「ん……?」 ヒカルは薄く目を開き、途端にその眩しさに目を閉じてしまった。 「眩しい、な」 身体をゆっくりと起こす。そして、目を鳴らすように少しずつ目を開いた。 眩しさに目が慣れると、ヒカルは左右を見渡した。どうやら、ダイナスの家らしい。机と書棚、そして天井近くで輝く魔法球。見慣れた風景が広がっていた。 「ん? エレナ……」 ヒカルは、ベッドの上で寝ていたらしい。そこに頭だけを乗せて、エレナは静かに眠っていた。 ヒカルはエレナを起こさないようにそっとベッドから抜け出ると、部屋の外に出た。 階下に降りると、居間で魔法光の下、ダイナスが何かの書類に目を通していた。 「ダイナスさん」 ヒカルが声をかけると、ダイナスはそっと顔を上げた。 「ようやく、目覚めたか。エレナ殿は?」 「寝てるんで起こさないようにしてきました。ダイナスさん。状況はどうなっているんですか? どうしてオレはここに?」 慌てるな、という風に手で制すと、ダイナスは悠々と台所に向かった。すぐに、紅茶の入ったカップを持って戻ってくる。 「少し落ち着いて話そう。長くなる」 ヒカルに紅茶を勧め、ダイナス自身もカップに口をつけた。 仕方なくヒカルも紅茶を口に含んだ。 「まず、今日の日時だが。君がメイ・タキザワを倒してから十三日が経過している。君はその間、ずっと眠っていたわけだ」 「十三日!?」 「だから落ち着けと言ったんだが」 すいません、と頭を掻き、ヒカルは話の続きを無言で促した。 「メイ・タキザワは城内で監視されながらも治療を受けている。まだ眠ったままだがね」 目覚めても、今の彼に危険はないだろう。 シーフの血はなくなり、竜神の魔力を集めた手甲も失った。何より、今の彼に戦意は残っていないだろう。 敗北と、優しさのせいで。 「残存のエルフ兵はギル・ウィンガードが率いてエルフの里まで連れ帰った。彼の話では今回の戦闘でエルフの族長が死んだそうで、次代はまだ決まっていないが、おそらくは彼になるそうだ。彼が族長になれば、エルフと人間の間には和平協定でも結ばれるだろうね」 「どうしてギルが退いたんですか?」 ああ、と頷き、ダイナスは答えた。 「彼は純粋に戦闘が好きなだけで、戦争が好きというわけではないそうだ。彼なりの論理だろう。自分が戦うのは構わないが、エルフが死ぬのは嬉しくないそうだ。アリシアをエルフ領から逃がしたのも彼の独断らしい」 「あのギル、が……」 ヒカルのイメージにあるギルは、アリシアと楽しそうに戦う姿だけだった。戦いを楽しんでいるかという点では頷けるが、彼がエルフを大事にしているようには、ヒカルには思えなかった。 「信じられないなら、次の機会に話してみるといい。話せばわかる相手だ」 ヒカルは頷いた。話をするつもりがあるのではなく、単純にダイナスが信じられると言った、その言葉を信じると決めただけだが。 「和平協定って、つまり、もう戦争はしないって事ですよね?」 「ああ。人間とエルフの確執がなくなるわけではないだろうが、目下の戦闘はなくなる。誰も死ななくなる、という事だ」 誰も死なない。ヒカルが望んだ事だった。 だから、ヒカルは安堵のため息を漏らした。ようやく、殺さない時代になる。 「各種族もそれぞれ歩調を合わせ、非戦闘態勢に入るようだ。ようやく、この世界も徐々に平和な時代に移行するだろう。良い事だ」 「……でも、犠牲はゼロじゃないです」 「その通りだな」 ダイナスはそっと紅茶を飲んだ。カップを皿の上に置く、カチャリという音すらも、やけに大きく聞こえた。 「今回の戦闘での被害は甚大だ。私も連日、その始末に追われていてね。戦死者の確認、外交の準備と、とにかく忙しい」 見れば、机の端には書類が積まれていた。これら全てに目を通さなければいけないのだろう。それだけでどれほどの時間が必要なのか、ヒカルには想像もできない。 「ダイナス、さん。エドガーは……」 「彼も死んだよ」 遠慮がちに尋ねるヒカルに、ダイナスは何気ない風に言った。ごく自然に、世間話のひとつであるかのように。 それがダイナスなりの優しさだとわかっていても、ヒカルは釈然としなかった。 「遺体は確認した。明日、合同葬が行われる。行けるか?」 「行きます。絶対に」 ヒカルは力強く頷いた。 殉職者の合同葬は、城の前の広場で行われた。 物悲しい音色の歌が聞こえる中、ヒカルもエレナと一緒に献花した。 「ようやく平和になったのに、な……」 少し離れた場所で手を合わせる人たちの姿を見ながら、ヒカルはぼそりと呟いた。 「あいつ、それを見る前に死んじまうなんて……」 ヒカルの目に、彼との思い出が溢れて、消えていく。 どこか人を馬鹿にしたような、気障な笑み。 書棚の間で何かの本を読みふける、真剣な横顔。 アルフレッドの話をしながらも剣を振るった、その表情。 エレナに殺されかけたというのに、笑っていた。 ほんの少し前の短い時間なのに、ひとつひとつの思い出がとても重くて、とても遠い昔の事であるかのように感じられる。 ふとヒカルが隣を見ると、エレナは泣きそうな顔で、けれども涙を流す事なく立ち尽くしていた。 「……エレナ」 「何でしょう」 じっと献花台を見つめながら、エレナは問い返す。 「泣きたい時は、泣いていいんだ。誰かが死んだら悲しくって当たり前なんだから。それを泣ける世界が、オレの望んだ世界なんだから」 「泣きません」 けれどエレナは、そう答えた。 「絶対に泣きません。エドガーさんに、泣き顔は見せられません」 「どうして?」 エレナはヒカルを見上げ、小さく笑った。 本当に小さく、ムリヤリに頬を歪めたようにすら見える笑いだったけれど、それでも笑っていた。 「エドガーさんは、最後に私に笑うよう願いました。だから私、泣きません」 「……そっか。偉いな、エレナ」 ぽん、とヒカルはエレナの頭に手を置いた。 と、黒い服の群れから、やはり黒衣をまとった男女が一組、ヒカルたちのところに近付いてきた。そして、女性は口を開く。 「こんなところにいたんですか、エレナ殿。もうすぐ祈りの時間です」 「あ、はい。もうそんな時間でしたか」 そっと目の端を拭い、それでは、と言い残して、エレナはぱたぱたと駆けていった。 残されたヒカルは、走り去るエレナの背中から隣に立つ黒衣の女性へと視線を移した。 「アリシアさんも女の人だったんですね」 「君は何かと失礼な物言いだな。今度、その口を私が直々に直してやろう」 「遠慮しておきます」 「ヒカルの台詞ももっともだと、私は思うのだがね」 喪服姿のダイナスは、そっと微笑みながら言った。 「どういう事だ」 「もう少し女性らしくしたらどうか、と言っているんだよ。せっかく世の中が平和になりつつあるんだし」 「平和と何の関係がある」 「もうバトルヘルパーは要らない世になる、という事さ」 もちろん、兵士団もね、と続けた。 「どうだ。仕事を辞めてみないか」 「それでどうやって食べていくんだ」 呆れ顔で問い返すアリシアに、ダイナスはやはり平然と答えた。 「私が食べさせるよ。これでも団長だからね」 「それはどういう意味だ?」 「今は不謹慎だから言わないでおこうか」 「……もう十分に不謹慎ッス、ダイナスさん」 かもね、と言ってダイナスは笑った。それを眺めながら、アリシアは苦笑交じりにため息をついた。 「エレナ殿のお祈りだ」 ダイナスがふと、目線で献花台の向こうを指した。大きな即席の壇上に、エレナと数人の教会メンバーが立っていた。 拡声の魔法を唱え、エレナは少し声の調子を試した後、口を開いた。音楽は、鳴り止んでいた。 『お集まりの皆様、まずは黙祷しましょう』 皆が黙祷を始める。ヒカルもそっと目を閉じ、死者の冥福を祈った。 『ありがとうございます』 エレナの言葉で、ヒカルも顔を上げた。 壇上のエレナは泣いていなかった。沈痛な笑み、という表現が似合った。 『今回の戦闘では、多くの方々が亡くなられました。私も、大切な友人を守れませんでした』 エレナの言葉に、そっとアリシアは顔を伏せた。アルフレッドの事を思い出しているのかもしれない。 『誰もが望んで死んだわけではありません。それは、人間もエルフも同じです。なのに私たちは、殺し合うという選択肢以外を探そうともしませんでした。それを、当たり前と受け入れていたんです』 静かだった。エレナの声を除けば、何の音も聞こえない。鳥たちですら、エレナの言葉に耳を傾けているように感じられた。 『ですが、それは間違っていました。人もエルフも、同じように生きています。生命の重さは、人もエルフも同じです』 エレナは真摯に訴えている。そして、それに反論する者はいなかった。 『もちろん、この場の皆さんは家族や友人を亡くされた方々ばかりでしょう。この国に住む人のほとんどは、そういった方々だと思います。ですから、エルフを憎むな、とは言えません』 でも、とエレナは続けた。 『でも、全てのエルフが悪人ではないんです。多くの人間が仕方なく剣を手に取ったように、エルフもまた仕方なく剣を手に取ったんです。彼らもまた、大切な人を失った悲しみを、剣を振るう事で忘れようとしていたんです』 この場の全ての人間がエレナの言葉に納得しているわけではないだろう。殊勝な顔をしていても、腹の底ではその言葉を否定している者もいるに違いない。 ヒカルは、それでもいい、と思った。 人間の考えは統一できない。色々な人がいて、それらが混ざって世界が形作られている。なら、そのひとつひとつを潰すべきではない。 全員が納得できる世界なんてありえない、とヒカルは思う。それでも、戦いは止めたかった。納得できる世界を作りたかった。だから、止めた。だから、戦った。それだけだった。 『全員にエルフと手を取り合え、なんて言いませんし、言えません。でも、少しずつで構いません。多くの犠牲の上にある今を、大切にして下さい。そしてそれは、隣人を大切にする事、種族の垣根を越えた枠組みにあると、私は思うんです』 数え切れない犠牲があった。そしてようやく、その上に今がある。 彼らの死を無駄にしないために、今を大切にする事。帰らない過去だからこそ、それを背負って生きていく事。それを、エレナは望んでいる。 『人間もエルフも変わらない生き物である。それだけは、全員の心に留めておいて欲しいと思います。それが実感の沸かないものでも、虫唾の走る口先だけのキレイゴトと思って下さって構いません。それでも、心の隅で覚えていて下さい。いつの日か、人間もエルフも仲良く暮らせる世界にするために。それが、私からのお願いです』 そう締めくくって、エレナは深く頭を下げた。 誰からともなく、拍手が沸き起こる。それは満場を占め、城前広場は人々の拍手で埋め尽くされた。 ヒカルも懸命に手を叩いた。その隣では、アリシアとダイナスも手を叩いている。 しばらくして拍手が途絶えると、エレナはまたゆっくりと口を開いた。 『それでは、人間と、そして死したエルフのために、黙祷をお願いします』 エレナが言うと、皆が目を閉じた。その中で、エレナはそっと歌いだした。楽器を静かにかき鳴らす音が、それを盛り上げるように聞こえてくる。 エレナの透き通った歌声。それは、戦い、志半ばで地に伏した者たちのための鎮魂歌。 魔法のような、不思議な響きを持つ音色に、場の全員が聞き惚れていた。その一瞬だけは、思想も何も関係なく、確かにひとつになっていた。 そっとエレナが歌い終わると、エレナはもう一度、深々と頭を下げた。 そして、彼女が壇上から降りると、司会役らしい教会メンバーが合同葬の終わりを告げた。 ヒカルたちは、壇の裏に回った。そこでは解呪を唱えてもらったエレナが、額に浮かんだ汗を拭いながら休んでいた。 「エレナ」 ヒカルが声をかけると、エレナはそっと笑った。無理をしているわけではない、自然な笑みだった。 「すごかったぜ、エレナ。あれならみーんな、エルフと協力してくれるさ」 「そうなるといいですね」 「なるさ。いつか、必ず」 それは半ば、願望のようなものだったかもしれない。望んだところで叶うはずもない、夢のようなものかもしれない。 それでも、望まなければ叶わない。願わなければ実現しない。 だから彼らは心の底から願うのだ。人間とエルフが仲良くできるように、と。 「エドガー、見てるかな」 ヒカルは空を見上げた。エルフではない彼は、魂をこの世に繋ぎとめるほどの魔力を持っていない。何より、彼はそんな事を望まないだろう。それは、付き合いの短いヒカルでさえわかった。 彼は、自分だけが生き返るなど、決して望まない。仲間と共に死んだのなら、彼はそれをなんだかんだと言いながらも受け入れるだろう。 もしヒカルに彼を蘇らせる手段があったとして、彼を生き返らせれば、きっとヒカルはこう言われる。『どうして起こしたんだ、だから君は馬鹿だと言われるんだ』と。 “神々の領域”を使ったとしても、死者が生き返る事はない。それほど、死というのは絶対のルールなのだ。覆せないからこそ、死には意味がある。 誰でもいつかは死ぬ。それは避けられない事実でしかない。 だからこそ生きるのだ。永遠ではないからこそ、人は強く生きている。 その点で、エルフは人間に負けていた。あるいは、だからこそ人間しか魔法を使えないのかもしれない。強く生き、強く輝くからこそ、人間は神の領域を侵せるのかもしれない。 「きっと見ていますよ。そして、笑ってくれます」 エレナも空を見上げ、そう言った。 白い鳥が、雲に向かって飛んでいた。 |