メイを倒したヒカルは、エドガーの治療を続けるエレナに駆け寄った。 「どうだ、エレナ。エドガーの様子は」 エレナは手に魔力を集中させるのを止めていた。エドガーの隣に座り、無感情な瞳でじっと見つめていた。 「間に合いませんでした」 ぽつりと、エレナはそれだけを言った。それ以上は、何も言えなかった。 「そっか。悪かったな、エレナ。辛い想いだけをさせちまった」 「いえ。ヒカルさんは何も悪くありません。私が、避けられなかったから……」 「そんな、事は……ありません」 小さくエドガーの口が動いた。ほとんど聞こえないような、小さな声だった。 「僕は、エレナ殿を守れて。それで、死ねるなら、本望です」 「なーに、勝手な台詞を吐いてるんだよ。馬鹿が」 ヒカルもエレナと並んで、エドガーの枕元に座った。 「そういうのは死んでいくヤツの勝手な論理だ。遺された人はどうすりゃいいんだよ。それでも生きていく人は、どうすりゃいいんだ?」 ヒカルは泣かなかった。泣きそうなほどに辛いのに、泣けなかった。 「僕の、勝ちという事だ……」 「は?」 「これで、エレナ殿は……僕の事、忘れ、ない」 「お前、それで幸せなのか。エレナのトラウマを増やして」 エドガーは弱々しく微笑んだ。その顔にはすでに生気がない。死が全体を支配していた。 「仕方ない、だろ。そうでも、しなければ……エレナ殿は、僕を、忘れて……しまう」 「どうして」 「お前が、忘れさせる……だろう?」 エレナはそっと、エドガーの頬に触れた。まだ、暖かかった。 「エドガーさん――」 何かを言おうとして、けれどエレナは何も言えなかった。死に逝く人を前に、何を言えばいいのか、エレナにはわからなかった。 「エレナ殿。幸せ、に……なって、下さい。遺言、ですよ……」 「無理です。そんな、顔をされて、幸せになんかなれません」 「それは、困りました、ね」 エドガーはエレナの頬に手を伸ばそうとした。けれど、力が入らず手はぴくぴくと動くだけだった。 「何を言っても、無駄……でしょうけど、僕に言えるの、それだけですから……」 「エドガー」 ヒカルはまだ感覚があるのかわからない手を強く握った。 「ワリィけど、エレナを守るって約束はできないからな」 「それは、仕方あるまい」 エドガーは微笑み、目を閉じた。 「綺麗に、逝けた……な」 口も閉じる。それ以上、エドガーが口を開く事はなかった。 ヒカルもエレナも、何も言わない。吐ける台詞がなかった。 「おーい!」 呼び声に顔を向けると、ダイナスたちが駆け寄ってきていた。 「大丈夫、ではなさそうだな」 息を切らしながら、ダイナスは言った。 その後ろにはアリシアとギルもいる。ヒカルにはどうしてギルがそこにいるのか理解できなかったが、何も言わなかった。 「エドガーが死にました」 「そう、か。助からなかったか」 ダイナスは残念そうに目を伏せ、首を横に振った。 ヒカルはそっと立ち上がると、歩き始めた。 「どこに行くんだ?」 「オレにはやらなきゃいけない事があるんです。泣いてる暇、ないんです」 ヒカルはダイナスに背中を向けたままで答えた。振り返りはしなかった。 「できる限り早く戻ってきてくれ」 「大丈夫ッス。魔法をひとつ、使ってくるだけですから」 答え、ヒカルは思い切り駆け出した。何かを振り切るように。 「ダイナスさん、ここはお任せします」 突然、エレナも立ち上がった。 「やはり、早く戻ってきて下さい。我々では葬送ができませんから」 「はい」 頷き、エレナはヒカル以上のスピードで走った。 その後姿を眺めながら、ぽつりとアリシアは呟く。 「よかったのか。エルフ兵は退いたが、まだやらねばならない事は山ほどあるぞ」 「いいんだよ。ヒカルは我々に協力しなければならない義務はない。だが、エレナ殿の精神を安定させるには彼が必要なんだ。彼にはやりたい事をやってもらうしかないだろう」 「冷静だな」 「そうなる必要があるからさ」 そっとエドガーの脇にしゃがみ込み、ダイナスは胸の前で十字を切った。竜神に死後を委ね、その人間の幸せを願う簡素な行為。 アリシアも同じようにしゃがみ、同じように十字を切り、同じようにエドガーの冥福を祈った。 「まったく、団長という立場は私に合わないな」 「何を言っている。お前以上に団長が務まるヤツなんかいるものか」 「いや、たまには私も感情で動きたいという事さ」 立ち上がり、ダイナスは空を見上げた。 すでに空は茜色に染まっている。まるで戦いで流れた血が、そのまま空を染めたかのように赤い空が広がっていた。 ヒカルが走り続け、どこまでも走り続け、ようやく止まった場所は小高い崖の上だった。ヒカルがこの世界で初めて立った場所であり、初めて戦いを目の当たりにした場所でもある。ようやく、ここまで戻ってきた。 ヒカルが息を整えていると、遅れてエレナも到着した。 ふたりの顔は紅に染まっている。黄昏時まで、もう間もなくという頃合。まだ互いの顔は見えていた。 エレナは泣いていなかった。ヒカルも泣いていなかった。ただ、夕陽を見つめていた。 「綺麗、だな」 「そうですね」 沈み行く陽。地球を照らす太陽よりも一回りは大きく見える。そういえば、とヒカルは思い出した。あの大きな光の、名前も知らないな、と。 彼がこの世界について知らない事はいくらでもある。むしろ知っている事の方が少ないだろう。 それでも自分の足で歩いて、自分の目で見て、自分の耳で聞いてきた。この世界について、自分の力で知ってきた。 そして、導き出した答えはひとつ。この世界の人々には、悲しんで欲しくない。それだけだ。 よそ者の彼が口にする台詞ではないかもしれない。それでも彼はそう思った。 ダイナス。アリシア。エドガー。教会の面々。商店の親父たち。兵士団の戦士たち。そして、エレナ。色々な人に世話になった。色々な経験をした。 そして、彼らには不幸になって欲しくないと、幸せになって欲しいと、そう願うようになった。それで十分だった。 「世界ってさ、ひとりで作るもんじゃないんだよな」 ヒカルはぽつりと呟いた。 今、この世界は一握りの者たちによって動いている。ごく僅かな、戦いを求める者によって。 ヒカルはそっと、右手を上げた。銀色のガントレットに夕陽が当たり、赤く輝いていた。 「オレは、この世界に住むみんなが幸せになって欲しい。人間だろうとエルフだろうと、そんなの何の関係があるってんだ。同じ生命じゃねーか。どうしてそれが理解できないんだ」 この世界の考え方なんて、ヒカルには理解できない。 彼には、それがどんな理由であろうとも、殺せる理由にはならない。 殺しをしていい理由なんて、彼の中には存在しなかった。 この世界に来たばかりの頃は、ヒカルにもなんとなくあった。深く考えた経験はないにしろ、それでも殺したいほどの憎しみというものもあるような気がしていた。 けれど、エルフを殺して。彼の中から、殺していい理由は消えた。 殺人の重みは、生命の重みは軽くない。それを奪える理由など、今のヒカルにはなかった。 「誰かが辛い想いをして、泣く事もできねーなんて嫌だ。誰かが死ななきゃ保てないなんて、そんなの嫌だ。みんなが生きて、みんなが笑える世界であって欲しい」 ヒカルの周囲を、淡い光が漂いだした。幻想的で、現実離れした光は、とても綺麗だった。他の何にも例えがたい、不思議な魅力がある。 「どうして戦わなきゃいけないんだよ。どうして殺す必要があるんだよ。そりゃ、オレだってエドガーが殺されて悲しい。家族が殺されたら悲しいって思うに決まってる。でも、そこで殺しちゃ駄目なんだ。それじゃ、終わらないんだ。殺して殺されて、それじゃあ終点なんか来るはずないじゃんか」 エレナは黙ってヒカルを見ていた。見とれていたのかもしれない。彼を覆う、美しい輝きに。 赤のような、青のような。時と共に移ろいゆく光は決して留まらず、この世界に住む人々を象徴しているかのようにも見えた。 「だから、もう終わりにしようぜ。駄目なんだ。殺した奴を殺したって、死んだ人間は生き返らないんだ。辛くて悲しくて、そっから逃げるために誰かを殺してたら、駄目なんだ。相手を否定し続けたら、泣くに泣けねーよ」 ヒカルの右手が、まっすぐに夕陽を指した。赤い光に、彼は願う。 「他人を憎むより、想った方がいい。殺すより、労わる方がいい。どうせ戦うなら、殺し合いじゃない戦いをしようぜ。人間ってのは生きているだけで戦いなんだからさ。今からだってできる。その手助けをするために、オレはこの世界に来たんだから」 ヒカルの手が大きな六芒星を描いた。この世界を彩る六つの力を示す、六角形の星を。 「戦争なんて絶対に駄目だ。たまには衝突したっていい、喧嘩しなきゃわからない事もある。でも、最後は手を取り合って笑え。それが、オレがこの世界に望む事だ」 描いた六芒星から、光が溢れた。ガントレットに、ヒビが入った。 光は筋となり、天へと昇っていく。 星が見え始めた空に同化するほど高く昇った光は、そこで弾けた。無数の光線は、ヒカルの頭上と中心に八方へと飛び散っていく。 光は世界中に飛んでいった。この世界にいる誰の目にも届くだろう。ヒカルの想いは、世界に響いたのだ。 そこから先、どうなるかはわからない。そこまではヒカルでもどうにもできない。ただ、ヒカルはヒカルが考えつく限りに良い方向へ、押し出しただけに過ぎない。 動き出した世界がどうなるか、それを決めるのはこの世界に住む人間たちだ。この世界に住んでいないヒカルには何もできない。 この世界を形作るのは、ダイナスであり、アリシアであり、ギルであり、そして、エレナなのだ。 ヒカルは光をじっと見つめ、そして、後ろ向きに倒れた。 「ヒカルさん!?」 慌ててエレナが近寄る。その時、ヒカルは――。 |