「橋本ヒカル、だと?」 刹那、フリーズしていたメイは、それでもかなり早い速度で立て直した。 「そう。あんたが先代の竜神の使徒、なんだろ?」 「なるほど。てめえが当代ってわけか」 ヒカルの腕に光る銀色のガントレットを憎々しげに見つめ、メイは唸った。 ヒカルは頷き、ふっとメイの後ろに視線を送った。 途端、顔つきが険しくなる。思わず、メイは小さく震えた。 「エドガーをやったのは、お前か」 「……シーフだ。ま、オレが命令したんだから、オレと言っても間違いじゃない」 震えを否定するように、己の中心で沸き立つ感情を否定するように、メイは口先では軽く言い放った。 「そう、かよ!」 瞬間、ヒカルが走る。メイは思わず身をかわした。その場所を、ヒカルは風のような速度で走り抜け、そのままエレナの脇に立った。 「エレナ。大丈夫だったか?」 「エドガーさん以外は」 互いに顔を見合わせる事すらしなかった。それほどの余裕がないとも言えるし、そうする必要もないとも言えた。 「どのくらい持つ」 「わかりません。すでに死亡してもおかしくないくらいです」 ヒカルはちらりとエドガーの様子を窺った。 その顔には、ヒカルの目から見ても死の色が濃い。エレナの言葉が嘘であると、瞬間的にわかるほどに。 それでもヒカルはそっと頷いた。 「そっか。じゃあ、少し待っててくれ。オレは、ちょっと片付けないといけない相手がいるからな」 そしてヒカルは、メイを見つめた。怒りと憎しみと、哀しみと恐怖と。様々な感情がない交ぜになった、混沌とした目で。 「メイ。お前とシーフ、どっちを先に倒して欲しい?」 「倒す? オレと、シーフを?」 メイの震えは、止まった。そして、新たな震えが生まれる。それはすぐに、メイの口から笑い声となって漏れた。 「はは、ははは! お前はオレを倒すつもりなのか? 馬鹿だ、お前は正真正銘の馬鹿だよ! お前にオレどころか、シーフだって倒せるもんか! 倒せるなら倒してみろよ、オレは黙って見ていてやるからよ!」 自身の最高傑作だからこそ、メイは強気で、笑って言った。いかに竜神の使徒と言えど、魔法の効かないシーフが相手では、ひとりでは勝てない。メイは、その事実を身をもって知っていた。 彼ですら、ひとりの女性を犠牲にしなければ得られなかった勝利。それを、こんな少年にできるなど、彼は毛ほども思っていなかった。 「そうか。じゃあ、ちょっと待ってろ。すぐに戻ってくる」 そう言って、ヒカルはシーフの暴れる場所に向かって地面を蹴った。 「できるもんならやってみろ! そしてオレを倒しに来いよ!」 メイの嘲笑を背中に浴びながら。 「ダイナスさん! アリシアさん!」 ヒカルはその名前を呼びながら、シーフと相対した。 ダイナスはその面に一瞬だけ驚きを浮かべながらも、すぐさま戦士の表情に戻った。ある程度は予想していた事だし、彼自身の歴戦の経験がそうさせたとも言える。 だが、アリシアはそうはいかなかった。 「ヒカル!? 今頃になって何をしに来たんだ! 君がのんびりゆっくりしていた間に、私たちがどれだけ苦労をしたと思っている!」 「君もさっき来たばかりだろう」 シリアスシーンに似合わない、ダイナスの軽口。ヒカルの存在が、それを引き出した。 「すいません。遅れた分は働きで返します」 けれどヒカルは、全く悪びれた様子もなく、平然とそう答えた。 「ダイナスさん、アリシアさん。これの弱点は知っていますか」 牙の間から獣臭い息を吐く化物を睨みながら、ヒカルは尋ねた。 シーフは、話をする三人を前に動かない。その狂気すら浮かぶ瞳に写る少年が、今まで切り裂いてきたどの兵士よりも厄介だと、特有の動物的な感覚で感じ取ったからだろう。 「弱点なんてあるのか」 それを見て取り、ヒカルと話しやすい場所まで移動しつつ、アリシアは聞いた。 「あります、と言うか、それ以外の方法はたぶん、ないです」 「それは?」 ダイナスもアリシアと同じように移動しながら、聞いた。 「あいつの皮膚に傷をつけ、そこから魔法をぶち込む。それ以外にあいつは倒せません」 「根拠は」 ダイナスは必要最低限の言葉しか発しなかった。それで十分でもある。 「こいつの表皮には魔法が通じない。けど、これだけの化物だ。身体を裂いて致命傷なんて、それこそ気が遠くなるような真似はできません。だから身体の一部、それこそナイフ一本くらいの傷でもいい。それだけの裂傷があれば、そこから魔法を送り込めます。こいつの体内は魔法に対してレジストできないから、一発で致命傷になる」 シーフは、万能の兵器ではない。ただの巨大な生き物に過ぎないのだ。 ただ鎧を着ただけの化物なら、その鎧に穴を開ければいい。穴の開いた鎧の中身は、弱く脆い生物のものだ。それは、魔法のひとつで消し飛ぶ程度の、脆弱なレベルの存在でしかない。 シーフの鎧は強固で、弱点も少ない。だが、もしそれを破れるなら。シーフを殺すなど、歴戦を生き抜いてきたダイナスやアリシアには難しくない。所詮、相手は複雑な駆け引きなどない、魔法すら使えない、単純にして一本気な獣なのだから。 「理屈はわかった。だが、そのナイフ一本分の裂傷すら与えられなくて困っているのだが」 「念のため言っておくが、こいつの顔面には魔法も攻撃も通じないぞ」 ダイナスの言葉に追加するように、アリシアは叫ぶ。ヒカルはシーフを見たまま、頷いた。 「その一撃はオレが打ち込みます。ひとりはオレの援護を、もうひとりはトドメの一撃をお願いします」 「……わかった。援護は私がやろう」 軽く前に出ながら、ダイナスは言った。 どうやってそれだけの一撃を放つのかは聞かない。尋ねる必要がない。仲間がやると言っているのだ。ならば細々と尋ねる必要はない。心の底から信じ、ただ任せるだけでいい。それが彼らの信頼関係だから。 ヒカルとダイナスたちの付き合いは短い。普通の人から見れば、とても命を預けられるほどの時間ではない。 だが、信じられると思うのに時間など要らない。本当に信頼できる仲間は、出会った瞬間でも背中を預けられる。 ダイナスはヒカルを信じると決めた。だから、方法や理由など聞く必要はなかった。 それはアリシアにしても同じである。もっとも、彼の場合は『ダイナスが信じるから』という理由もあったが。 「じゃあ、アリシアさん。トドメをお願いします」 「ヒカル、君ではトドメにならないのか?」 「無理です。打ち抜くほどの一発を出したら、連続でトドメなんか刺せない。隙を与えちまったらこっちがやられます」 先代ですら、封印がやっとだった相手。その相手に、しかもそれ以上のダメージを与えるのだ。もちろん、そんな大威力の一撃が連射できるわけがない。 アリシアは笑みを浮かべ、ヒカルの後ろに立った。 「わかった。失敗するなよ」 「……誰が」 ヒカルは駆け出した。そのすぐ後ろを、ダイナスが随伴する。 「ミスるか!」 シーフは軽く後ろに跳ねながら、前足でヒカルを狙った。ふたりは弾けるようにかわし、なおも距離を詰めていく。 シーフは獣の咆哮と共に、ヒカルに飛びかかった。それを邪魔するように、ダイナスは顔面に向かって跳び、剣を振り下ろす。 絶対に安全でも、目に向かって何かが来れば、動物的反射でつい目を閉じてしまう。その間隙を狙って、ヒカルはシーフの身体の下にもぐりこんだ。 腰を落とし、右腕に力を集める。魔力を感じ取り、手甲すら身体の一部のように感じながら、思い切りジャンプした。 「ッだあ!」 気合と共にヒカルの拳は、シーフの腹にめり込んだ。シーフの身体が微かに浮き上がるほどの一撃だった。 単純明快にして、豪快。魔力を込めただけの、ただの拳だった。 けれど、今のヒカルに宿る魔力は、メイとすら比べ物にならないものだった。圧倒的な魔力を持っているからこそ可能な、強引なまでの力技。そして、それはシーフという化物相手には、最も効果的な代物だった。 「今です!」 ヒカルが叫ぶ。その時にはすでに、アリシアは地を蹴っていた。 ヒカルの拳が作り出した裂傷に、全力で剣を刺し込み、剣先に魔力を集中させた。目では見えないが、剣先にはすでに魔力が集中している。 「我が剣に宿れ! 氷龍撃破!」 シーフの肉体に刺さった剣が、爆発した。シーフの銀色の肉体が弾け、血と肉と氷片と鉄片とがばら撒かれた。 ヒカルたちは知らなかったが、シーフの体内にはエルウェンを復活させるのに必要な魔力が溜められている。それが、アリシアの魔力に反応して爆発していた。一撃の威力が通常より高かったのは、そのためだ。 「っと!」 アリシアが地面に叩きつけられる寸前、その下にダイナスが滑り込み、彼女の身体を支えた。 シーフの身体がぐらつく。三人が慌てて引き下がると、狼のようなその巨体が、ずしりと地面を揺らしながら倒れた。 腹の部分にあったはずのものがない。恐ろしいまでに美しかった毛並みは、グロテスクな色の液体に埋もれていた。 「や、やった……?」 アリシアの放心したような台詞が、やけに大きく響いた。 「ああ、やりましたね」 ヒカルはシーフの死骸を見つめ、そして駆け出した。 「ヒカル、どこに行くんだ」 アリシアの下から、ダイナスは声をかけた。 ヒカルは背を向けたまま、答える。 「メイを倒します。ダイナスさんたちはエルフ軍をお願いします」 「勝てるのか」 「勝ちます」 「……そうか」 アリシアが立つと、ダイナスも立ち上がり、放り投げた剣を手に取った。 「死ぬなよ。私は、アリシアの泣き顔も、エレナ殿の泣き顔も見たくはない」 「了解です」 「ヒカル」 頬に付いたシーフの血を拭い、アリシアは言った。その剣はすでに折れ、もう使い物にはなりそうにない。 「エレナ殿だけは、死んでも守るんだぞ」 「死ぬ気はないけど、もちろんです」 そしてヒカルは、走った。それとは対極の方向に、アリシアとダイナスも走る。 全身に血を浴びながら、けれど彼らには立ち止まる暇がない。 |