ダイナスのテントに到着すると、木の椅子がふたつだけ並んでいた。最初からここに連れてくるつもりだったらしい。 向かい合って椅子に座ると、ダイナスはヒカルが話し出すのを待った。仕方なく、ヒカルは口を開く。 「オレは、日本の高校生です。学校の帰りに急に天気が悪くなって、急いで帰ろうと思ったらいきなりオレの周りが光り出して……気付いたら、あそこにいたんです」 「エレナ殿とアリシアが会ったという、あの場所だね?」 ダイナスが確認すると、ヒカルは頷いた。 「ヒカル君。ちょっとこの地図を見てくれないか」 ダイナスは傍らの机の上に置いてある地図をヒカルに見せた。 「これは世界地図だ。敵領土に関しては曖昧な点もあるが、おおよそ間違ってはいないはずだ。この地図、見た事があるかい?」 その地図に描かれていた世界は、ヒカルの知るものとは全く違うものだった。 お盆のようなカタチの大陸。グニャグニャ曲がった線が土地を切り裂いている。大陸の中は森や山、荒野などがかなり多い。地図の南東部は割と細かく描かれているが、それ以外はかなり大雑把だった。 「いえ。一度も見た事はありません」 「やはりそうなのか」 ダイナスは満足そうに頷いた。 「となると、本当に信じられない事だが……君はこの世界について何も知らない。代わりに、私たちの知らない言葉を知っている。これはまるで、君がこの世界ではない、どこか別の世界から来たように思える」 「そんな事、ありえるんですか?」 少なくても、ヒカルの知る常識は、そんな事はありえないと告げていた。 「私も信じられないさ。そんな話は聞いた事もない。けれど、それならば全ての説明ができる事も事実だ」 「で、でも……」 「それに。全く考えられない話でもないんだよ」 足を組み、膝の上に組んだ手を乗せたダイナスは、ヒカルが思わず信頼してしまいそうになるくらいの自信に満ちていた。 「召喚術というものがあるんだ。魔法の一種でね、少し離れた空間から物を呼び出すものだ。これを応用すれば、異世界からの召喚も不可能ではないはずなんだよ。理論上はね」 「でも……」 「ああ。もちろん問題がある。何よりも、異世界があるという事が前提の話だ。さらに言えば、召喚は小さな物でも多くの魔力が必要となる。人間を召喚するほどの魔力なんてとても人間に扱える次元とは思えない。それこそ竜神様ほどの力が要るだろう。しかし、理論上は説明できる事も事実だからね、無視はできない。そこで相談なんだが」 ダイナスはヒカルに顔を近付け、声のトーンを落とした。 「何か、異世界があると証明できるものは持っていないか? それがあれば、少なくても問題のひとつは解決できるんだが」 「証明って言っても……」 ダイナスにつられて声を低くしながら、ヒカルはポケットの中身を確認した。鞄はどこかで無くしてしまったから、今はポケットに突っ込んだままの物しかない。 「そうだ。これじゃ、駄目ですか?」 ヒカルが取り出したのは携帯電話。当然ながら圏外になっており、どことも連絡はできない、今や無用の長物と化したものだ。 「失礼」 ヒカルから携帯電話を受け取ると、ダイナスはそれを仔細に眺め始めた。 「これは、鉄……じゃあないな。光っているのは魔法か? だが、これほど小さな道具にこれだけの魔法を込めるのは至難だな。ふむ、なるほど……。だが、そんな事がありえるのか?」 「納得、してくれましたか?」 パチリと携帯電話を閉じると、ダイナスはそれをヒカルに手渡した。そして、頷く。 「……正直な話、私は君を疑っている。この世界には人間の他にエルフや獣人、ドワーフなど多種多様な種族が住んでいてね。特に獣人は人間と見分けがつかない。けれど、各種族間は対立している。この意味、わかるかな?」 「スパイ、ですか?」 「その通りだ。君が記憶喪失のフリをして、実は人間側の内情を探るために来た獣人族のスパイかもしれない。そう疑っているんだがね」 ヒカルは携帯電話をポケットにしまい、案外と冷静な口調で返した。 「オレは獣人じゃありません。今ので、納得したんでしょ?」 「そう思うかい?」 「はい。オレ、嘘を見抜くのは得意なんですよ」 「……なるほど。私も見抜かれるようではまだまだだな。これでも嘘は得意な方なんだが」 ダイナスはさらりと髪を掻き上げた。普通なら嫌味な行為も、彼がするとさまになっている。 「答えは肯定だ。確かに今までの言動、行動、それに君の持ち物。それらを含めて考えると、君は人間以外のどの種族でもありえない。これでも短い時間ながらできる限り慎重に調査したんだ。間違いないだろうね。というわけで、アリシア」 ダイナスがヒカルに目をやったまま、外に声をかける。すぐにテントの入り口が開き、アリシアが姿を現した。どうやらずっと待機していたらしい。ヒカルは、全く気付かなかったが。 「問題はなさそうだ。もうすぐ撤退だし、一緒に連れて行こうと思っているんだが、どう思う?」 「私も問題はないと思うが。強いて言うなら、お前が面倒を見られるのかという一点のみだな」 「それは手伝ってくれるのだろう?」 アリシアは深くため息をついた。 「お前のその性格はなんとかならないのか」 「残念だけれどね」 アリシアはもう一度、ため息をつくと、ヒカルに目を移した。 「ヒカル。これからはできる限り私かエレナ殿、あるいはダイナスと行動を共にしてくれ。今は野営だから待遇も悪いだろうが、国に戻ればダイナスが世話をしてくれるはずだ。私やエレナ殿も手伝うが、無用なトラブルは極力、避ける事。特に、ここはエルフ領に近い。エルフに襲われたら今の君では太刀打ちできないだろうからな。絶対に宿営地から離れては駄目だ。わかったかな?」 「……はい。ありがとうございます」 「ヒカル」 アリシアは中腰になり、ヒカルと視線を合わせた。 「色々と悩みや苦しみもあるだろうが、今は耐えてくれ。それと、君がこの世界を知らない事は可能な限り誰にも教えては駄目だ」 「どうして、ですか?」 「それも無用なトラブルを避けるための策だ。ここの常識などに関しては私かエレナ殿が説明する。知らない事に関してはあくまでとぼけろ。そうしないと、厄介な事になりやすいからな」 「……わかりました。気をつけます」 そこまで言い切って、アリシアはようやく笑みを見せた。 「大丈夫だ。我々はこれでもそれなりの力があるからな」 「心配なんかしていませんよ」 ヒカルはアリシアから視線を外して言った。アリシアにはその言葉が強がりだとわかった。けれど、それをあえて口にしたりはしなかった。 夜になると、途端に空気が冷えてくる。外の空気を遮ったあまり大きくないテントの中。ヒカルはエレナと共に夕食の時間を迎えていた。 小さめのテーブルの上には、乾燥した肉と豆のようなものを煮たスープ、それに乾パンらしきものが置いてある。ディラータの兵士に配られる標準的な野戦食だ。 「あまり美味しくないかもしれませんが、どうぞ」 エレナに勧められ、ヒカルは乾パンを一口、食べてみた。硬くて味のないパンは、まるで不味いビスケットのようだ。 「美味しく、ないでしょう?」 「い、いや。そんな事はないよ」 ヒカルはエレナを傷つけまいと言ったが、エレナは顔を伏せて、首を横に振った。 「いえ、確かにこれは美味しくないはずです。持ち運びや保存を重視していますから、味なんてないですし。でも、戦場の兵士はみんなこんなのを毎日、食べているんです。そして、それだけが楽しみの人も多い……」 「そう、なんだ……」 エレナは顔を上げた。そこはかとなく目が潤んでいる。 「ヒカルさんの世界では、戦争は?」 「……あるよ。ただ、オレのいた国は戦争放棄をしていて、もう何十年も戦争をしていないんだ。それでも世界のどこかじゃ戦争が続いているんだろうけど、平和すぎてそんなの実感が沸かないよ」 「羨ましいですね」 ヒカルと目線を合わせる少女は、ひどく儚げで、不謹慎かもしれないが美しかった。涙で潤んだ瞳は、思わず抱きしめたくなってしまう。 「この世界ではどこでも戦争があります。そんなものを望む人なんてほとんどいないのに、殺し合いは止まらないんです」 「どう、して? 嫌なら戦わなければいいじゃないか」 「それが、できないんです。大勢の思惑や世界の流れは戦いに向いています。変えるためには、並ではない努力が必要なんです」 「……難しい話なんだな」 平和な日常こそが普通のヒカルには理解できない理由が、この世界にはあるのかもしれない。深くて陰湿で、カビのように擦っても擦っても落ちない汚れが。 「なあ、エレナ。少し、聞いてもいいかな?」 「あ、はい。何でしょう?」 目元を拭い、エレナは明るい笑顔を見せた。底抜けに明るい笑顔なのに、見ている人間の心を掻き乱すような辛さがある。ヒカルはふと、戦いがなくなればいいと思った。 「ダイナスさんやエレナはどうしてオレを庇うんだ? 戦争中なら、身元のわからない人なんていくらでもいるんだろ? それらの面倒を全部、見るなんてできる筈がない。なのに、どうしてオレの面倒は見てくれるんだ?」 「……それは、ですね。六竜神様の教えにあるんです。他者を見捨ててはならない、困窮する者は助けよっていう」 「六竜神って、確かこの世界の神様だったよな?」 「はい。この世界、特に人間の間では六竜神様を信仰する人がほとんどです。ですから、大抵の人は困っている人を放っておきません。人間同士は助け合うんです。人間同士なら」 「へえ……」 驚き目をパチパチとさせるヒカル。エレナは逆に頬に手を当て、首をかしげてしまった。 「何か、変な事を言いましたか?」 「いや。ただ、オレのいた世界では道端で誰かが倒れていても無視する人もいるくらいでさ。そういう助け合いっていいなって思っただけなんだよ。そりゃ、殺し合いは嫌だけどさ。そういうのがあるから、むしろ助け合えるのかもしれない」 「そうかもしれませんね」 どちらが良いのか、と言われれば、戦争などない方が良い。そんな事はわかりきっている。けれど、危険な状況だからこそ団結できるのかもしれない。それは、それだけは、悪い事ではない。 「そういえば、ダイナスさんって偉いのか? いくら助け合いが当たり前って言っても、普通はいきなり見ず知らずのオレを助けられないだろ?」 「ああ、ダイナスさんは兵士団長なんです。ディラータ国の」 「へいしだんちょー?」 「はい。ディラータの軍事や国内警備は全て兵士団が担っているんですけど、ダイナスさんはその兵士団を総括されています。とても偉いんですよ」 ヒカルは乾パンをかじり、頭の中で整理をした。 「つまり、自衛隊と警察の親玉みたいなものか」 「はい?」 「ああ、こっちの話。じゃあ、エレナやアリシアさんも兵士団なのか?」 「あ、いえ。アリシアさんはバトルヘルパーというお仕事をされています。依頼を受けた人の護衛とか、今回のような兵士の代わりなんかを務めるんです。私は一応、教会に勤めています」 薄いスープをすすり、ヒカルは問いを重ねた。 「教会って、もしかして六竜神の?」 「はい。六竜神様を信仰する教会です。人間領なら国家の壁を越えた機関ですから、割と大きいんですよ。どの国に行っても教会はありますけど、私はディラータの教会にいます。いつもは戦闘には出ないんですけど、今回は人手が足りなかったので……」 「でも、兵士が戦闘をするんだろ? だったら教会の人間なんていらないんじゃ?」 ああ、とエレナはひとり合点がいったように顔を綻ばせた。 「ヒカルさんは魔法についてご存知なかったんですよね。魔法が使えるのはほとんど教会の人間だけなんです。教会の人間が使えるのは主に治療のための魔法なんですけど、薬品で治療するよりは遥かに早いので、戦闘の度に何人かが兵士団の同行する事が決まりになっているんです」 「なるほど、それで今回はその役がエレナに回ってきたわけだ」 はい、とエレナは可愛らしく頷いた。 「なんか、色々とオレのいた世界と違って……ややこしいな」 「文化や風習は少し場所が違うだけでも変わりますから、仕方ありませんね」 「オレ、勉強は苦手なんだけどなぁ……」 困ったように鼻の頭を掻き、ヒカルは干し肉をかじった。 |