「倒してきたぜ」 呆然とする青年に、ヒカルは笑いながら声をかけた。 その隣ではエレナが今もエドガーの治療を続けている。だが、エドガーの状態は全く良くなった形跡がない。むしろ、段々と悪くなっているようにすら見えた。もし今、エレナが治療を止めてしまえば、すぐにでも死んでしまうかもしれない。それほど、死に瀕しているのだ。 エレナの額には大粒の汗が浮かんでいる。必死で回復しようとしているのに、まるで効果は見えなかった。それが彼女に更なる焦りを与えている。 その様子をちらりと見たヒカルは、メイを睨んだ。 「こっちも時間がないんだよ。さっさと倒させてもらうぜ」 ヒカルが声をかけた時、メイはようやく目の前に立つ人物に気付いたように、目に光を宿した。 「き……」 「き?」 「きっさまあああああああ!」 憎悪を集約した瞳が、ヒカルを射抜く。ヒカルは僅かに眉をひそめた。 「殺す! 貴様は、絶対に殺す!」 「んだよ、そんなにシーフが大事だったなら、なんで戦いに投入したんだ。なんで、なんであんな、戦うだけの悲しい存在なんか作ったんだよ!」 ヒカルとメイと、ふたりの周囲で風が渦巻いた。ふたりが放つ魔力が、大気にすら影響を与えている。 「シーフだって生きていた! なのに、どうして! お前の私利私欲のために生きて、死ななきゃいけないんだ!」 「うるさい! あんな道具はどうだっていいんだよ!」 互いの感情が高ぶっていく。それに沿って、魔力も高まっていく。すでに、息苦しいほど濃密な魔力が、ふたりの間でせめぎ合っていた。 「お前のせいで! あいつはまた蘇るのが遅れる! なんで余計な事をするんだ! どうしてどいつもこいつもオレの邪魔をする! どいつもこいつも、死んじまえばいいんだよ!」 メイは感情と共に疾駆した。ヒカルは迎え撃つように構える。 メイの放つ鋭い蹴り。それをガントレットで受け、ヒカルは拳を突き出す。メイはさらりとかわし、流れるように拳を振るった。 それすらも、まるで読んでいたようにヒカルはかわしていく。 メイはますます感情を高ぶらせ、鋭い蹴りや拳を繰り出していった。だが、どれもヒカルは捉えられない。かわせるものはかわし、かわしきれない攻撃はガントレットで受ける。そして、隙ありと見るやいなや、すぐさま攻撃に移る。 まるで、メイがヒカルに遊ばれているようだ。いや、実際に、メイよりも数段の高みに、ヒカルは立っていた。 「くそッ! くそッ! なんで当たらないんだよ!?」 「そりゃ、そうだろ」 熱していくメイを見つめ、それが逆にヒカルを冷静にさせていた。先ほどまでの熱い彼はどこへやら、今は静かな雰囲気でメイを見ていた。その様は、凍てついた炎を連想させる。 「お前は格闘技じゃオレに勝てない」 「何故だよ!? お前はオレよりも弱いはずだ! ただの高校生じゃないのか!?」 「ただの高校生だよ、オレは。実家が道場でもなければ、格闘技を習っていたわけでも、遺伝子を改造された新人類でもない。どこにでもいた、ただの一般人だ」 メイの攻撃をかいくぐりながら、ヒカルは言う。 「じゃあ! どうして! オレは、お前に当てられないッ!」 「簡単だ。お前にその格闘技を教えたのは誰だ? お前に戦い方の基礎を教えたのは誰だよ?」 「そんなもの、お前の知った事じゃ……!?」 ふっと、メイは気付いた。気付いてしまった。 それを恐れ、メイは大きく距離を開けた。それが事実なら、確かにメイは勝ち目がない。あるはずがない。 「ま、さか……? お前、お前は!?」 「会話、させてやるよ。あいつもそれを望んでるからよ」 ヒカルの瞳が刹那、色を失った。そしてすぐさま、輝きを取り戻す。 ただし、先ほどまでとは違った。 明るく強く、どこか悲しげでありながらも確かに輝いていた光。それは、悲壮感と苦悩に彩られた、見る者の胸をかきむしるような、絶望的な色合いへと変化した。 その目を見ただけで、それが誰であるのか、メイにはわかってしまった。 わからないはずはない。ずっと想っていたのだから。 神話と呼ばれるほどに昔から、ずっと変わらずに想い続けてきた。ただひとりだけを、妄執とも呼べるレベルで想い続けてきた。 それなのに、それがわからないはずがない。 「エル、ウェン?」 それでも言葉尻が疑問系になったのは、目の前の光景が信じられなかったからだろう。 ずっと想い続け、ずっと彼女のためを想っていたのに、その彼女が目の前に立ちはだかっているなど、考えもしたくなかったからだろう。 「メイ。もう、止めましょう」 声は確かにヒカルのものだった。けれど、放つ雰囲気は全く違う。 あまりにも長い時間を生き続け、見たくもない光景をその目に焼きつけ、聞きたくもない声を耳にしてきた、絶望を知る声。決して暗い雰囲気で言っているわけではない。ただ、普通に話しているだけなのに、別に暗くもなんともないのに、そうさせるのだ。その、声が。 「エルウェン、エルウェン! どうして、どうしてお前がオレの前にいるんだ? お前は、お前はオレの隣で笑ってくれていたはずじゃなかったのか?」 「ええ、そうでした。そんな頃も、ありました」 ヒカルは――いや、エルウェンは、その瞳を遠くに向けた。懐かしい過去、もう戻らない古の記憶を、呼び覚ますように。 「メイ、残念ながら、もう終わりなんです。あなたの行いは間違っています。私は、ただの一度もそんな事を望んだ覚えはありません」 「嘘だ! お前は、確かに『まだ終わりじゃない』と言った! だからオレは、終わらせなかった。永遠に続けられるよう、この身体を化物に変えてまでお前を信じてきた。なのに、お前が裏切るのか? 答えろよ、答えてくれよ! エルウェン!」 「ええ。私は言いました。まだ終わりじゃない、と」 エルウェンは頷き、けれど、と続けた。 「私は永遠の肉体も、多くの犠牲も望んだ覚えはありません。私は死してなお、あなたのそばにいた。あなたと一緒なら、この身がどんな状態であろうと構わなかった。ただ、隣で笑っていたいと願いました。ただ、それだけなんです」 少女は、男の隣を望んだ。それは、叶った。 少年は、女と歩む人生を望んだ。それは、叶ってはならなかった。 少年は神に反逆し、挑んだ。少女はそれでも、少年を見つめていた。 けれど、いつしか少年は道を外してしまった。目的はすり替わり、手段を選ばなくなった。 少女は、決意した。とても悲しい、心の痛む決意。 少年を止める。それも、力で。 少年の想いは、言葉などで止まらないとわかっていた。どれほどの言葉を尽くしても、どれほど深い想いがあろうとも、もう少年には届かないと、少女にはわかっていた。 だから、少年を傷つけてでも止めると決めた。 誰より、少年が喜ぶ方が嬉しい。けれど、そのために世界中を悲しませるなど、彼女にはできなかった。 少年のために全てを捨てられなかった彼女は、少年を捨てる道を選んだ。 今も昔も、変わらず想っている。それは変わらない事実。なのに、それでも、少女は少年を傷つけねばならない。少女の信じる平和、求める平和のために。 メイは、ひざをついた。放心したような、無防備な表情で空を見つめている。 彼は、間違っていた。彼自身、そんな事は百も承知だった。 それでも彼女と一緒にいたかった。世界を敵に回しても、たったひとりのために生きた。 そして、そのたったひとりすら、敵になってしまった。 もう彼には何も残っていない。自分自身さえ彼女に捧げてしまった彼には、何も残されていなかった。 「はは……」 メイの頬がつりあがり、笑みを形作った。口からは笑い声が漏れている。 なのに、ちっとも楽しそうではなかった。 「はははははははははははははははは!!」 メイの狂ったような笑い声が草原に満ち渡る。メイはもう、狂っていた。 「なんだ。もう、何もねーじゃんか。オレには、オレにはもう何も残っていない。ああ、そうかよ。だったら、こんな世界なんかいるもんか。なら、オレの全てを否定したこの世界を、このオレが! 否定してやるよ!!」 メイはゆらりと立ち上がった。目には正気の色がない。すでに、彼は狂気にとらわれていた。もう逃れようがないほどに、捕まってしまっていた。 「出て来い、ヒカル。お前を否定して、オレは世界を否定してやるよ!」 メイのつりあがった笑みが段々と変容していく。口先が尖り、髪が伸び、全身が体毛に包まれていく。 その姿は、人間ではなかった。狼のような人。 実験体のシーフを喰らった者に現れる、反動だった。 シーフを喰らえば、寿命を延ばし、細胞分裂の限度数を増やす事ができる。だが、代わりに肉体を捨てるという事になる。 シーフを喰らった者は、シーフに喰らわれる。すでにメイの身体は、半分はシーフと同化していた。 ヒカルの目の色も変わった。エルウェンの持つ絶望的な輝きから、ヒカル本来の強い輝きへと。 「いいぜ。お前が世界を否定するなら、オレがお前の存在を否定してやる。お前の全てを、オレが、ぶっ壊してやるぜ!」 ちりちりとふたりの間で魔力が弾けていく。 人と人ですらない化物の対峙。それは、一瞬だった。 どちらからともなく、ふたりは駆け出す。風を切り、蹴りを放ち、拳を振るう。 メイの一撃をヒカルがかわせば、お返しにヒカルの蹴りがメイに打ち込まれる。 メイはガントレットで蹴りを受け止め、更に拳を振るう。 ヒカルは身体をそらして一撃をかわし、その動きをそのまま利用して更に裏拳でメイの顔面を狙っていく。 互いが互いを否定するために戦う。どちらも折れるわけには、いかなかった。 己の全てを賭けた、絶対に退けない戦い。負けられない理由はどちらにもある。だからこそ勝利を目指し、死に物狂いで戦った。 「どうしたよ、ヒカルッ!」 メイが叫んだ。かすったメイの拳がヒカルの頬を切り裂いていた。ぱっくりと裂けた頬から、血が流れた。 「お前こそどうしたんだよ、早くなってるじゃねーか!」 ヒカルも負けじと拳を突き出す。かわしきれず、メイの頬の毛がふわりと舞った。 シーフの肉体を人間の肉体に上乗せした状態である今のメイは、身体能力が強化されていた。さらに言えば、彼を覆う毛皮はシーフとほぼ同じもの。シーフほどの反射能力はないが、下手な魔法は通用しなかった。 メイの猛攻に、ヒカルは一瞬、たたらを踏んだ。その隙を見逃すほど、メイは甘くない。 「おらあ!」 強く踏み込み、メイは蹴りをヒカルの腹に叩き込んだ。ヒカルは息を詰まらせながら、ごろごろと地面を転がる。続く踏み潰すような追撃を、ヒカルは芋虫のように転がってかわした。距離を開き、立ち上がる。 「やる、じゃんか」 口元から血を吐きながら、ヒカルはにやりと笑った。 「それほどでもねーよ」 メイもにやりと笑った。 軽く回復魔法をかけながら、ヒカルは走り出した。簡易的なもので、先ほどの一撃で受けたダメージを全て回復できるほどの魔法ではない。それでも、走る邪魔にはならない程度には回復する必要があった。 ヒカルは身体の動きを、エルウェンの経験に任せた。今のメイの動きには対応できないと判断し、自分は強力な魔法の詠唱に集中する。 ひょいひょいと回避し、詠唱が終わったところで、ヒカルは魔法を放った。 「砂風刃撃!」 左手の指を伸ばし、ひゅっと風切るように指を動かす。 風が舞い、砂が弾丸のようにメイの身体を切り裂いた。赤い血がぱっと散る花のように咲き誇る。 魔法そのものは通用しない相手だが、巻き上げた砂は現実の物質。シーフほどの強力な筋肉組織を持っていない今のメイの肉体は、弾丸の如き砂によって容易に裂かれてしまった。 もっとも、もしもこれがダイナス程度の魔法なら、通用しなかっただろう。莫大な魔力を持つエルウェンと竜神の魔力を内に秘めるヒカルだからこそ、ここまで力任せの戦法でも通用するのだ。 「ちッ!」 魔法でダメージを受けるのは想定外だったのか、メイは一瞬、回避の動きを見せた。そこに、ヒカルは隙を見つけた。 「喰らえよ!」 魔力を右腕に込める。集まった魔力は筋力を一時的に強化し、本来なら出せないほどの力にも耐え得るだけの能力をもたらす。 そして、銀の手甲に覆われたヒカルの拳が、爆発的な威力と共にメイの腹に叩き込まれた。 「がッ――!」 シーフの肉体すら傷つけた一撃。いかにメイが防御に力を費やしていようと、耐え切るレベルの代物ではなかった。 よろめき、メイは膝をついた。 |