しばらく経ってから、エレナが図書室に姿を現した。 「どうですか、ヒカルさん。何か参考になる話はありましたか?」 一仕事を終えたであろうに、エレナは全く疲れた様子を見せなかった。いつも通りの可愛らしさと神々しさを合わせたような、不思議な魅力を漂わせている。 脳みそは睡眠状態だったヒカルも、エレナの言葉で目を覚ました。 「あ、エレナ……。もういいのか?」 眠そうに目をこすりながら、ヒカルは聞いた。 「ええ、もう溜まっていた仕事は終わりましたから」 「……あんなにあったのに?」 エレナはニコリと笑い、慣れていますから、と小さく言った。 「大したもんだな……。あんなのをいっつもやっているってわけか」 「私は一応、責任がある仕事ですから」 「はあ、若いのに大変なんだな」 エレナは口元に手を当て、くすりと笑った。 「ありがとうございます。それじゃ、私も手伝いますね」 「ああ、助かるよ」 ヒカルひとりでは、どうにもはかどっていなかった。それも当然な話で、普段から本を読まないヒカルが、こんな硬い文章の本を何冊も読めるはずがない。 とりあえずと手に取った本も、まだ数ページしか読んでいなかった。どちらかと言うと、読んでいた時間よりも、眠っていた時間の方が長そうだ。 エレナも手近の本を手に取り、ヒカルの前の席に座った。 「おや、エレナ殿。お久しぶりです」 本棚の合間から声が飛ぶ。 ほとんど同時と言っていいほどのタイミングで、エドガーが姿を見せた。どことなく埃っぽく感じるのは、ここの本が古いせいかもしれない。 「エドガーさん、お久しぶりです。教会にいらしてたんですか?」 「ええ、あなたにお会いするために」 エドガーはキザっぽい仕草でエレナの隣に座った。 「……? 兵士団から何か連絡事項でも?」 「いえいえ、僕自身がエレナ殿にお会いしたかったのですよ」 「ああ、そうなんですか」 エレナはパチンと平手を合わせて打ち鳴らし、合点のいった笑顔を見せた。 「でも、エドガーさん。ここは図書館ですから、静かにして下さいね?」 「ええ、もちろんです」 ふわりと微笑み、エドガーもまた、手に持つ古臭い本に目を落とした。 エレナも本に視線を落とす。仕方なく、ヒカルもまた本に目を向けた。 すでに何度、読んだかわからない文にもう一度、目を通す。そして気付かぬまま、また同じ文を読む。 そうしてヒカルは、夢の世界へと旅立つのであった。 「……ルさん、起きて下さい」 ゆらゆらと体を揺さぶられ、ヒカルは少しだけ目を開いた。 「ヒカルさん、起きて下さい。もう夕方ですよ?」 ヒカルがその声はエレナのものだと気付くまでに数秒を要した。やがて、ゆっくりと目を完全に見開き、体を起こす。 「ん……ああ、ワリィ。寝ちゃったみたいだな」 「もう。ヒカルさん、もう夕方ですし、ここも閉めます。そろそろ行きましょう」 ヒカルはきょろきょろと周りを見回した。 窓から入り込む光は紅色に染まり、図書館の中に印象的な陰影を作り出している。 エレナの他に人影はなく、動くものと言えば埃くらいのものだ。 「もう夕方なのか……」 「ええ。ああ、エドガーさんならお帰りになられましたよ。緊急でお仕事が入ってしまったとかで」 「あ、そうなのか。じゃあ……帰るか」 「……はい」 微笑むエレナと共に、ヒカルは図書室の外に出た。 エレナは大きな扉に鍵を閉める。それを待ち、ヒカルとエレナは一緒に歩き出した。 鍵を事務室のような場所に置き、ふたりは教会を出る。人通りの多い、賑やかな通りが目の前にあった。 「ダイナスさんのお宅までお送りしますね」 「あ? いや、別にいいよ。さすがに道くらい覚えているし」 「いえ、この国は道を一本、間違えるだけで全く違う通りに出ますし、ヒカルさんもまだ慣れていませんから」 「……そう、か? じゃあ、頼む」 エレナは可愛らしく、はい、と答えた。 ふたりで並んで通りを歩き出す。すれ違う人々はどの人も少し疲れた顔で、急ぎ足に歩いていった。 「ヒカルさん、ああいったところにはあまり行かないんですか?」 「ああ、今まで本なんてほとんど読まなかったからさ。苦戦してるよ」 ヒカルは気恥ずかしそうに鼻の頭を掻いた。 「やっぱりそうなんですか……。とても眠そうでしたから」 「はは、ごめん。オレの事なのに……」 「いえ、私は本が好きですから」 「ああ、うん……、何か役に立ちそうな話はあった?」 エレナは少し目を伏せ、首を横に振った。 「……ま、そう簡単に見つかる話じゃないか。ダイナスさんだって聞いた事がないって言ってたしな」 「ええ、どの歴史書や伝説書の類を見ても、召喚された人の話はなくて……。それどころか、戦争の起こりすら定かではないんです」 「そうなんだ……え?」 ヒカルは思わず隣を振り向いた。 「だって、ずっと戦ってるんだろ? 理由もなく戦っているのか?」 「……今、みんなどうして戦っているのか。それは誰も知りません。まるで、戦うために戦っているかのよう」 「戦うために戦う? 何だそりゃ?」 「戦いの始まった理由は、わかりません。ただ、戦争がいつまでもなくならないのは……それを欲する人がいるからだと思います。ごく一部ですけど、その一部の人の思惑のせいで、戦争がなくならないのだと」 「戦争を、欲する……」 言葉にするとひどく軽く、簡単そうな事に思えて、それはひどく重い事。多くの人々が傷つき、死に絶えるというのに、それを欲する人がいる。 「心当たりが、あるのか……?」 「……それは、私からは言えません。けれど、戦いを欲する人はいます。そしてその一部の人が人々に、戦う理由を刷り込んでいるんです」 「その、理由って……?」 エレナの緑色の瞳が涙に濡れている。一体、この少女は何を悲しんでいるのだろうか。 「この国の人のほとんどは戦争で家族、恋人、親友を失っています。敵を討て。それこそが、兵士を鼓舞する際に最も多く使われる言葉です。大事な人をエルフに殺され、心の底からエルフを憎む人も多い。そのため、人間とエルフは剣を収められない状況が続いています」 「……でも、そんなのは戦いが続く限り、止まるわけないじゃないか。誰かが憎む事を止めなきゃ、どこかで我慢をしなきゃ、戦争はいつまで経っても続くじゃないか」 「ええ。その通りです。理屈ではその通りでも、心はその通りにはいきません。“どうして自分だけが我慢をしなければいけない”という想いのせいで、止まる事がありません。決して、止まらないんです」 悲しみの連鎖はどこかで断ち切らねばいけない。その事実を頭が理解したとしても、素直に頷く事などできるわけがない。憎んでいるという事実に、変化はないのだから。 諦められるなら、最初から憎まなかった。 許せるなら、最初から殺そうとしなかった。 諦められないから、許せないから、剣を手に取る。憎き敵を殺すため、多くの兵士は戦おうとする。 もちろん、それを嫌う者も多い。戦いなど、殺し合いなど、なければいいと思う人も多い。 だが、そうは思わない人がいる事もまた、事実なのだ。兵士団に所属する者の多くは、己の憎しみのために戦う。そして、憎しみが消えない限り、戦いもまた消えはしない。 「ヒカルさんの国も、昔は戦いをしたんでしょう? なのにどうして、戦争を放棄できるんですか? どうして憎まないでいられるんですか? 親を、子を、兄弟を、恋人を、殺した相手を……どうして許せるのですか?」 光るエレナの瞳が、左右で異なった輝きを放つ。緑色に輝く右目、青色に輝く左目。その美しい色に、ヒカルは不謹慎ながらも、思わず見とれてしまった。 「ごめん、オレは戦争が終わってからずっと後の人間だ。オレが生まれた時にはもう日本は戦争を放棄していて、それが当たり前だった。戦後の復興だとか経済成長だとかで、戦争の名残なんてほとんどない。だから、オレも実感が沸かないんだよ。日本が、戦場だったなんて」 ただ、と小さく呟くように、ヒカルは言葉を続ける。 「戦争がなくなった理由は、確か……日本が戦争に負けた時、他の国の人が日本を支配したんだ。それで、その国の人が日本の戦後をどうするかって話の時に、戦争を放棄させたはずだ」 「……その人は、素晴らしい人なんですね」 「……そうかも、しれないな」 ヒカル自身、日本史は詳しくはない。そもそも、第二次世界大戦後など、授業ですらやらなかった。そのため、彼は詳しい話を覚えていない。 だから、戦争放棄などというものも、彼にとっては当たり前の存在でしかなかった。まるで空気のような、あって当たり前のもの。そのありがたみ、その必要性など、考えた事は一度もなかった。 「戦争、か……」 ヒカルは呟いてみた。軽い言葉なのに、その意味は深くて重い。 「簡単には失くせないだろうな。でも……いつまでも続いたりはしないさ。本当は戦う意味なんてないってみんなわかっているんだろ? ただ、キッカケがないだけで。だったら、オレたちがキッカケを作ってやりゃいいじゃんか。だろ、エレナ?」 エレナは軽く目を見開いた。まるで、今までそんな事は考えていなかったと言わんばかりに。 「……ええ。いつか、必ず」 「いつかじゃないよ、すぐだ。すぐ。そうでも言わないと、また先延ばしになっちゃうだろ」 エレナはまたまた驚きを顔で表現した。 「わかりました。……すぐに、終わらせましょう。私たちの手で」 夕日の中、全てを紅く染め。エレナは、力強く頷いた。 |