中でも上位の魔法。一般の魔法使い程度が扱える魔法じゃあない。使える者と言えば、この国ではエレナ殿くらいしかいない」 「なら、エレナに任せれば――」 だがダイナスは、ヒカルの僅かな希望すら踏み潰すように、首を横に振った。 「それが、昨日の夕刻からエレナ殿を見かけた人はいないそうだ。自宅も訪ねたそうだが、留守だったらしい。つまりは行方不明という事だ」 「なッ!? まさか、エレナまで――?」 「それはわからない。だが、可能性はある。どちらにせよ、エレナ殿を探し出さなければ、エドガーが死ぬだけだ。とにかく、兵士団の全力を用いてエレナ殿を探す。協力してくれ、アリシア、ヒカル君」 決意の眼差しで、ダイナスは頷いた。 「――以上、どこを探してもエレナ様のお姿は発見できませんでした」 「そうか。引き続き捜索してくれ」 「はッ!」 兵士は敬礼をひとつ、すぐに部屋を飛び出していった。 ダイナスは机に肘をつき、はあとため息をついた。 「どこを探してもダメ、か」 「どうするんだ、ダイナス。兵士団の総力を用いても行方がつかめないとなると……」 「それでも見つけなければ仕方ない。どうにかするしかないだろう」 団長室の窓から、朝日が差し込んでいる。すでに一晩が経過。夜通し兵士団が総力をあげて捜索しているにも関わらず、エレナの行方はまるでつかめなかった。確かなのは、昨日の晩に帰宅した事、それだけだ。それ以降、エレナの姿を見た者は誰もいない。 ダイナスは一晩中、ここで連絡を受けては、捜索の方向を指示していた。アリシアとヒカルも協力していたため、三人とも目の下にはクマができている。疲労感が漂うが、だからと言って寝ている暇はない。今も刻一刻と、エドガーは死に近付いているのだから。 「おかしいだろう。何者かがエドガーを襲い、エレナ殿をさらったとすれば、誰にも見つからないはずがない。それに根本的な問題だが、エドガーを倒し、エレナ殿をさらえるほどの実力者など、国内外でもそうはいないはずだ」 「それはそうなんだが……」 アリシアの言う通り、エドガーやエレナのレベルを超える者はそうそういない。だが、事実としてエドガーがやられ、エレナの行方はわかっていないのだ。 「……オレ、図書館に行ってきます。エレナの行方がわからないなら、エドガーの方を見るしかない」 「わかった。兵士団の者がいると思うが、私の名前を出せば問題ない」 ヒカルは焦りの表情を浮かべ、部屋を飛び出した。 それを確認してから、ダイナスは深くため息をつく。 「アリシア。まさかとは思うが、可能性としてはどの程度あると思う」 「ゼロではない、が……限りなくゼロに近い。といったところかな」 「やはりそう思うか。エドガーを倒すほどの力量を持つ者……などと言えば、かなり限定されてしまうからな。だがそれも、あの人ならば十二分に可能だ」 「ああ。だが、理由がわからない。本当に殺したいのなら、今まで何度でもできたはずだ。だが、現実としてエドガーは今まで生きていた」 ダイナスは頷いた。その瞳には、疲労とは別の苦悩の色がある。 「殺す事が目的じゃないだろう。第一、殺すつもりならエドガーは殺せた。半死で止めたのは優しさ故かな。となると、やはり――」 「――教会絡み、だろうな」 カタリと、ダイナスも席を立った。 「アリシア。我々も教会に向かおう。エドガーの様子も気になる」 「ああ。だが、お前は書置きくらいしておけ。司令塔なのだからな」 言って、アリシアはペンと羊皮紙を突き出すのであった。 ヒカルは、エドガーの倒れていた、まさにその場所にいた。 図書室の入り口は兵士団の者が警備している。ダイナスの名前を出すだけで簡単に通れたのは、ヒカルがここに来るであろう事をダイナスが予想していたからかもしれない。 「くそッ!」 石でできた床には、赤黒い染みができている。一応、誰かが拭き取ったのだろう。その跡が、かえって生々しい。 「エドガー……誰にやられたんだよ!」 床に当たったところで返事などあるはずもない。だが、ヒカルはイライラした気分に任せて床を蹴飛ばした。 ドン、と床を踏む。途端、ヒカルはよろめいた。別にヒカルのバランス感覚に問題があるわけではない。床が、動いたのだ。 「うおッ!?」 ヒカルの眼前の書棚が奥へと動き、その奥の通路を開いた。 「何だこれ? まさか、隠し……通路?」 どうやら、床板を強く踏む事が隠し通路を開くための鍵らしい。ヒカルが感情に任せて踏みつけた事によって、それが作動したのだ。 「一体……?」 通路はかなり狭い。人ひとり通るのがやっとだろう。ヒカルは、驚きつつも通路に入った。 狭い通路は下り階段へと繋がっている。そこを下ると、やや開けた空間に出た。と言っても、薄暗くて中はよく見えない。 「なんだ、ここ?」 「ここは秘伝書庫です」 ヒカルの独り言に、返事があった。ヒカルは驚愕を浮かべつつ、声の方に顔を向けた。 途端、ぱあっと周囲が明るくなる。空中に、魔法光が生まれたのだ。 そして、魔法の明かりは、空間の全てを照らし出した。 「え……?」 そこには、ひとりの少女が立っていた。光に照らされ、少女の銀髪は紫色に輝いた。 「エレ、ナ……?」 ヒカルたちが捜し求めていた少女。回復術に長けた魔法使いが、そこにいた。 悲壮な表情には、いつものほがらかな空気はない。まるで戦いに挑む直前のような緊張感が漂っていた。 そのあまりに異様な空気のせいで、ヒカルは立ち止まってしまった。まるで今のエレナは、いつもの彼女とは違うようだ。同じ姿をした、全くの別人が立っているようにも見える。 瞬間、ヒカルの頭の中で全てが繋がった。エドガーを倒すほどの実力者。エレナの行方がまるで掴めない。それらは全て、たったひとつの事実で説明がつく。 つまり、エレナがエドガーを傷つけたという事。それならば、説明できるのだ。 「まさか、お前が?」 「――エドガーさんの、事ですか?」 エレナは悲しげに目を伏せた。 「確かにエドガーさんを傷つけたのは私です」 ポツリと呟いた言葉には、感情の色がなかった。思わず背筋が凍るような冷たさ。いつもエレナが無意識に振りまく温かさが、全くない。 「な、何で! どうしてお前がエドガーをあんな目に遭わせなきゃいけないんだよ!?」 ヒカルの悲痛な叫びが、石壁に反響した。ぐわんぐわんと、まるで部屋全体が叫んでいるかのように。 「この書庫。ここを、エドガーさんが見つけてしまったからです」 「それくらいで――?」 エレナは黙って、背後の書棚から一冊の本を取り出した。古びた本は、丁寧に扱わなければすぐにバラバラになってしまいそうなくらい、ボロボロだ。 「この本は、各教会の長のみが閲覧を許される本です。それ以外の者は、手に取る事はおろか、その存在を知る事すら許されません」 「そんな本が、あるのかよ?」 「……ええ。この本に書かれている事が事実とすれば、教会そのものが揺らぎます。それを避けるため、教会はこの本を禁書中の禁書に指定し、代々の長にのみ、その存在が口伝されています。本当はこんな本、焼き尽くしてしまえばいいのですけれど。何らかの魔法的保護がされているのか、どんな方法を用いても消し去る事はできませんでした」 エレナは本のページをめくった。ぱらぱらと目的の場所を探し出すと、エレナはそこで手を止めた。 「何て、書いてあるんだ――?」 「言うと、思いますか? いえ。そもそも、ヒカルさんが知ろうと知るまいと、関係のない話です」 どういう事だ、とヒカルが問う前に、エレナは本を閉じ、それを書棚に戻した。くるりと振り向いたエレナの目には、微かな殺意があった。 「ここの存在を知った者はただひとりの例外もなく、殺害せねばなりません。それが、長の役目」 「オレを、殺すのか?」 エレナは小さく、しかし、確かに。首を、縦に振った。 「ただし、もしヒカルさんが誰にも話さないと誓って下さるのなら……見逃しても構いません」 続けて、そう言った。静かによく通る声で、確かにそう言った。 |