エドガーはその日の夕刻、目を覚ました。きょろきょろと左右を見渡し、そこがベッドの上だという事を確認した後、ベッドのかたわらに座る少女の存在を認めた。 「エレナ殿。お久しぶりです」 弱々しい声で、エドガーは笑った。 「お、気付いたのか」 男の声に、エドガーは足元の方へ視線を走らせた。扉に背を預けるようにして、ヒカルが立っていた。 「ヒカル、か。何の用だ?」 「別に。つーか、今まで気絶していた人間の台詞かよ、それ?」 ヒカルはあきれたような眼差しをエドガーに送る。エドガーはそれに対して、ふっと笑いを漏らした。もし身体が自由に動くなら、髪をかき上げていただろう。 「今までがどうであろうと、そんなものは関係がない。僕には君が僕とエレナ殿の関係を邪魔する無粋な闖入者にしか見えないがね?」 「オレにはお前が阿呆にしか見えないな」 バチバチとふたりの視線が絡み合い、火花を散らした。と、まるでこらえられなくなったように、ヒカルは笑い出した。 「何だね、君は。人の顔を見て笑うのはとても失礼だと思わないのか」 「はは、いや、なんか安心しちまってさ。お前、死にかけても何も変わらねーな?」 「今更、死線のひとつやふたつで変わるものか。どれほどの戦闘を繰り返したと思っているんだね、君は」 と、エドガーはヒカルからエレナへと視線を移した。 「エレナ殿。あなたからもヒカルに教えてやって下さい。僕が今まで繰り広げてきた数々の栄光の歴史を」 エレナはぽかん、とエドガーを見つめている。その姿に、流石のエドガーも疑問符を浮かべた。 「どうしましたか、エレナ殿? まさか具合でもお悪いとか?」 「具合が悪いのはテメエだ、バーカ」 ちらとヒカルに目をやり、エドガーは鼻で笑った。 「エレナ、殿?」 はっと、エレナは目を覚ましたように息を飲んだ。そして、笑い出す。 「エレナ殿?」 笑われる理由が思い当たらないエドガーは、ただ名前を呼ぶしかできなかった。エレナはにっこりと、それこそ天使のような微笑を浮かべ、言う。 「ごめんなさい。こんなに、こんなにも何も変わらないなんて、思いもしなかったものですから……」 言って、エレナは立ち上がった。そして、深々と頭を下げた。 「エ、エレナ殿!? どうされましたか!?」 「ごめんなさい、エドガーさん。私は過去に縛られ、大切なものを見失っていました。そのせいで、エドガーさんをここまで傷つけてしまいました。この罪は、償いきれるものではないと思っています」 「……顔を上げて下さい、エレナ殿」 エドガーの声は、優しかった。普段の、どこか他人を馬鹿にしたような気配はない。心から他人をおもんばかる、そんな雰囲気が感じ取れた。 エレナが顔を上げると、エドガーは微笑んでいた。自分を殺そうとした少女を前にして、しかし彼は微笑んでいた。 「私は、エレナ殿に贖罪など求めていません。もしエレナ殿が過ちを犯したとするなら、それは僕にも責任の一端があります。愛する人の心の傷も癒せない、この僕に。ですから、罪などと思わないで下さい」 「でも、それでは――!」 「それでは、エレナ殿のお気が晴れませんか」 エレナはこくこくと頷く。するとエドガーは少し考えるように目を泳がせ、そして言った。 「では、僕の身体が全快した頃に一日、散歩でも付き合って下さい。それでこの件はなかった事にしましょう。もっとも、体の傷が癒えてすぐは仕事が大量にあるでしょうから、しばらくは休みが取れないと思いますが」 「そんなので、いいんですか?」 「ええ、もちろん」 エドガーはカッコよく微笑み、エレナは目をパチパチとさせた。どうにも彼の言う事が信じられないらしい。 「エレナ殿。僕はあなたを愛しています。そのあなたから傷を受けたところで、僕には誇りにしかなりませんよ」 「愛しているなんてそんな、また冗談を……」 「冗談を言っている目に見えますか」 エドガーは真剣な眼差しをエレナに送った。エレナが思わず赤面するほどに、彼は凛々しかった。 と、そこに咳払いが響いた。ごほんごほんと、わざとらしいほどに。 エドガーは眉をひそめ、その“無粋な闖入者”に目をやった。 「君は空気を読むという行いができないのかね」 「悪いな、オレは馬鹿なもんで」 バチバチとふたりの視線が絡み合い、火花を散らした。 「ふふ……」 その光景に、エレナは笑い声を漏らした。 彼女の欲していた温かな光景。もう手を伸ばせないと信じていた、光に溢れる光景が、彼女の目の前にあった。 「こんなに近くにあったのに、私は気付かなかったんですね……」 「ん? 何を?」 ヒカルが尋ねる。それに対し、エレナはなんでもありません、と答えて首を振った。 「そうだ、エドガー。オレたちは明日からちょっとエルフ領に行ってくるぜ」 「エルフ領? 何のために」 「竜神と化物が戦ったとかいう伝説の場所を見物してくるんだよ」 エドガーは驚きに目を開き、すぐに合点がいったように、ああ、と声を漏らした。 「なんだ。もう本を読んでしまったのか。まったく、僕とエレナ殿だけの秘密かと思っていたんだがね」 「残念だったなぁ、もうダイナスさんもアリシアも知ってるよ」 「それは残念だ」 エドガーは本当に残念そうに呟き、エレナを見た。 「どうせ、止めても行かれるのでしょう?」 「はい。すみません」 「謝る必要はありませんよ。ただ、これだけは言わせて貰います」 と、エドガーは少し眉をひそめ、言った。 「どうか、ご無事で」 そしてすぐにヒカルにも視線を送り、君もだぞ、と続けた。 「もちろん、です」 「すぐ帰って来るよ」 その言葉に、ふたりは決意に満ちた瞳と共に返した。 早朝の朝もやの中、ヒカルは馬に荷物をくくりつけていた。ヒカルのイメージにある馬と比べると、若干、小さく感じられる。だが、精悍な顔立ちは長距離を走っても平気そうだ。もちろん、顔と能力は何の関係もないが。 「よし、と。エレナ、これでいいんだよな?」 別の馬の荷物を点検していたエレナが、ヒカルの仕事を確認するために寄ってきた。軽く引いたりして点検し、答える。 「ええ、大丈夫です。それではそろそろ行きましょうか」 エレナが言うと、先ほどエレナが点検していた馬が寄ってきた。馬上にはアリシアが堂々と鎮座している。 エレナはもう一頭の馬にひらりとまたがると、ヒカルに向かって手を伸ばした。ヒカルは少し照れながらもその手を取り、エレナと同じ馬にまたがる。 本当はヒカルの分の馬もあるのだが、いかんせん、こちらの世界の馬の乗り方というのは簡単ではなかった。どうにもヒカルと馬の息が合わないため、仕方なくヒカルの席はエレナの後ろとなってしまったのだ。見た目にはカッコワルイが、これも馬に乗れないヒカルのせいなのだから、仕方ない。 ちなみに今のヒカルの服装は、こちらの世界のものだ。厚めの麻の服に、胸を覆う軽い素材でできた鎧を着ている。腰には小さな袋があり、携帯食料などが入っている。 「それじゃあ、ダイナス。行ってくる」 「ああ、気をつけて」 頷き、アリシアは馬を進めた。そのすぐ後をヒカルたちの乗った馬が続く。 やがて、二頭の馬はスピードを上げた。すぐに朝もやに消えた馬の影を、ダイナスはいつまでも見つめていた。 「――無事で、帰ってきてくれよ」 馬を飛ばして丸一日。早馬で駆ければ、もうエルフ領はすぐ目の前にある。 日が沈む頃になってようやく、ヒカルたちは人間領の端までやって来た。崖の上から見下ろすと、草原が途切れ、広い森が広がっているのがわかる。この森がエルフ領の端で、中に入れば何があるのかわからない。 「今日はここで一泊しておこう。ここから先は慎重に進まなければいけないからな」 馬を止め、振り返ったアリシアは言った。一日中、馬に乗って走っていたというのに、その顔にはまるで疲れた様子がない。 「そうですね」 エレナは馬から降り、ついでにヒカルが降りるのを手伝った。 アリシアと違い、ヒカルはすでに疲労困憊という言葉がよく似合う様子だ。もっとも、普通の兵士でもこれだけ馬に乗れば疲れる。ヒカルがボロボロになったところで無理はない。むしろ疲れた様子がないアリシアの方が変なのだ。 アリシアは手早く野営の準備をしていく。簡単なテントに、火の準備。どれも手馴れたものだ。 一方、エレナはバケツを前にぶつぶつと何かをとなえた。途端、バケツに水が張られた。飲み水を作る魔法なのだろう。 「これでよし、と。エレナ殿、少し偵察を食料調達のため、降りてきます。ここでお待ちください」 「はい、わかりました。お気をつけて」 頷き、アリシアは崖を迂回するような道を駆けていった。アリシアを見送ったエレナは、ふと思い出したように振り返った。 「ヒカルさん、大丈夫ですか?」 「だいじょ〜ぶ……」 いまいち元気のない様子で、ヒカルは答えた。 「本当に大丈夫ですか?」 「大丈夫だって。それよりエレナの方こそ疲れていないのか?」 「私は平気です、慣れていますから」 ヒカルはふと真面目な表情になり、エレナをひたと見据えた。 「エレナ。禁書の内容、もう少し詳しく教えてくれないか。エルフの領土に入る前に知っておきたいんだ」 エレナの目が開かれる。真剣な様子のまま、エレナとヒカルは見つめあった。ほとんど睨み合ったと言い換えてもいいくらいに。 「……、わかりました」 ため息と共に頷き、エレナは答えた。 「ただし、アリシアさんが戻ってからにしましょう。その方が効率的ですから」 それに対してはヒカルも異存はない。黙って頷いた。 夕日が、徐々に沈んでいく――。 |