「お前の負けだ。メイ」
 メイを見下ろし、ヒカルは言い放った。その言葉に、感情の色はなかった。
「負け、だと?」
 苦しげに顔を歪めながらも、それでもメイはヒカルを睨んでいた。世界で誰より、ヒカルを憎んでいるから。
「認めないって、言った……だろ?」
「オレもお前を認めねーよ。だからどうした。世界中の人々を不幸にさせるお前なんか、認められるわけねーだろうが」
「ああ、そうだな。だから、オレは、世界中を、ぶっ壊す!」
 メイの震える左腕が、右腕のガントレットに触れた。
「オレは、もう竜神の使徒じゃねえ。だから、こいつも、もう必要ねえ!」
 ぐっと、メイがガントレットを握る腕に力が入った。万力の如き力は、ガントレットを粉々に打ち砕いた。
 変化はすぐに訪れた。
 思わず、ヒカルは大きく身を引いた。本能的に危険を感じ取っていた。
 打ち砕かれたガントレットから輝きが漏れる。溢れた魔力はメイの周囲にまとわりつき、まるで鎧のように覆った。
「今まで使う分しか表に出なかった魔力を、全てお前を殺すために使うんだ。ありがたく思えよ」
 メイは立ち上がった。まるで操り糸によって動かされる人形のような、人間離れした動きだった。
「オレはお前を殺す。お前を殺して、世界中の連中を殺して、そしてオレも死んでやる。何もかも、ゼロにしてやる!」
「オレは、お前を殺さねえ」
 じっとメイを見つめ、ヒカルはそう答えた。
「オレはエルフを殺した。ふたりだ。殺さなければ殺されていたかもしれないけど、そんなの関係ない。オレは、殺したんだ。殺す以外の道だってあったかもしれないのに」
「それが、どうした」
 ヒカルは自嘲的に笑った。
「その時、オレは押し潰されそうだった。自分のした事の重みで死んじまいそうだった。そんなオレでも立たせてくれた人がいるんだ」
 少女は、罪を共に背負うと言ってくれた。
 戦士は、何も言わずただそばにいてくれた。
 多くの人々に支えられ、彼は再び立ち上がった。
 今の彼は、大勢の人々があって成り立っている。そしてそれは、人々にとっても同じだった。
 少女を縛るしがらみを断ち切ったのは、彼だった。
 悪鬼の如き獣を倒したのは、彼だった。
 世界によって少しずつ、彼は変わっていく。そして、世界は彼によって、少しずつ変わっていく。
 決して留まらない。それが世界であり、それを形成する人々なのだから。
「オレを救ってくれた。立たせてくれた。道を教えてくれた。だからオレは、その人たちに、そして何よりオレ自身に誓ったんだ。もう誰も殺さない。そして、戦いを止めるって。それがオレの決めた道だ。誰にも文句は言わせねえ、オレの決めた道なんだ!」
 ぐっと拳を握った。手が白くなるほど。様々な感情がヒカルの胸を去来し、そして弾けて消えた。
「お前が押し潰されたって言うなら、オレが立たせてやるよ。自分の二本の足でしっかりと地面を踏みしめて、そうしなきゃ見えないもんがたくさんあるからな!」
「それがお前の覚悟か。いいぜ、オレの殺意とお前の覚悟! どちらが上か! 勝負だ!」
 魔法の威力は心の強さが決定する。
 目に見えない力を扱う魔法は、何よりも精神力が大きく影響する。同じ威力の魔法なら、打ち勝つのは心の強い方だ。
 ヒカルの脳裏に、竜神の言葉が思い起こされた。
『心を、魂を奮わせろ。それがこの魔法を発動させる鍵になる』
 メイには誰にも負けない殺意がある。誰でもいいから殺したいのではない、誰も彼も全て殺したいという、強い意志。
 ヒカルには誰にも負けない覚悟がある。世界を変えるという、個人ではどうにもならないであろう事を、しかしやり遂げようとする覚悟。
 そのどちらが心という意味で上か。それは、戦えばわかる。
 先に動いたのはメイだった。ヒカルはそれをじっと見つめたまま、動かない。
「オレはお前に負けない。竜神たちがオレに託した想い、お前に見せてやる」
 メイの拳がヒカルの顔面に向かって繰り出される。それをヒカルはガントレットで受け止めた。
 続いてメイの蹴りが足元を狙う。それを軽く後ろに跳んでかわし、ヒカルはさっと言葉を紡いだ。
「世界を変えるのは誰だ。オレたちだ。世界を作るのは誰だ。オレたちだ。世界を決めるのは誰だ。オレたちだ。この世に生きるその存在、この世に生きるその全て。世界は生者が作り出す!」
 それは呪文であり、切なる想いだった。細かい言葉など、関係ない。
 言いたい事を、ルールにのっとって紡ぐ。それが、呪文の意味だから。
「受け取れ、メイ。竜神のオリジナルマジック、『神々の領域』だ!」
 ヒカルの右腕が、輝いた。
 メイはその眩しさに、思わず腕で目を隠した。太陽のような六色の輝きが、ヒカルの腕から放たれていた。
「んだよ、これ!?」
 メイは僅かに動揺した。明かりの魔法などではない、彼ほどの永きを渡ってきた者ですら、初めて見る光だった。
「休んでいる暇はないぜ、おらぁ!」
 気付けば、メイの足元に屈んだヒカルがいた。
 ヒカルはそのまま、飛び上がるようにメイを殴り飛ばした。よろめくメイに、更に蹴りを叩き込む。
 それでもメイは、転げるようにして起き上がり、バランスを取った。全身を覆う竜神の魔力は、伊達ではない。
 ヒカルは両手の平を合わせた。ちょうど、何か神様に願い事をするように。
 そして、そのまま両手で地面を突く。すると地面が揺れ、うねる大地はまるで生き物のようにメイに襲いかかった。
「なッ!?」
 メイは岩を砕きながら飛び上がり、一撃をかわす。それでも、動揺は否めなかった。
「なんだよ、それ!?」
 魔法の詠唱すらしていないのに、地面を操るという地系の高等魔法をいとも簡単に扱うなんて。莫大な魔力を持つメイですら、そんな真似はできなかった。
「どんどん行くぜ!」
 次にヒカルは、片手で天を指した。そのまま、指先をまっすぐ、メイに向ける。
 と、今度は何もない空間に雷撃が集まり、それは雷となってメイに襲いかかった。
 動く大地とは異なり、今度は光の速度で進む電撃。回避のしようがなかった。
 雷の槍がメイを貫く。低レベルとはいえ魔法反射装甲を身にしているのに、まるで関係ないかのごとく、メイはダメージを受けた。
 ふらりと足元が揺れたメイに向かって、ヒカルは拳を突き出す。もちろん、拳が届くような距離ではない。それでもメイが大きく跳んでかわしたのは、原因不明の攻撃が続くからこそだった。
 案の定、メイのいた場所を数瞬すぎて火流が通り過ぎた。溢れる炎の流れは、もしそこに普通の人間が立っていれば火傷では済まないであろう。それだけの威力だと、見るだけで理解できた。
「あり、えねぇ!」
 ヒカルの攻撃は、常識から外れていた。いかに高い魔力を持っていたとしても、これだけ異なる魔法を連続的、かつ高威力で撃ち出すなど、どう考えても普通ではなかった。
「現実を見ろ。お前はいつだってそうだな。現にオレは魔法を使っている。それを認めなきゃ、お前、負けるぜ!」
 ヒカルは強く地面を蹴り、メイとの距離を詰めた。そのまま、ヒカルは拳を突き出す。
 恐怖感から、メイは思わず首をガードした。
 ヒカルはそれを見越していたかのように、胸を狙っていた。ヒカルの右手が風に乗り、高速度でメイの胸を叩いた。
 肋骨の折れる音を感じながら、メイは地面を転げた。
 ――ありえない。
 何度もメイはそう思った。そして、その想いのせいで戦いに集中できない。
 現状を認め、対処できないメイは、ヒカルに勝てる要素がなかった。
「くっそたれぇ!」
 それでもメイが立ち上がったのは、負けたくないという想いからに過ぎない。何か勝算があったわけではなかった。
「どういう事だよ!? 何もしないで高位魔法を乱発するなんて! そんなの、そんなのありえるはずねーだろうが!」
「お前さ、オレの話を聞いてなかったのか? そういう状態じゃないんだよ、今は。オレがどうやって魔法を使っているか、じゃない。それにどう対処すればいいのか、って考えなきゃいけないんだ」
「対処なんか、できるわけないだろ!? どうやっても勝てるはずがない!」
 言ってから、メイはしまったと思った。ついに、言ってしまった。勝てるはずがないと。認めてはいけないものを、認めてしまった。
「方法はあるよ。なんだって弱点くらいあるさ。それをわざわざ教えてやったりはしないけど、さ」
 ヒカルの態度は余裕に満ちていて、その割に攻撃の意思がなかった。あれほどの攻撃ができるのなら、とっくの昔にメイを殺していてもおかしくはない。なのに、ヒカルの目には、どこかやる気が感じられなかった。
「くそ……、くっそおおおおお!」
 メイは思い切り地面を蹴飛ばした。そのまま、弾丸のような速度で突っ込む。拳を前に突き出し、全身を覆う魔力を一層、高めていく。
「それがお前の最強の一撃か」
 ヒカルは軽く足を開くと、ぐっと右の拳を握った。
 メイの全力を込めた一撃と、ヒカルの拳が、真正面から激突した。
 魔力が突風のように草原を吹きぬけ、ヒカルとメイを中心にクレーターのような穴が開いた。
「軽いよ、メイ」
 ヒカルは、拳を振りぬいた。
 メイの右腕がありえない方向に曲がり、メイ自身もまた、吹き飛んだ。
 メイの最強最高の一撃を、ヒカルは真正面から弾き返したのだ。それも、全力を込める事なく。
 ヒカルは、再びメイの眼前にそびえるように立った。
「……殺せ」
 ヒカルを見上げ、大の字に倒れながら、メイは言った。その言葉に、感情の色はなかった。
「生き永らえても、オレには幸せなんかない。情けなんていらねぇ。殺してくれ。むしろ、それが情けだ」
「嫌だ」
 悲しげに、どこまでも悲しげにメイを見つめながら、それでもヒカルは言った。
「オレは殺さない。絶対に殺さない。お前が死にたいと思ったって、オレは殺さない」
 ヒカルはそっと、メイの額に触れた。
「メイ。憎しみなんか、捨てちまえ。そんなもん、持っていたって良い事なんかひとつもない」
 ヒカルの右手が光に包まれた。温かな光はメイを包み込み、その傷を癒していく。
 メイはそっと目を閉じた。目尻からは、温かな雫がこぼれ落ちている。
「くそッ! 優しくなんか、すんじゃねーよ……」
 メイの全身を覆っていた毛が、はらはらと抜け落ちていった。彼の憎悪を洗い流すように。
 その顔は人間のものへと戻っていく。獣の顔から、人間のものへ。
「教えてやるよ、メイ。『神々の領域』ってのはな、オレのイメージを具現化する魔法なんだ」
「イメージを、具現化する?」
「ああ。オレ自身が世界となり、オレが望むままの世界を作り出す。ルールなんざ関係ねえ、オレの目指す通りに世界が組み変わるんだ」
「……なるほど。勝てる、わきゃねーな。まさに魔法の中の魔法ってわけだ」
 メイは自虐的に笑った。
 魔法は、世界のルールを一時的にねじ曲げるもの。『神々の領域』は、その極限だった。
 一時的にあらゆる世界の法則を変えられる魔法。そのために必要な魔力は想像を絶する。だが、世界でただひとり、ヒカルにだけはそれが可能だった。
「おい。まさか、お前の手甲には?」
「ああ。竜神たちが、宿っている」
 ヒカルはメイに見えるように、ガントレットの宝玉を掲げた。
 光を失った黄色い宝玉と、強く輝く五つの宝玉。それらは、炎、風、氷、水、地、雷の六属を表す。光を失った宝玉は、雷を表していた。
「それじゃ、オレは竜神どもを同時に相手にしてたってわけか」
 はは、と乾いた笑いがメイの口から漏れた。
「これからどうするんだ、ヒカル。オレを倒したって戦争は終わらないぜ」
「どうしてそう思うんだ?」
「当たり前だろ?」
 ヒカルの言葉の意味がわからない、とメイは目で表現した。
「生き物ってのは生まれながらに戦いを欲しているんだ。オレはちょっと後ろから押してやっただけに過ぎない。戦争を始めたのも、続けたのも、生き物の業だよ」
「それは違う」
 ヒカルはそっと首を横に振った。
「誰も戦争なんて望んでいない。一握りの、自分の都合で戦いを推し進めるヤツがいけないんだ。誰も殺したり殺されたり、憎んだり憎まれたりなんてしたくない。だから生き物は今まで生きてこられたんだ」
「考え方の相違だな」
「……そう、だな」
 ふたりは絶対に相容れなかった。最初は同じものを目指していたはずなのに、こうも違う平行線になってしまった。
 メイに背を向けると、ヒカルは片手で別れを示した。
「お前さ、忘れてるだろ。たった今、説明したばっかだってのに」
「何を?」
「オレの魔法さ」
 その一言で、メイにはヒカルが何を言いたいのかわかった。
 一瞬、驚きに目を見開き、すぐに笑った。
「お前、馬鹿だな」
「お前もな」
 違うカタチで出会えれば、きっとふたりは友人になれただろう。
 けれど正面から対立してしまったふたりは、決別せざるを得なかった。
 メイは寝転がったまま、ヒカルを見送った。ヒカルもまた、振り返ったりはしなかった。



  
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