二頭の馬が連れ立って草原を駆けている。 片方に乗るのは、背に巨大な剣を背負ったエルフの男――ギルである。 当然、もう片方に乗るのは茶髪の人間――アリシアである。 「ギル! どこに向かうのだ!?」 風を切りながら、アリシアは大声で聞いた。エルフの里で馬に乗ったギルは、慌てたようにどこかを目指し始めた。 「時間ガナイ! 後ニシロ!」 ギルも叫び返す。先ほどからずっとこの調子だ。 すでにふたりの立場は対等に近いものになっていた。まだエルフ領なのだから、ギルがその気になればアリシアを殺す方法もあるのだが、里を抜けた現状ではほとんどふたりの条件は変わらない。 それに、そもそもギルがアリシアを殺す可能性はすでに皆無に近い。ギルは、アリシアを殺そうと思えば、チャンスなどいくらでもあったのだから。そこで殺さなかった以上、今のギルがアリシアを殺す理由がない。 ひたすらに走り続けると、やがてふたりの進行方向に巨大な樹が見えてきた。竜神とシーフが戦い、結果として竜神の墓標となったという、あの樹だ。 ギルはその樹の根元まで走ると、馬から降りた。続いてアリシアも降りると、ギルに続いて樹に近付いていく。 「何をするつもりなんだ、ギル」 「ココニハ例ノ化物ガイル。ソイツヲ倒ス」 「なるほど」 アリシアはきょろきょろと周囲を見回した。が、特に巨大なシーフが隠れられそうな場所はない。そこだけ疑問に思ったが、アリシアは深く考えなかった。短い付き合いながら、ギルは信義に値する男だとわかっている。 「ひとつ聞いてもいいか」 「何ダ」 アリシアはギルを見上げ、聞いた。 「どうしてエルフの部下ではなく、私をシーフとの戦闘に使うんだ」 「理由ハフタツアル」 ギルもまた、アリシアを見下ろした。ふたりの視線がかち合う。 「ヒトツハ、オ前ガ死ンデモイイニンゲンデアルカラ」 「大層な理由だ」 「ソシテ、モウヒトツハ……」 アリシアの言葉は聞き流し、ギルは続ける。 「オ前ガ強イカラダ」 アリシアは刹那、呆けた。そして、笑い出す。 「上等だ、馬鹿者」 「覚悟ハデキタカ」 「いつでも死ぬ覚悟くらいはある、安心しろ」 ニッとギルは笑った。そして剣を引き抜き、魔力を込める。 「どこにいるんだ?」 ギルはちらとアリシアを盗み見ると、地面に視線を移した。つられてアリシアも下に視線を送る。 「ココ、ダ!」 剣をぶんと振り下ろす。剣は大地を砕き、破り、その下の空間をあらわにした。 ふたりは真っ暗な空間を落ちていく。アリシアが魔法を唱え、ふたりの落下速度を落とした。 おそらくは、建物で言うと八階分ほどは降りただろう。暗く湿った、まるで地獄の底へと繋がるような空気が漂っている。 いや、実際にここは地獄だろう。竜さえも倒す化物が眠る場所なのだから。 『ギル、どうしてお前がここにいるんだ。戦闘にも参加しないで』 暗闇の中から声がした。張りがなく、世界の全てを憎み苦しみ、絶望にまみれた声が。 『テメエか。わざわざ会いに来てやったんだからありがたく思え』 ギルは暗闇に目を凝らしながら答えた。 闇が切り裂かれる。誰かが魔法光を放ったのだろう。小さな太陽が巨大な空間を照らし出している。 闇の中から生まれたのは、銀糸の獣だった。鋭い爪と太い牙は狼を連想させる。その、憎しみに満ちた紅蓮の瞳がアリシアたちを射抜いていた。 その足元に、人間大の青年が立っている。 黒髪に黒い瞳。右腕は銀色のガントレットで覆われている。 全体的に若々しい外見なのに、どこか疲れたような、悲しげな雰囲気がそこにあった。 「貴様がシーフを作ったというエルフか」 「エルフ?」 男は口元に冷笑を浮かべた。 男はアリシアには人間界の公用語を、ギルにはエルフ語を使い分けている。複数の言語を使いこなせる証拠だろう。 「あんたにはオレがエルフに見えるのか、ええ?」 「……エルフじゃない、のか?」 「ああ、もちろんだ。あんたと同じ、人間だよ」 シーフの足に背を預け、腕を組み、男は余裕ぶった態度で答えた。 いや、実際に男には余裕があるのだろう。絶対に負けない自信、アリシアたちよりも圧倒的に優位に立っている自覚がある。だからこそ、笑っているのだ。 「どうして人間がエルフに協力する?」 「それはあんたも同じだろう。互いの利益が一致するなら協力する。そこにエルフや人間は関係ないだろ?」 エルフや人間は、関係ない。 アリシアは、変わった思想だな、と思った。そんな考え方ができる人間はそうそういない。それは、兵士団として、さらには傭兵として、様々な人間を見てきたアリシアの経験からも言える。種族の壁を気にしない人間は、現状ではおそらく、全世界人口の一割にも満たないに違いない。 男はふと思い出したように目を泳がせた。 「そういや、あんたにはまだ名乗っていなかったな。オレは滝澤メイ。つっても、あんたらには理解できないだろうけどな」 「メイ?」 アリシアの記憶の底に、その響きが引っかかった。どこかで聞いた事がある、けれど、それはどこだった――? アリシアが思い出す前に、ギルはエルフ語でメイに言い放った。 『じゃあ、その化物を殺させてもらうぜ』 「馬鹿な事を言っているって理解でいるか、ギル。いや、お前が殺し合いが好きなのは知っているさ。けれど、これは殺し合いじゃない。一方的な虐殺だ。それでもやるのか?」 『虐殺になるかどうかを決めるのは俺たちだろう。なら、お前がとやかく言う話じゃないな』 「それは、そうか」 妙に納得したように、メイはうんうんと頷いた。 「じゃあ、やろうか。ハンデとして、オレは手を出さないでいてやるよ。それくらいはやらないと、勝負にならないからな」 「随分と余裕だな」 アリシアも剣を引き抜いた。 シーフの牙の合間から、獣臭い息が漏れる。目はギラギラと輝き、メイが許可を出すのなら、今すぐにでもふたりを食い殺そうとするだろう。 「挑発は無駄さ。あんたにはオレを挑発するほどの力量もない」 メイはすっと手を上げた。ギルとアリシアはそれを合図に、腰を低くして構える。 「やれ」 短い主の指令。その瞬間、地下の巨大な空間は、狭すぎる戦場と化した。 目の前で剣を振り上げるエルフ兵の心臓を貫き、ダイナスは蹴飛ばすようにして死体を引き剥がす。 その背後に迫る別の兵にダイナスも気付いていたが、彼は振り向く事さえしなかった。背後の兵が剣を振るう前に、その兵は胸から血を噴出して後ろに倒れた。 「団長、情勢は互角になりました。もう一押しです」 ダイナスの背を守るように剣を構え、エドガーは報告した。 「わかった。では、もう少し攻めてみようか」 言って、ダイナスは微笑んだ。 エドガーは頷き、今度は先に走り出す。その身体の周囲には、不思議な紅い紋様が浮かび上がっていた。 これこそがエドガーの得意技。本来なら攻撃以外にはあまり向かない炎系魔法を、しかしリールフォルト家は攻撃以外に使用した。それこそが、この文様。移動式魔法陣『灼熱領域』である。 エドガーが剣を振るう。それは眼前のエルフ兵の背を浅く凪いだ。エドガーが甘かったわけではない、相手がただ避けようとして、避けきれなかっただけだ。 が、エドガーは笑った。そして、叫ぶ。 「爆炎ッ!」 途端、エルフ兵の背が爆発した。エルフ兵は断末魔すら漏らす余裕もなく、地面に崩れ落ちる。 爆炎は炎系魔法の中でも低レベルのものだ。エドガーほどのレベルなら、無詠唱で唱えられる程度のものに過ぎない。それが必殺の威力を持っているのは、エドガーを守るように浮かぶ魔法陣のおかげである。この陣が、エドガーの魔法の威力を引き上げているため、低レベルな魔法も必殺の威力を発揮できる。 エドガーとダイナスが参戦し、兵士団の士気はアップした。ふたりの戦果もあって、押され気味だった戦闘状況は互角となった。だが、まだエルフ側の士気は高く、兵士団としては予断を許さない状況が続いていると言える。 「ん?」 エドガーは思わず疑問を声に乗せた。 エルフ軍の動きに僅かな乱れが生じている。何か、後方に注意が向いているようだ。 「団長。何があったか、わかりますか」 「ちょっと待ってくれ」 ダイナスはぼそぼそと魔法を唱えた。風系魔法の一種で、音声を遠くから伝えるものだ。目標となるポイントはそう遠くに置けない上に、ダイナス自身しか音声は聞き取れないが、戦場という特殊な場所においてはかなり重宝する魔法でもある。 「……どうやら後列の方に、誰かが魔法攻撃をしかけたらしい。これは、水系? 教会の支援じゃないな」 耳に手を当て、独り言のように呟きながらダイナスは音声を拾う。エドガーはそのダイナスを庇いながら、状況を把握しようと努めた。 「敵陣の真っ只中にひとりで突っ込むなんて無茶苦茶、誰がしているんだ? しかも、かなり早い? こんな真似ができる人なんて……!」 ダイナスは顔を敵陣の奥へと向けた。隊列に乱れがある。そこが、先ほどから敵を乱している存在の、居場所。 「全軍! 私に続け!」 ダイナスは手近にいる者に声をかけ、その場所へ向かって走り出した。そのすぐ後をエドガーが随伴する。 敵を切り裂き、突き破り、かわし、流す。そして、とうとう敵陣を貫いて走ってきた少女の姿が、ダイナスたちの目に留まった。 「エレナ殿!?」 困惑の声が上がる。 肩で息をし、銀色の髪は汗で額に張り付いている。けれど、そこに立つのは間違えようもない。 「お久しぶりです、エドガーさん、ダイナスさん」 すぐさま三人で互いの死角をカバーするような陣形に立ちつつも、エレナは言った。 「エレナ殿、どうしてこちらに? アリシアとヒカルは?」 「アリシアさんとはエルフ領で、ヒカルさんとはドラゴンズ・ピークで別れました。ヒカルさんの無事は保障できますが、アリシアさんに関してはできません」 短く、エレナは状況を報告した。 ダイナスの瞳が刹那、揺らぐ。けれどそれは、強固な意志によってすぐに光を取り戻した。 「まずはこの戦線を維持する。エレナ殿、協力してもらえるね」 「はい。陣形は」 「好き勝手、さ!」 弾けるように三人はそれぞれ三方向に飛び出す。そのすぐ後ろを、兵士たちが駆け抜けて行った。 ダイナスの剣がエルフを貫き、エドガーの剣が炎を撒き散らし、エレナの拳が敵兵を吹き飛ばす。疲れを感じたならすぐさま後列の味方に任せ、少し退いて息を整える。その、繰り返し。 戦いは日が暮れるまで続いた。空が茜色に染まった頃、エルフたちはようやく退却の姿勢を見せた。ダイナスは深追いさせなかった。自軍の損害もひどいし、何より彼自身が限界だったから。 追撃はないと判断したエルフは、わかりやすいほど素早く逃げて行った。 夕陽に紅く染まった世界を見つめながら、エドガーは聞いた。 「団長、これで敵軍は退くと思われますか」 「ありえないね。総力を結集して来たんだ。すぐにまた、第二波が来るに決まっている。交代で歩哨を。休める者から順に休ませておくんだ」 「了解」 ダイナスとエレナをその場に残し、エドガーはその場を去った。去り際、ちらりとエレナに視線を走らせ、ウインクをするのは忘れずに。 ダイナスは血に濡れた剣を適当に拭うと、背に負う鞘に収め、隣に立つ少女に尋ねた。 「エレナ殿、よくご無事で」 「心配をかけてすみません。連絡できない状況でしたので」 「まずは、何があったのか説明を。どうしてアリシアとヒカルはいないのか、向こうで何があったのか。聞きたい事は山ほどある」 「ええ。私も話さなければいけない事が山ほどあります」 どちらからともなく顔を見合わせ、ふたりはテントに向かって歩き出した。 |