パチパチと焚き火が爆ぜる。拾ってきた木をくべると、火は一時的に大きくなった。 「それで、エレナ殿。そもそもあの禁書は何なのです?」 ゆらゆらと揺れる火に、アリシアの怖いほどに真剣な顔が照らされている。一方、エレナはまた無表情だ。 「著者の名前は“メイ”とだけ記されていました。いつ頃、書かれたものかはわかりませんが。内容は竜神様と“敵”の戦いを克明に記したものです。欠けているために正確ではありませんが、まるで本当にあった出来事のようにも読み取れます」 「その、敵ってのはどんなヤツだったんだ?」 ヒカルは片足を立て、そこに腕を乗せた体勢で聞いた。 「あまりはっきりしないのですが、おそらくは狼のような姿で、かなり大きな身体を持っていたと思います。そして、竜神様の魔法が効かなかったとか」 「魔法が効かない生き物ってのはどんなヤツがいるんだ?」 「いないな」 エレナに代わり、アリシアが答えた。ヒカルもエレナからアリシアに視線を移す。 「そんな生物は存在しない。いや、するはずがないと言うべきかな」 「どうしてですか? だって、火とか水とか、効かないヤツがいてもおかしくないと思いますけど」 「ただの火炎や水流なら防ぐ方法はあるだろうな。だが、魔法的なものとなると話が違う。魔法の火はただ水をかけたところで消えるものじゃない。我々の知るものとは違う常識なんだ。魔法を相殺する事ができるのは魔法だけさ。だが、魔法を使えるのは人間だけだ。よって、魔法が通じない生物などいるはずがない」 ふっと、アリシアは表情を崩した。彼女の知る常識からすれば、発想があまりに馬鹿らしいからかもしれない。 「まして、六属をそれぞれ極めた竜神の魔法を防ぐなんて無茶にもほどがある。ひとりで六竜神を合わせたくらいの魔力を持っていない限りは相殺しきれないだろうな」 「それ、変じゃないですか」 アリシアの頭の上にはてなマークが出たところで、ヒカルは台詞を続けた。 「だって魔法を使えるのは人間だけなんでしょう。だったら竜神とかが魔法を使えるのは変じゃないですか? それとも、竜神ってのは人間なんですか?」 あ、と声が洩れた。アリシア自身、言われるまで気付かなかったが、確かに竜神が魔法で戦ったというのはおかしい。 「そもそも、どうして人間じゃなきゃ魔法を使えないんですか?」 「む、それは……」 アリシアは助けを求めるようにエレナを見た。エレナはそっと口を開く。 「今まで人間以外に魔法を使った者はいないから、です」 「は? なんだそりゃ。使った事がなくたって、使えないって事にゃならないだろ?」 「確かにその通りです。が、実際問題として、エルフも半獣も、さらにはそれ以外、あらゆる生き物が魔法を使ったという記録は存在しません。だからおそらくは使えないだろう、というのが教会の出した結論です」 ヒカル自身はおかしいと言ったが、これは別に珍しい話ではない。 たとえば、超能力はないという論議は、超能力者を実際に証明した人がいないために起きている。テレパシーだの千里眼だのテレポートだの、どれもやった、できたという人はいる。だが、それを科学的に証明した人はいない。だから存在しないというわけではない。ただ、存在すると断言できないに過ぎない。 これも似たような話だ。存在しないかどうかはわからない、だが確認はできていない。だから存在していないのと同じ。かなり強引な理論だが、それがまかり通っている。 「つまり、竜神は魔法を使えるかもしれない。そして、その“敵”とかいうヤツも魔法が使えるかもしれない。そういう事か」 「竜神様が魔法をお使いになられたのなら、それを相殺するには魔法を使ったとしか思えません。ですから、“敵”も魔法を使うと考えていいでしょう」 無表情で頷くエレナは、どこか怖い。幽玄な、という表現が似合うかもしれない。 「でも、それは本の上。言うなれば、伝説の範囲でしょう。我々がその場所に行ったところで“敵”とやらに会う可能性は低い。心配する必要はないでしょう。たとえ、魔法が使えたとしても。我々が知りたい事は竜神様という存在が実在か、実在ならばまだ生きておられるのか。それだけのはずです」 「ええ、その通りです。ただ、魔法を使う存在が人間の他にもいるというのは警戒した方がいいと思います。私たちの優位点がなくなるという事ですから」 「なーんか話がズレたっぽいな」 間延びする口調で言い、ヒカルは一度、深呼吸をした。呼吸を整え、言葉を発する。 「じゃあさ、エレナ。レイだかメイだかってヤツはどうしてそんな本が書けたんだ? そもそもそいつって何人だ?」 それを書いたのがどのような種族だろうと、それが事実を記したものならば、それを記した者は竜神と何かの戦いを見ていた事になる。どれだけの余波があるかもわからない攻防を眺めていられたその人物は、どのような人物なのか。 「わかりませんが、原典はエルフ語で書かれていたそうです。私も読んだ事はないのですが……。ですから、おそらくはエルフかと」 人間でエルフ語を使える者も何人かいるが、それはかなり酔狂な部類である。普通の人間ならば、人間の言葉で書くだろう。 「なーんでエルフの本が人間の国にあるんだ?」 「それは珍しい事ではありません。昔の事ですが、人間とエルフの戦争がもっと激しかった頃、エルフの里をいくつか落とした事があります。その際、エルフの言語を学ぶために書なんかも持ってきたそうです。それ以外にも、商人の間で流れている品もありますし。どこで入手したかはともかく、ありえない事ではないという事です」 「ふーん……」 ヒカルは後ろにどさりと倒れこんだ。見上げる空には、星々がまたたいている。夜空に月が浮かぶのは、この世界でも同じらしい。たったひとつの、地球と比べると少し大きな月が輝いている。 「もしかすると、そのメイというエルフもまだ生きているかもしれませんね」 ぽつり、と。アリシアが、そんな事を言った。 ヒカルが首だけ上げると、アリシアは炎を見つめていた。ゆらゆら揺れる炎には、何だか魅入られてしまう。 「エルフは人間より遥かに長命。どれほど生き続けるのか知りませんが、もしかすると神話の時代から生きている者もいるかもしれません」 「……そのメイってヤツに会えれば、楽なんスけどね」 「そうそう上手くいけばいいが、な」 ヒカルはまた夜空に視線を戻し、呟いた。 「つまり、全ての答えはエルフの領土ってわけか」 「そういう事になりますね」 エレナの声が夜風に流れ、そして消えた。 大きな森を抜けると、草原が広がっていた。美しい花々が咲き乱れ、爽やかな風が通り抜けるその様はどこか安心する光景だ。 「……ここ、のはずです」 エレナは、草原に目をやったまま呟いた。 ディラータを出発して丸三日以上。運よくエルフにも会う事はなく、ようやく辿り着いた場所が、この草原だった。 見た目には竜神や、それと同じくらいの力を持った化物が戦った形跡はない。だが、それも事実としたところで、大昔の話だろう。長い年月が戦争の痕跡を消し去り、平和な姿に変えたのかもしれない。 「じゃあ、少し探索してみっか」 「だが、これは少しまずいな」 気軽に言うヒカルに対し、アリシアの声は緊張に満ちていた。 「今までは森だった。姿は隠しながら歩けたし、敵の姿を音で察知する事も不可能じゃあなかった。だが、ここから先には身を隠せそうなところが見当たらない。エルフと出会えば、交戦は避けられないぞ」 「んな事を言ったって、ここが目的地なんだから。びくびくしたってしょうがないでしょ?」 ヒカルはあきれたようにため息をつきながら言った。 「ここは敵地だぞ。戦いになったところで、増援は望めないんだ。私とエレナ殿だけでは戦える数も限られている。慎重にいかなければ、あっさりと殺されるぞ」 「でも、慎重も過ぎれば無意味になりますよ。それこそ、何のためにこんな危ない場所まで来たと思ってるんですか」 「む……」 アリシアは押し黙り、救いを求めるようにエレナを見た。エレナはアリシアを見上げ、言った。 「仕方ないでしょう。もし敵に見つかった際はできる限り早く逃げる事。ここの探索をしなければ、エルフ領に来た事も無意味になります。行くしか、選択肢がありません」 「……わかりました。となれば、止まる方が危険でしょう。ここから先は馬を使います」 アリシアはさっと馬にまたがり、ヒカルたちにも乗るように促した。 「また馬ッスか……」 嫌そうにため息をつき、ヒカルはエレナの手を借りつつ馬にまたがった。 「それでは行きます」 アリシアの馬が先に走り出す。続いて、エレナとヒカルが乗った馬も走り出した。 起伏のない草原は走りやすい。が、しばらく走ったところで、目に入るものは果てしない草原だけだった。丘や木々すら見当たらない。 これが敵地でなければ風も気持ちいいのだろうが、いつ敵兵が現れるかわからない現状では景色を楽しむ事もできない。もっとも、楽しむほど景色に変化はないのだが。 「何もないな」 「そうです、ね……?」 ふと、エレナは目を細めた。遠く地平線に目をこらす。 「アリシアさん! あれ、なんですか!?」 エレナは前方を指差した。遠く地平線の先に、何かが薄っすらと見えている。 「行ってみましょう」 言って、アリシアはさらにスピードを上げた。 「ヒカルさん、しっかりつかまっていて下さいね」 「は?」 返事も待たず、エレナもスピードを上げる。 「いッ!?」 ヒカルの悲鳴すら置いていきそうな勢いで馬は草原を駆け抜けていく。 やがて、地平線の果てからそれは徐々に姿を見せ始めた。 「これは……」 エレナが呟く。近付くほどに、その巨大さがわかってきた。 しばらく駆けたところで、馬はようやく止まった。 エレナは頭上を見上げた。日の光を遮る巨大な存在が頭の上に広がっている。 「エレナ殿」 一足先に進んだアリシアが寄ってきた。 「アリシアさん、これは……」 「ええ、どうやら本物の樹、のようですね」 幹は数十人の大人が手を伸ばしても届きそうにないほどに太く、枝葉は地面に大きな影を作り出している。小鳥がぱたぱたと枝の中に入っていくのは、そこに巣があるからかもしれない。樹齢は何千年というところだろう。 「こりゃすげーな」 ヒカルも頭上を見上げ、感嘆の声を漏らした。見ていると首が痛くなりそうだ。 「こんな木、見た事ねーよ」 「私も、初めてです」 ヒカルの言葉に、エレナも同意する。 その大きさの前に、三者三様に圧倒されていた。これほどの木はディラータ周辺にもない。いや、人間の領土にはこれほどの大樹は存在しないだろう。それほどの大きさなのだ。 「ちょっと降りてみてみないか?」 ヒカルの一言で、それぞれ馬から下りた。 幹に近付き触れてみると、ますます大きさが実感できる。 「でもさ、どうしてこんな草原のど真ん中にこんだけでかい木があるんだ?」 「ふむ、確かにおかしいな」 アリシアは幹に触れつつ、見上げた。そしてふと、眉をひそめる。 その表情のまま、アリシアはふたりに告げた。 「……、エレナ殿。ヒカル。少し、馬を連れて幹から離れて頂けませんか」 「え? どうしてですか?」 「念のためです」 首を傾げながらも、エレナとヒカルは馬と共に大樹から少し離れた。距離にして十メートル弱といったところだろうか。 アリシアはおもむろに呟きだすと、剣を抜き、頭上にかかげた。 「――、氷凍剣刃」 呪文が、紡がれる。 剣の先端から、蒼い光がまっすぐに空に伸びた。 光線は枝葉に吸い込まれ、消え去った。 途端、枝葉がガサガサと揺れた。枝の陰から、黒い影が飛び出す。全部で……四つ。 「あ! あんた!」 そのうちのひとりに見覚えがあったヒカルは、思わず指差して叫んでしまった。大きな剣、緑色の短髪、馬鹿でかい身体。 「ヨク俺ガ隠レテイルト気付イタナ。ニンゲン」 たった一度だけ、会った事がある。ディラータを襲ったエルフの兵を率いていた、変わり者のエルフ。 「ギル・ウィンガードか。こんなところで会うとは思わなかったぞ」 「俺ノ名前ヲ覚エテイタカ。記憶力ダケハ悪クナイヨウダナ?」 ニヤリと笑い、ギルは剣を肩に担ぐようにして構えた。その背後では三人のエルフ兵が各々、得物を構える。剣、槍、斧。それぞれに異なる武器が、恐ろしげな光沢を放っている。 「サテ。ニンゲンガココニ何ノ用ダ?」 「貴様らに教える義理はないな」 「当然ダナ」 ギルの頬がますますつりあがっていく。ギルは血を求めるように舌なめずりをした。 「ナラバ、ヤルカ」 ふっと、ギルはその大きな剣を上段に構えた。 「それしかないようだな」 アリシアも、剣を中段に構える。 「ハハ、楽シンデイコウゼェ!!」 ギルが駆け出す、それを合図に背後の三人も駆け出した。 ギルは一気にアリシアとの距離を詰め、剣を振り下ろした。 アリシアは大剣の腹を弾き、背後から迫る斧使いに斬りかかる、斧と剣が、火花を散らした。 「オイオイ! アンタノ相手ハ俺ダロウ!?」 ギルは背後からアリシアに襲い掛かる。アリシアは切り結ぶ相手と位置を入れ替わり、突き飛ばした。ギルは迫る味方を殴るように弾いた。勢いが止まらない。それどころか、浮かんだ笑みすら消えなかった。 「オイ! ソノ! ニンゲンハ! 俺ノ獲物ダア! 邪魔スリャオ前ラダッテ容赦シネエゾ!」 叫びつつギルはアリシアめがけて剣を振るった。重厚な音と共にアリシアの剣をぶつかり合う。 ギルに斬られてはかなわないと判断したのか、残るふたりのエルフ兵はヒカルたちの方へと駆け出した。 「サア、殺シアオウゼ!」 叫びと共に、白刃が空気を切り裂いた。 |