それから数日の間、ヒカルは教会に通い詰めた。苦戦しながらも本を読み、自分に関係する話を探していく。 しかし、元が雲をつかむような話だけに、なかなか役立つ話も見つからなかった。召喚された人間の話はおろか、ここ以外に世界が存在する証拠すら見つけられなかった。それでも他にやる事がない以上、ヒカルは本を読み続けるしかない。 ヒカルが教会に通う間、エレナは頻繁にヒカルの手伝いをした。ヒカルが疑問に思い、どうしてそこまで手伝ってくれるのか、と質問したほどだ。エレナはにこやかに笑いながら、当然の事です、としか答えなかったのだが。 一方、ダイナスやアリシアも忙しげに動き回っていた。ヒカルはその詳細を知らなかったが、どうやらエルフと話し合いの場を設けるために努力をしているらしい。 エドガーもまた、教会に頻繁に現れた。もっとも、彼の目的は本ではないだろうが。来るたびにエレナを口説こうと努力をしていたが、彼女はまるで相手にしなかった。どうやら、いつもの事らしい。エドガーの方も慣れたもので、まるで相手にされていないのに、全く諦める様子がなかった。 ヒカルもようやく町に慣れ、大通りくらいならば案内なく歩けるようになった。この国は城を中心に円型に広がり、放射状に六本の通りがある。各通りに特徴があり、日用雑貨を売る商店の多い通り、剣や鎧といった物々しい武具を売る通りなど、目的によって通りも異なる。 ヒカルはダイナスの代わりに買い物をしたりする事で、通りの名前と繋がりを覚えていった。細かい路地となると、まだ見当もつかないが。 そんな、ある日。ヒカルはいつも通り、教会で本を読んでいた。挿絵の多い本で、昔話について書かれている。実は子供向けの本なのだが、ヒカルはその事実を知らない。 内容はエルフと人間の恋物語だ。エルフと人間は、交われば互いの命を縮めてしまう。特に長寿たるエルフはそれが顕著で、普通の人間ほども生きられなくなってしまう。 物語の主は禁断の恋をしたふたりの話だ。連れ戻そうとする周囲から逃げ切り、ふたりは子供を産む。山中の森で、ふたりは子供を育てながら幸せに過ごしていた。ところが、その居場所がエルフの長に知られてしまい、長は娘を取り戻すべく、使者を派遣した――。 ヒカルは珍しく静かに本を読みふけっている。外が段々と、騒がしくなっていく事にも気付かず。 「…………ん?」 ようやく、ヒカルも顔を上げた。教会は大通りに面しているが、石壁が厚いせいか、あまり騒がしさは気にならない。なのに、今日は中で座っていても耳に届くほど、騒がしかった。 「今日……何かのお祭りなのかな?」 そうなら少し見物してみたいな、などと呟き、ヒカルは立ち上がった。その、矢先。 ぐらりと地面が揺れる。いくつかの本棚が揺れ動き、ひとつ倒れた。 突如として響いた轟音と共に、教会の石壁が吹き飛んだのだ。 「なッ……!?」 何事かとヒカルは爆心地を覗き見た。そこにいたのは、二人組の男たち。重々しい鎧にフルフェイスの兜をかぶっていて、その手には鈍く光る槍があった。 「え……?」 ヒカルの漏らした声が聞こえたのか、片割れがヒカルの方を向いた。 『ニンゲンか……、悪いが皆殺しの命が下っている。恨むなよ』 ガレキを蹴飛ばし、槍を片手に男が走る。ヒカルは恐怖のあまり、足がすくんで動けなかった。 男が振り上げた槍は、無情にもヒカル目掛けて振り降ろされ――。 そして、砕け散った。 『むッ!?』 男は慌てて距離を置く。代わりにもうひとりの男が、今度は槍を前にして突っ込んで来た。 しかし二人目の槍もまた、ヒカルに届く前に砕け、ただの棒となってしまった。 『貴様……魔導師か!?』 「まどうし? そんな、オレは魔法なんて……」 使えない。言おうとしたヒカルの脳裏に、言葉が思い浮かんだ。 記憶にない台詞は、ヒカルの意思とは関係なく、その口を使って紡がれる。 「『我が声を聞けや、風帝よ。あらゆる存在その全て、汝が前では塵のよう。我らが前に立ち塞がりし、全ての愚かな悪魔共、汝が力で塵と帰せ』……!?」 止めようと思っても、言葉は止まらない。体が自分の意思に反する恐怖を、ヒカルは感じた。 「『風塵乱断』」 紡いだ言葉は風の刃となる。見えない剣は、まばたきをする間に、ヒカルの眼前に立つふたりの男を切り裂いた。鎧は紙切れのように砕け、真紅の血が噴水のように沸き上がる。 「は……?」 ビシャビシャと血が顔に、体にかかった。ヒカルは、まるで糸の切れた操り人形のように膝をついた。 そのままヒカルは動かない。止まった思考の中で、ただただ放心したようにへたりこんでいた。 外から金属同士がぶつかる音、人々の悲鳴、壊れる音に倒れる音。争いの音だけがヒカルの下にも届いた。 崩れた壁の穴から外の光が差し込み、赤くドロリとした粘液を照らし出す。ギラギラと醜く輝くそれは、まるでケチャップのようで、現実感がまるでなかった。 ヒカルの背後で、ドン、という鈍い音が響く。ヒカルがゆっくりと振り向くと、流れる銀糸が視界に入った。輝くような銀髪をなびかせ、その表情には焦りを浮かべ、エレナはヒカルに駆け寄った。 「ヒカルさん、大丈夫でした、か……!?」 近付いた事により、エレナの視界にも、倒れたエルフたちが入った。すでに死んだエルフは、ただのモノに過ぎない。切り刻まれた、大きな生ゴミのようなものが、ヒカルの前にある。 「こ、れは……ヒカルさんが?」 「…………え?」 間抜けな音を漏らし、ヒカルは濁った瞳でエレナを見つめた。 エレナもまた膝立ちになり、ヒカルと視線を合わせる。 「ヒカルさん、しっかりして下さい。このエルフは、ヒカルさんが倒したんですか?」 「オレが、倒した……?」 ヒカルはゆっくりとエルフの死体を眺め、続いて目の前のエレナに視線を戻した。 「オレが、人殺し……? ち、違う。違うんだ……。オレが、オレが悪いんじゃない……」 「ヒカル、さん……?」 エレナの厳しい瞳がヒカルを射抜く。 ヒカルはエレナの声から逃げるように耳をきつく塞ぎ、エレナの視線から逃げるように目をきつく閉じた。 「オレじゃない! オレが悪いんじゃないんだ! オレの、オレの口が勝手にしゃべって……そうしたらいきなりこいつらが血を噴いて……オレじゃないんだよ!」 「ヒ、ヒカルさん、落ち着いて――」 「オレじゃない! オレは悪くない! オレは、オレは――!」 何かを拒絶するように、ヒカルは首を振る。その口からは、小さな声で呟きが漏れていた。 嫌だ、違う、オレじゃない、違う――。 「ヒカルさん! しっかりして下さい! ヒカルさん!」 エレナはヒカルの体を揺さぶるが、ヒカルは首を振るだけで、エレナの言葉には答えなかった。 「ヒカルさん! ……しっかりしなさいッ!」 パンッ、と乾いた音が響いた。 ヒカルははたかれた頬を押さえ、僅かに光を取り戻した瞳でエレナを見つめた。 「ヒカルさん、ここは危険です。早く逃げましょう」 「エ、レナ……、オレ、オレ…人を殺しちまったんだよな? オレ、オレは……」 「……ヒカルさん」 エレナはしっかりとヒカルの肩を掴んだ。 「ヒカルさん。これは戦争なんです。たとえ数万のエルフを殺したところで、罪になる事はありません。落ち着いて、私と一緒に安全な場所に移動しましょう。でないと、ここにいては殺されてしまいます」 ヒカルが頷くまで待つ事すらなく、エレナはヒカルを引っ張った。無理やりに立ち上がらせ、自身が入ってきた正規の扉から教会の中へとヒカルをいざなう。 教会の中はキレイで、閑散としていた。人の気配はすでにない。エレナはどんどんと先に進んで行く。教会の建物から飛び出し、門を駆け抜け、町を走る。 町中は壊れた屋台の残骸や、崩れた家の壁が、ガレキとなって積まれていた。 あちこちから怒声が聞こえる。ところどころに、ガレキに混じってすでに生き物ではなくなったモノが落ちていた。ヒカルはなるべく、それらを見ないように心がけた。先刻、見たばかりの物体がヒカルの視界をよぎる。 ヒカル自身は目を背けていたが、路上は死体と血だまりに満ちていた。千切れた肉片、砕かれた足。元々は人間のカタチをしていただろうものもいくつか落ちていた。 「ヒカルさん、急いで!」 「あ、ああ……」 エレナはヒカルを一喝し、さらに歩調を速めた。エレナは故意に狭い路地を選んで進んでいる。人がひとり歩くのがやっとの道幅だ。大通りを進んで、誰かに発見されるのを嫌っているのだろう。 「…………止まって下さい」 エレナはいきなり、きゅっと足を止めた。 軽くエレナの背中にぶつかったヒカルは息を切らせ、何かあったのか、と問おうとした……その瞬間。 「やッ!」 角から男が飛び出し、手にした剣を振り下ろした。同時にエレナは半身だけずらし、斬撃を紙一重でかわす。かわした動きを利用して、エレナは手のひらで男のアゴを叩いた。 よろめく男の腕を持ち、ヒカルがまばたきをする間に、エレナは男を空中に放り投げる。そして、両手で男の腹を貫くほどの勢いで突いた。 エレナの足下の石畳にヒビが入る。突かれた男は吹き飛び、誰かの家の壁に叩きつけられた。石壁が、ひび割れるほどの勢いで。 「ヒカルさん、行きます」 その後を振り返る事なくエレナは走り出す。ヒカルも慌てて後を追った。ちらりと振り返った先で、もはや男は身動きひとつしなかった。 |