ヒカルがエレナたちと出会って三度目の朝。ヒカルはダイナスたちと共にディラータへと向かった。 ダイナスに聞いたところ詳しくは教えて貰えなかったが、何でも今回の戦いはよくあるエルフとの小競り合いの一種らしい。わざわざダイナスが出向くほどの戦いではなかったが、彼の個人的な意向で出陣していたようだ。 全軍をダイナスが先頭で率いる。ヒカルはエレナやアリシアと共にその少し後ろを歩いていた。 道は割と舗装されており、歩くのに困るほどではない。道の左右には、人間の手が加わっていないであろう森が広がっている。もし現代なら、伐採業者が泣いて喜ぶ光景だろう。 ダイナスが率いる兵士団の関係者以外、道を歩く人影はなかった。ごく稀に野ウサギが顔を見せる程度。平和に見える光景は、今も世界のどこかで戦争が続いているという事実を忘れさせてくれる。 徒歩で大勢の人間が移動するため、ディラータまでの道のりはひどく長かった。途中で休憩しつつ進み、結果として二日もかけて、一行はディラータ国・南門に到着した。 高い城壁に存在する巨大な門を潜ると、石畳の道が続く町が現れた。左右には一軒家や商店のようなものも並び、町としても賑わっている。そんな町の光景を尻目に、一行は道を真っ直ぐに進んで行った。 しばらく進むと、進行方向に大きな建物が見えてきた。レンガを積み重ねたような外見で、とても頑丈に見える。 「ディラータ城だ。兵士団の拠点もここになる」 ヒカルの隣を歩くアリシアが小声で説明をした。 「ここから先は、とりあえずダイナスと行動を共にしてくれ。私やダイナスは少し仕事が残っているだろうから、おそらくはあいつの部屋で待つ事になるだろう。誰かに何か聞かれたら『ダイナスの知人』と名乗っておくんだ。そうすればだいたい問題は起きない」 「わかりました」 アリシアに合わせ、ヒカルも小声で返した。 「では、エレナ殿。私は先に失礼します」 「はい。お疲れ様でした」 軽く微笑み、アリシアは隊の前へと駆けて行った。ヒカルはそれを見送り、エレナへと視線を移す。 「とりあえずオレはどうすべきなんだ?」 「この少し先で隊は解散になります。そこでダイナスさんにお会いしましょうか」 ヒカルは言われた通り少し歩くと、城前の広い場所に出た。すでにダイナスが一段、高いところに上っている。 「皆の者、ご苦労だった。まだ少し到着していない者がいるが、ここで解散を宣言する。各自、体を休め、次の戦いに備えて置くように。以上!」 ダイナスが大声で叫ぶと、男たちは雑談を交わしながらぞろぞろとどこかへ歩き出した。ヒカルはその中、エレナに手を引かれて前に行く。 最前列まで行くと、ダイナスもこちらに気付いたらしく、微笑みながら歩いてきた。 「ヒカル君。アリシアから聞いているね?」 「はい。ダイナスさんの部屋で待てばいいんですよね?」 「ああ。私はこれから報告をしなければならないからね。私の部屋までは……エレナ殿、案内をお願いできますか?」 「はい。わかりました」 ニコリと笑い、エレナはこちらです、と言いながらヒカルを先導し始めた。 城内に入り、ヒカルからすれば複雑な道を進む。窓から差し込む光で通路は割と明るかった。木製の扉が並び、どこも同じような光景に見える。 階段を上り何度か曲がったところで、エレナは急に立ち止まった。 「ここがダイナスさんの部屋です。どうぞ」 他とあまり違いがわからない扉をエレナは開く。 中は八畳くらいの大きさだった。正面に窓があり、明るい日差しが中に差し込んでいる。その前には大きな仕事机。右手にある棚には難しそうな分厚い本が並んでいた。 エレナはヒカルを机と向かい合って置いてあるソファに座らせた。 「少ししたらダイナスさんが来ると思いますから、それまで待っていて下さいね」 「ああ、ありがとう」 ヒカルが礼を言うと、エレナはにこりと笑って部屋を出て行った。 ひとりになり、ヒカルはフーッとため息をつく。 「なんか、慣れちゃったな」 最初はあまりにも非現実的な生活に慣れなかったが、いつの間にか少し慣れてしまったらしい。見た事のない光景、まるで中世ヨーロッパのような風景。それらにいちいち驚いたりもしなくなってしまった。 人間は慣れる生物と言われるが、それをヒカルは身をもって体験してしまった。 「これから、どうなるんだろうな」 ソファの背もたれに体を預け、天井を見上げた。石造りの天井はやたらと高く、恐らくは大人の背の倍ほどあるだろう。 「ん?」 廊下をコツコツと歩く音が聞こえる。もう来たのか、などと言いつつ、ヒカルは出迎えるために立ち上がった。 案の定、足音は扉の前で止まる。コンコンと扉を叩き、返事も待たずに足音の主は扉を開いた。 「団長、お話が……?」 入ってきたのはヒカルの予想に反した人物だった。割と高い背、カッコいいのにどこか抜けた感じの顔、黄金色の長髪。ヒカルの知らない相手だ。 「君は誰だ? 団長の部屋で何を?」 「あ、オレはヒカルっていいます。ダイナスさんの知人で、ここで待つように言われているんです。」 ヒカルはアリシアに言われた通りの言葉を復唱した。 「ああ、ヒカル君というのは君の事か。私は第一師団長のエドガーだ。覚えておきたまえ」 「……オレの事、知っているんですか?」 「ああ。身元のわからない男がいるから調査をしてくれ、と言われてね。君の身元は調べさせて貰ったさ。なんでも遠征先にいたそうじゃないか? 僕が調べてもどこから来たのかわからないというのは珍しい話だ。君、本当にどこから来たんだ?」 「え? それは、その……」 ダイナスに迂闊に事情を話すなと言われている手前、別世界から来ましたなどと言うわけにもいかない。第一、そんな話はまだダイナスですら信じきれていないのだから。 「ふむ……、まあいいか。君はここで団長を待つんだろう?」 「あ、はい」 「なら、僕が探していたと伝えておいてくれ。頼んだぞ」 言いたい事だけを言い、エドガーは部屋を後にした。ヒカルは疲れたようにため息をつき、ソファにどっと倒れこむ。 「この先もこんなのばっかか。先が思いやられるな……」 ヒカルの深いため息は、止まる事がなかった。 窓から紅い日差しが差し込む頃合になってようやく、ダイナスは団長部屋に姿を現した。大量の羊皮紙を抱え、笑顔に疲労が滲んでいる。 「待たせたね。じゃあ、帰ろうか」 ドサリと羊皮紙束を机の上に置き、ダイナスはヒカルに目を向けた。 「その書類はいいんですか?」 「ん? これかい? いいんだよ、これは。エドガーにでも回しておくさ」 「エドガー、さん?」 ポン、とヒカルは拳で手のひらを叩いた。名前を聞き、ふと思い出したのだ。この部屋に着いた直後に現れた、あの長髪の男の姿を。 「第一師団のエドガーさんですか?」 「知っているのかい?」 ダイナスは首をコキコキと鳴らしながら言う。 「ああ、はい。オレがこの部屋に来てすぐにやって来て、探している事を伝えてくれって言われたんです」 「そうなのか。まあいい、それじゃあ帰ろうか」 「……まあいいって、会わなくていいんですか?」 「彼は私に会うと何かと煩いからね」 子供のようなイタズラっぽい笑みを浮かべ、ダイナスはヒカルを先導するように部屋を出た。 ダイナスの家は城からかなり近い場所にある。時計を持っていないヒカルではわからないが、おそらく数分の距離だろう。 二階建ての、割とどこにでもありそうな家だ。門を潜ると小さな庭があった。 現代日本と同じような鍵をドアノブに差し込み、木製の扉を開く。 「ようこそ、我が家へ」 微笑み、ダイナスはヒカルを中に招き入れた。 入ったところはごく普通の玄関。壁には何を描いたのかよくわからない絵がかけてあった。靴を脱ぐところはなく、ダイナスも当たり前のように靴のままで中に入っていく。それに習い、ヒカルもそのままで中に入った。 廊下の右手にある扉を開くと、居間に出た。部屋の中心には小さめのテーブルと椅子が四脚。右手には窓が、左手には台所にでも続くのであろう扉がある。 「ダイナスさんは一人暮らしなんですか?」 「ああ。いや、今は少し違うかな」 「ん? 誰かいるんですか?」 「ああ、アリシアはディラータに滞在する間、私の家に寝泊りするんだ。もっとも、今日はまだ帰っていないようだがね」 薄暗い部屋の上にあるランプに、ダイナスは手を伸ばして何かを施した。するとランプが明るく輝き、部屋を照らす。 明るい青色の絨毯。奥の壁際には小さな本棚が置いてあった。 「二階には私の部屋と、客人用の部屋が三つある。ひとつはいつもアリシアが使う部屋だけど、それ以外は好きに使っていい。トイレはこの部屋を出て左に少しいったところの左手側にある。使い方は、まあだいたいわかるだろう。他に質問は?」 「いえ。あの、お世話になります」 頭を下げるヒカルに対し、ダイナスは笑って答えた。 「気にする事はないよ。人助けなんてこの国では当たり前の事さ。まして、兵士団長となればなおさらさ。それに……君は特別だからね」 腰の剣を壁に立てかけ、ダイナスは隣の部屋へと向かった。特にする事のないヒカルは、窓から外を眺めてみた。 窓の外には小さな庭がある。緑の芝生はふかふかとしていそうだ。そういえば、この窓にはカーテンがない。この国ではカーテンなどの習慣はないのかもしれない。 「お待たせ」 ダイナスは隣の部屋からティーポットやカップを載せた盆を持ってきた。それをテーブルの上に置く。ヒカルが椅子に座ると、ダイナスはカップに茶を注いだ。 自分のカップにも茶を注ぎ、静かにそれを傾ける。真似をするようにヒカルも茶を口にした。少し、苦かった。 「アリシアが帰ってきたら夕食にしようか。と言っても、大したものは作れないがね」 「いや、食べ物を貰えるだけでオレには十分ですよ。オレなんて、何の役にも立てないのに……」 「その話なんだがね」 立ち上がったダイナスは本棚から一冊の本を取り出すと、それをヒカルの前に置いた。 「これ、声に出して読んでみてくれるかい」 「はい。ええと、『戦略のすべて』って書いてありますね。……あれ?」 ヒカルは、ふと気付いた。今、彼の目の前に置いてある本。その表紙に並ぶ文字は、何語かすらわからない文字だ。つまり、この本は日本語ではない言語で書かれているという事になる。 「これは人間界の公用語だ。この国の他でも通用する。もっとも、文字を読めない人は多いけれどね。ところで、ヒカル君。君の世界では、この文字を使わないだろう?」 「……はい。何で、わかったんですか?」 ヒカルを落ち着かせるように茶を口にし、ダイナスはゆったりと話し出した。 「以前、君に君の世界を証明するためにひとつ、道具を見せて貰ったね。あそこに文字らしきものが書いてあったが、私には読めなかった。当初は何かの文字を図案化したものか、とも思っていたのだがね」 「そういえば……」 ヒカルは以前、ダイナスに携帯電話を見せた事がある。それの事を言っているのだろう。 頷き、ダイナスは続ける。 「君の世界と我々の世界は生活習慣が大きく異なる。この世界でもそうなんだが、習慣が違うと大なり小なり言語も変わってくるんだ。私が使っているものは公用語だが、辺境に行けば違う言語を使っているところもある。それで、思ったんだよ。何故、君は公用語を話しているのか……とね」 「でも、公用語なら誰でも知っているものなんじゃ?」 「ああ、確かに一番、多く使われている言語だ。君が話せてもおかしい事は全くない。だから試したんだよ。君が本当にこの世界の人間ではないのなら、公用語を話すという事実自体がおかしい。だがもし……君がこの世界に来た時、何らかの魔法的措置を施されていたとしたら? それなら公用語を問題なく扱える事も納得がいく」 ヒカルには魔法的措置というものが、どういうものなのか理解できなかったが、とりあえず何も言わないと決めた。 「となると、君がどの程度まで言語を操れるのか、が問題になる。人間の言葉が使えるとなると、もしかするとエルフの言語も使えるかもしれない。そう思って、君を試したわけだ」 「……かなり突飛な考えですね」 「だが、その通りだったわけだ」 ダイナスはヒカルに考える時間を与えるように、そっとカップを傾けた。 「そこで、君に頼みがある」 「……何ですか?」 ダイナスの瞳に真剣さが増した。その目は少し、怖くすらある。 「私はエルフと人間の戦争を終わらせたい。だが、そのためには会話が必要だ。そして、人間とエルフでは言語が違い、完全なる通訳ができる者は誰もいない。そのため、和平を結ぼうにも動けないのが現状だ」 「つまり、オレに通訳をしろって事ですか?」 「……無理に、とは言わない。君がいたければ、ずっとここにいて構わない。だが、もし君がやってくれるなら、頼みたいんだ。もちろん、君に危険が及ぶような事態は起こさないと約束する。引き受けて、くれないか?」 ヒカルもまた、ダイナスを真似するようにカップを傾けた。苦味のある茶は、ヒカルを少しだけ落ち着かせてくれた。 「……ただ、この家にいるってのは申し訳ないですしね。わかりました、引き受けます。オレにしかできない事なら、なおさらだ」 途端、ダイナスは頬を緩ませた。 「ありがとう。と言っても、すぐにできる事はないけれど、ね。色々と準備があるし、何よりも上に話を通さなければいけないからね。……ん?」 ふと、ダイナスは視線を窓の外に向けた。つられてヒカルも振り向く。 暗い庭を渡って、人影が家に近付いてきていた。ヒカルにも見覚えがあるシルエットだ。 「あれ、は……」 「アリシアが帰ってきたようだね」 言っている間にも扉を開く音が響き、アリシアが『邪魔をする』と言う声が聞こえた。 すぐに廊下の陰からアリシアが姿を現した。少しだけ疲れたように見えるのは、何か大変な仕事を終えたためだろうか。 「お疲れ様、アリシア」 「ああ、いや……やはり教会の人間を相手にするのは疲れるな」 アリシアも剣を外し、ヒカルの隣に座った。ダイナスは黙って席を立ち、台所からカップをひとつ持ってきた。 「ああ、ありがとう……」 ダイナスから茶の入ったカップを受け取ると、アリシアはそれを一息に飲み干した。 「アリシアさんは教会に行っていたんですか?」 「ん? ああ、そうさ。私は今回は教会に雇われた身だったからな。エレナ殿の護衛だ。だから、作戦終了後は教会に報告しなければならないんだ。だが……、どうにも、あの連中は私と合わないな」 「……?」 ヒカルが顔で疑問を示す。それを目にして、ダイナスが口を開いた。 「教会は少し変わった考え方をする者が多くてね。アリシアは教会の人間が苦手なんだよ」 「兵士団で教会の人間と上手く付き合っているのはお前くらいのものだろうが」 「そうだったかな?」 明らかにとぼけた風に、ダイナスは明後日の方向を向いた。 「ま、そんな話は終わりにしておこう。そろそろ夕食の時間だろう?」 「……まあ、いいが」 微かに不満を顔に浮かべながら、アリシアは頷いた。 |