まさにそこは地獄だった。
 シーフの巨体には、魔法弾も、剣も槍も矢も弾き返される。
 その足の一振り、尾の一振りで、多くの兵士たちが吹き飛び、運悪い者は絶命していく。
 その混乱に乗じるように、更にエルフたちの追撃が走る。それを止められるほどの戦闘力は、兵士団にはなかった。
 徐々に、けれど確実に、兵士たちは倒されていく。その度に、戦線は少しずつ後退していった。
「エドガー! 師団長以下にはエルフへの応戦を! シーフには三人だけで対応するんだ!」
「了解!」
 短いやり取りで、すぐにエドガーは駆ける。これも、所詮は時間稼ぎにしかならないだろう。
 士気の落ちた兵士では、エルフの猛攻には対応しきれない。師団長クラスでも、シーフには何もできないだろう。ダイナス、エレナ、エドガーの三人は、この場で最も戦闘能力が高い三人だ。けれど、彼らでも、シーフには歯も立たない。
 剣は通らず、エレナの魔法攻撃にも無傷とあっては、相手にするだけ無駄な気すらしてくる。けれどここでこいつの進撃を許せば、それは兵士団の壊滅、そしてディラータの崩落を意味していた。
 退くわけにはいかない。だが、戦う手段もない。故に、彼らにできる事と言えば、時間稼ぎくらいだった。希望が来るまでの、ほんの一時に過ぎない、時間稼ぎ。
 ダイナスたちの周囲からエルフも兵士団の面々も消えていく。兵士団のメンバーが上手くエルフ兵を引きつけているのだろう。エルフの方も、シーフの戦闘能力には絶対の自信があるはずだ。ダイナスたちを任せる事に依存はないらしい。
「それで、どうする」
 剣をシーフに向け、ダイナスは背後に立つ少女に問いかけた。その顔にいつもの余裕はない。まさに死を目前とした、心の底からの緊張がある。
「勝ち目はありません。なんとか逃げ続けるしかないでしょうね」
「やはり、そうか」
 シーフは殺意と憎悪を身にまといながら、牙を向いている。獣臭い息が、ダイナスの立つ位置でもにおった。
「間もなく全軍に指示が渡ります」
 いつの間に戻ったのやら、ダイナスの隣にエドガーが立っていた。
「そうか、ありがとう。では、行くよ」
「はい。ですが、団長はお引き下さい」
「何故」
 エドガーはじりじりとシーフに近付いていく。シーフは何を警戒しているのか、まだ仕掛けて来ない。
「こいつは倒せない。少なくても、今の我々には打開策がない。団長は勝てる戦いだけをすべきです。勝てない相手との戦いは、我々にお任せ下さい」
「残念ながらそれはできないな。死ぬとわかりきっている友軍を前に逃げられるほど、私は賢くない」
「団長!」
 語気を強め、エドガーは剣を強く握り締めた。
「これはもう個人の意思がどうこう言える次元ではありません。僕は団長をお守りする事こそが仕事なのです。団長に死の危険がつきまとう戦闘からは、できる限り引き離す事も僕の役目のひとつ。シーフと団長を戦わせるわけにはいきません」
「エドガー。君は何か勘違いをしていないか」
 ダイナスもまた、剣を強く握り締めた。
「私個人の命などどうでもいい。私はあくまで、ディラータを守る兵士団の団長なんだ。ディラータを守るためにこの命すら捧げる、そう国王にお約束した。私が死しても、ディラータが守られるなら本望だ。私の命を守るなど、二の次に過ぎないんだよ」
 刹那、エドガーは絶句し、敵を前にしながらダイナスに顔を向けてしまった。すぐさま、シーフへと視線を戻したが。
「子供のような事を言わないで下さい。団長は兵士団にとっては太陽のようなものです。団長なしの兵士団など考えられません、今はまだ、団長が必要なのです。今、この時、この場所は、団長にとって命を懸けるべき場所ではないはずです」
「私の代わりなどいくらでもいるさ。エドガー、君でも構わないし、ただ心を惹きつけるだけならエレナ殿でも構わない。私は団の看板でもなんでもない、ただの一兵士に過ぎないんだよ」
「団……!」「来ます!」
 エドガーの言葉を遮り、エレナが叫んだ。同時に三人は三方向に弾けるように跳ぶ。
 と、今まで三人が立っていた場所にシーフの前足が下ろされた。地面がひび割れ、大地が揺れ動き、轟音が轟く。
 エドガーは地面を蹴り、シーフに斬りかかった。刃はその毛皮に阻まれ、まるで鉄でも殴ったかのような感触をエドガーに伝える。
「爆炎!」
 エドガーの剣先が爆発する。エドガーはその勢いに乗って、後ろに下がった。その、エドガーが立っていた場所を、前足が凪ぐように過ぎていく。
 煙の上がる足は、けれど傷が見当たらなかった。
「やはり、効かないか」
「それはそうでしょう。私の魔法も通用しないのですから」
 エドガーの後ろから、エレナが飛び跳ねる。まるで羽のように重さを感じさせないその動きで、エレナはシーフの背に飛び乗った。
「危険です!」
 エドガーが叫ぶ。それすらも無視して、エレナは拳を背に叩きつけた。だが、やはりガン、という鉄を殴ったような音しか残らない。
「こっちだ!」
 ダイナスの叫ぶ方に向かって、エレナは跳躍した。そのすぐ後、シーフの尾が自らの背を叩く。ほんの一瞬でも立ち止まれば、すぐさま息の根を止めるほどの一撃がその場所を通り過ぎていく。まさに、立ち止まる事を許されない戦闘が続いていた。
 斬り、逃げ、殴り、避け、弾き、跳ぶ。流麗な動きで三人は連携し、シーフへと攻撃を仕掛けつつ、徐々に本陣から引き離すように動いていった。
 けれど、シーフのダメージは何もない。まさに無傷だ。
 刃は通らず、魔法は弾かれる。そんな相手では、いかにダイナスたちが優秀な戦士と言っても、勝ち目などなかった。
 走り回りながら、ふっとダイナスの顔色が白くなった。
「誰かがこちらに近付いている。馬で二頭、間もなくだ」
「こんな時に増援ですか!?」
 そちらに視線を走らせる余裕もない。三人は、ただ全神経をエルフの領土に向けた。
 やがて、馬が地を蹴る足音が聞こえてきた。同時に、人の声も。
「ダイナス! エレナ殿!」
 その声に、ダイナスは目を細め、エレナは逆に目を丸く見開く。聞きなれた声だからこそ、この場で聞くはずのない声でもあった。
 三人は一度、シーフと大きく距離を開いて一箇所に集まった。その背後に、人影が立つ。立った人物は、刃を真っ直ぐ、シーフに向けた。
「遅れてすまない。手間取った」
「何に、と聞きたいところだが……今は戦闘に集中してくれ」
「了解だ」
 女性にしてはハスキーな声。ただ後ろに立っているだけで、安心感や信頼感が沸いてくる。
 アリシア・アレン。ディラータでも有数の剣の使い手。だが、その身体は薄汚れ、まるで敗走してきたようにボロボロだった。
「しかし、アリシア。どうしてそいつと一緒にいるんだ?」
「失礼ダナ、ニンゲン」
「ダイナスだ」
 振り返りもせず、ダイナスは名乗った。
 アリシアの隣には、エルフの兵士がいた。エルフの中でも凄腕の、おそらくは最強の男。紛れもない、ギルが立っていた。
「細々と面倒な事情があるんだ。説明は省くが、味方だ」
「信用していいのか」
「一応は、な」
 ふむ、と呟き、ダイナスはシーフに視線を向けたまま、言葉をギルへと向けた。
「味方になると言うならば、エルフを退かせてくれないか。戦線が維持できない」
「努力シヨウ」
 答え、ギルはその場を駆け去った。
 シーフはその行く手を遮るように動く。ダイナスたちはそれを阻むように動く。
 攻防のせめぎあいの中、ギルは大剣を背に駆け抜けた。
 ギルが去るのを見届け、四人はシーフを囲むように立った。
「久しぶりだな、こういうのは!」
 ダイナスが叫び、位置的には隣に立つアリシアが返す。
「四人の陣形か。最後に使ったのは、いつだったかな? もう忘れた」
 と、アリシアとは対角線を結ぶ位置に立つエドガーが答える。
「陣形まで忘れたなんて言わないだろうね!」
 それには、エドガーの隣に立つエレナが叫び返した。
「アリシアさんが戦いを忘れるわけがないですよ!」
 そして、エドガーは笑った。
「それもそうか。戦闘馬鹿だし」
「貴様。女性に対して失礼だと思わないのか」
「そう言えば、ヒカルが君を男と勘違いしていたぞ。もう少し女性らしくしたらどうだい、でないと団長に嫌われるぞ」
「どうしてそこでダイナスが関係する!」
「漫才は敵のいないところでやれ!」
 ダイナスの叱責が飛ぶ。そして、四人は走った。
 互いが互いをカバーできる位置に動きつつ、サポートしながら、最も得意な攻撃を繰り出していく。
 ダイナスの風が味方を射出し、エドガーの魔法陣が魔法の威力を強化する。エレナは水系魔法でシーフの動きを牽制し、アリシアの氷をまとった剣がシーフの毛皮を叩いた。
 ダメージを与えていないのだから最終的にはシーフが有利なのだが、それを忘れそうなくらい、見た目には四人がシーフを押しているように見えた。
 だが、それも所詮は見た目。戦っている当人たちは、それが不毛であると十二分に理解していた。攻撃するほどに、かわすほどに、この敵の強さがわかってくる。
 ――こいつは、倒せない。
 そう思わせる何かが、この化物から放たれていた。
「くそッ! なら、これでどうだ!」
 エドガーが何を思ったか、シーフの顔面に向かって飛び跳ねた。
「待て! エドガー!」
 いち早く何をしようとしているのか理解したアリシアは、けれどそれ故にエドガーを止めた。しかし、跳んでしまった後では、もう止まれない。
 エドガーは構わずシーフの顔面に向かって剣を振り下ろしつつ、唱えた。
「爆炎!」
 巨大な火の玉がシーフの顔面に激突した。爆風が吹き荒れ、爆音が響く。その中で、
「危ない!」
 エレナの悲鳴にも似た声が、響いた。



  
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