ヒカルが案内された先は、大小様々なテントと、物騒な武具を手入れする屈強な男たちが集まる場所だった。周囲の人々がジロジロと見る中、アリシアは連行した男を別の人間に任せ、エレナと共にヒカルを一際、大きなテントに連れて行った。 「ダイナス、いるか?」 アリシアが声をかけながら中に入る。テントの中はランプの不思議な色で照らされていた。 「アリシアか。どうかしたのか?」 テントの真ん中に置かれた机の向こう。そこに、金髪碧眼の男が立っていた。 胸を覆うプレスト・メイルに、嫌味ではない彫りの深い整った顔立ち。特に目立って体格が良いわけではないが、それでもヒカルよりは背が高いだろう。背には長い剣を背負っている。 「……そちらの、方は?」 アリシアに続いて入ってきたヒカルを見て、男の声は僅かに緊張を含んだ。 「向こうの丘の方で発見、保護したんだ。ヒカルというらしい。ついでにエルフをひとり、捕虜として捕まえておいた。倒したのはエレナ殿だがな」 「ヒカル君、か。私のとこに連れてきたという事は、どうせ何か訳アリなんだろう?」 「ああ。何でもヒカルはニホンとかいうところから来たらしいんだが。ダイナス、知っているか?」 金髪の男はゆっくりと首を横に振った。 「小国までは知らないけれど、少なくても私はニホンという国は知らない。どこか辺境にあるのかな?」 ダイナスの問いに、ヒカルは何も答えられなかった。ダイナスも困ったようにアリシアに視線の先を変えた。 「私にわかるものか。事情を聞いてもあまり話してくれないからな」 エレナは俯くヒカルの顔を覗きこんだ。答えられるか、と目で問う。 「オレ、オレがいた日本は島国です。中国とか韓国の近くにあって……」 ヒカルの言葉を押しとどめるようにダイナスは手を前に突き出した。 「ちょっと待ってくれ。チュウゴクとかカンコクというのも聞いた事がないんだ。ディラータからはどのくらい離れているんだい?」 「オレは、ディラータなんて国……知りません」 「ディラータを、知らない?」 この答えには、ダイナスも疑いの眼差しを返した。 「ディラータは人間領で最大の国家だ。それを知らないで国外に出たのか?」 「それだけじゃないですよ。オレは、エルフなんてのも知らない。人間領とかエルフ領とかなんて聞いた事もない。どう、どう考えても……ここは、オレの知っている世界じゃないッ!」 言葉の尻は最早、悲鳴だった。ありえない現実を言葉にする事で、ヒカルの絶望はますます深まっていく。全てが恐ろしい。今、ここに立っているという現実さえも。 『何もかも夢なんだよ』と誰かに笑って欲しい。しかし、どれだけヒカルが望もうと、現実は変わらない。ここは、彼の知らない世界。 「……ヒカル君。どこかに、頭でもぶつけなかったかい?」 「え?」 ヒカルは涙交じりの瞳をダイナスに向けた。その顔には、全てを包み込むような、優しげな笑みが浮かんでいる。 「私の経験上、頭部に攻撃を受けた兵士は時折、記憶が曖昧になったり、たまに錯乱したりするんだ。ありもしないものを現実と思い込んだり、昨日までの味方に斬りかかったりする。もしかしたら、君も少し怪我をしているんじゃないかな?大丈夫、少し休めば落ち着くはずだから。そうすれば思い出したりもするしね。そうだ、どこか休息用のテントで……」 「オレは異常者じゃないッ!」 言葉となった激情は止めがたい奔流となり、次々と口から声が飛び出す。 「確かにここはオレの知らない世界なんだ! まるでゲームみたいじゃないか! こんな世界がありえる筈がない! エルフとか剣だとか、何だよソレ、バッカみてぇ! こんな、こんなのありえるか! ありえて、たまるかよ……!」 最初は強く、最後は泣き崩れるように。ヒカルはとうとう膝をつき、静かに涙を流した。帰りたいと強く願っても、それは叶わない。 「どうやら、ちょっとややこしい事情みたいだね。どちらにしろ、君は少し休んだ方がいい。アリシア、ヒカル君を第三救護テントに連れて行ってくれ」 「わかった。ヒカル、来てくれ」 アリシアはヒカルを強引に立たせると、そのままテントの外に連れ出した。 ダイナスとエレナはその光景を無言で見送った。足音が消え、十分に離れた事を確認してからダイナスは口を開く。 「エレナ殿。彼の話、どう思う?」 「正直、意味はよくわかりませんでした。ニホンとかは聞いた事がありませんし、ディラータを知らないなんてのもありえない話です。もし嘘をついているのなら、大したものですね」 「……ああ、それは私もそう思う。内容はどう考えても嘘なんだが、彼の目は本気だった。事実かどうかはともかく、彼にとってニホンという国は実在するらしいな。エレナ殿、彼の治療を試みてくれないか?」 「それが……さっき少し確認したんです。彼はおそらく、正常です。私の魔法には反応しませんでした」 「……そうか」 ダイナスは残念そうに首を振った。 「となると、彼は後天性の怪我などで記憶障害が起きたわけではないという事か」 「ええ。生まれつきの病気はもう少し検査しないとわかりませんが……。おそらく、ヒカルさんの言葉は全て真実です」 「という事は、彼はニホンからやって来たと。エレナ殿は、そう思うわけかな?」 エレナは無言で頷く。重く、深く。 「……少し彼の素性を調べてみるか。私はエドガーに会ってくる。エレナ殿はヒカル君の記憶障害が本当に障害なのか調べてくれ」 「わかりました」 エレナは丁寧に頭を下げ、テントを出て行った。 ひとり残ったダイナスは、軽くため息をついた。 「……どうして現れてしまったんだ、ヒカル君。君は記憶を風化させる事すら許さないのか?」 悲しみを振り払うように首を振り、ダイナスもまた、テントを後にした。 薬品の匂いが満ちるテントには、いくつかのベッドが置いてあった。その上に横たわる男たちは、あるいは手がなく、あるいは足がなく、あるいは顔を包帯が包んでいて見えなかった。 「ヒカル、こっちのベッドを使ってくれ」 アリシアはヒカルを空いているベッドに案内した。負傷者たちの視線がヒカルとアリシアに集中する。無理もない。ヒカルの服装はどこか変だし、何よりも負傷していない人間がこのテントに来ることは滅多にないのだから。 ヒカルは黙ってベッドに横になった。アリシアは後でまた来る、と言い残してどこかへ去ってしまった。 ヒカルは横向きに寝転がる。寝て覚めて、これが夢だとわかるのならどれだけいいだろうか。 「ヒカルさん? います?」 背中の方から声がした。ヒカルが起き上がって振り向くと、エレナがそこにいた。 「エレナ、さんだっけ……?」 「ええ。その通りです」 ニコリと微笑み、エレナはベッドの脇にある椅子に座った。 「ヒカルさん、ちょっと横になって楽にして頂けません?」 「え、あ、ああ……」 言われた通り横になる。エレナは目を閉じヒカルの額に手をかざすと、ぶつぶつと何かを呟き出した。内容は声が小さくてよく聞き取れない。 そのまま少しだけ時が過ぎた。やがて、エレナは呟きを止めて目を開く。 「ありがとうございました。もういいですよ」 「今のは、一体……?」 「ちょっとした治療系の魔法です」 「魔、法……?」 「ええ、ご存知ありませんか?」 ヒカルが頷くと、エレナは魔法の説明を始めた。 「魔法は“ありえない事を実現させる技術”の事です。六竜神様のお力をお借りする事によって使えるもの、と言われています」 「ロクリュージン?」 「六竜神様もご存知ありませんか?」 「……ああ」 エレナは一瞬だけ目を伏せたが、すぐに明るい調子で言葉を続けた。 「六竜神様はこの世界を守る存在です。炎・雷・風・氷・水・地。六つの属性を象徴する神様がそれぞれいらっしゃって、合わせて六竜神様です」 「神、様」 全てが遠い話。なのに、それを信じ、実際に起こす者が目の前にいる。異常が、異常ではない場所。 「やっぱり……少し眠った方がいいと思います。どうぞ、ゆっくりして下さい」 「ああ……ありがとう」 エレナも席を立つと、ヒカルは目を閉じた。次に目を開く時は、家のベッドで寝ている事を夢見て。 |