ユールフォビアが去った後。メイン・ルームには、重苦しい空気が立ち込めていた。
 彼女の話には矛盾がなかった。そして、事実ならば。人々が、星が生き残るためには、ペリキュラムもキャストラムも、存在することすら許されないのだ。
 長い静寂を破ったのは、カトレアだった。
「……みなさん。やはり、この艦を降りて下さい」
 一堂は顔を上げ、カトレアを見た。その表情には疲労感が色濃い。
「今回、わたくしたちには正義がありませんわ。間違いなく、滅ぼされるべきはこちら側。敗戦、ですわ」
「戦ってもいねーのに、負けかよ……」
 カトレアは、はっきりと頷いた。
「はい。わたくしやペリキュラムは、あるべきではない存在。あってはならない存在ですわ。なら、わたくしはこの世界から身を引きます。みなさんの生きる世界を、壊したくありません」
 カトレアが生きれば。ペリキュラムが存在すれば。世界は、荒廃するという。
 世界が生き残るか、世界と共に朽ち果てるか。答えは見えた二者択一だ。
「――残念だが、それは認められないな」
 けれど。よく通る声が、それを正面から否定した。
「悪いが、私はお前やアルマを犠牲にしてまで生き残るつもりはさらさらない。正義などなくて構わん、私はやりたいことをやる」
「イリス、さん――」
 強い瞳の色は、それが心からの言葉であると語っていた。
 絶対に折れないという覚悟。遠い昔の誓いは、まだ彼女の中に生きていた。
 イリスはフレーゼたちを見回した。
「お前たちは好きにすればいい。ディオート・クラットにこだわらずとも、お前たちなら生きていけるだろう。各地のドームに借りは作ってあるからな、いざとなればどこでも受け入れるだろうさ」
「いつの間に……」
 苦笑混じりに、ディルは驚きを漏らした。
「悪いッスけど、オレはパスするッス。女の子を悲しませるのはオレの趣味じゃないんで」
 ひらひらと手を振りながら、ディルはいつもの調子で言った。なんでもないことを話すように。
「いいのか。死ぬぞ」
 眼光も鋭く、イリスは問う。対するディルは、あくまで軽薄だった。
「どーせ拾った命ッス。惜しくはないッスね」
 口調は軽いが、ディルの瞳にもまた、イリスと同じ輝きがあった。何があろうとも絶対に引き下がらないという、強い意志。
 イリスは軽く首を振り、ラナスに視線を移した。
「ラナス。お前はどうする?」
「残ります。みなさんは、わたしにとって最初の家族ですから」
 ひゅー、とディルの口笛が響いた。
「おいおい、オレはまだ隊長ともラナスちゃんとも結婚してねーぜ?」
「ディルさんはどちらかと言うと、頼りない居候という感じですね」
「いそーろーって、仲間外れ? 家族ですらなくね?」
 ラナスはくすりと笑い、
「わたしを無条件に暖かく迎えてくれる場所はそうありません。その気になれば、わたしの持つ技術と知識でどこでも通じる自信はありますが、迎えてくれる場所は、暖かくて安心できる場所は、ここだけですから」
「最高に恥ずかしい台詞を、よくまあ堂々と言えるな……」
 ディルを見上げ、ラナスは笑った。
「わたしは、子供ですから」
 ディルだけでなく、ラナスの意志も本物だった。誰も覆せない、心の強さがあった。
 イリスは最後に、フレーゼを見た。フレーゼは泳ぐ視線を、床や壁に向けていた。
「フレーゼ。お前は、どう考える」
 フレーゼの視線が、ぴたりと止まった。床の一点を見つめる目は、何も映していなかった。
「僕、は、正直に言えば、迷っています」
 上げた顔には、苦痛があった。
「カトレアやモルスが死ぬのは嫌です。でも、キャストラムやペリキュラムは、いちゃいけない存在なんでしょう?」
 イリスは黙ってカトレアを見た。
 カトレアは頷き、
「彼女が持ってきたデータと、わたくしが持っているデータに矛盾はありませんでしたわ。確かに機動兵器が現れた頃から、星は死に向かい出しました。そして、ペリキュラムの破滅と共に、状況は平行線を辿っています」
 淡々と、事実を語るカトレア。あまりに深く複雑な感情が、彼女の声から色を失わせていた。
 フレーゼは、泣きそうな顔で頭を振った。
「僕はカトレアやモルスに生きていて欲しい。でも、それは言ってしまえば、僕だけのわがままです。僕のわがままのために、世界中の人を苦しめるなんてのは、僕にはできない。どうしたらいいか、どうしたいのか、自分でもわからないんだ!」
 誰も傷つけたくないと願って。
 辿り着いた、誰かを傷つけなければならない道。
 どちらを選んでも痛みを伴う。悲しみも苦痛もない道はどこにも見当たらない。
 今の彼らは、何かを犠牲にしなければ、何も得られなかった。皮肉なほどに。
 イリスはじっとフレーゼを見つめ、言った。
「……そうか、わかった。お前は戦わなくていい。望むなら、艦から降りろ」
 声にも顔にも、フレーゼをとがめる色はなかった。戦うことが正しいと、逆らうべきだとは、彼女にも言えなかった。
「――でも、僕が戦わなかったら勝ち目が?」
「そんなものはお前が気にしなくていい。だいたい、その精神状態ではMASは使えないだろう。それではいるだけ邪魔だ」
 戦いの意志によって能力を可変させる特殊な兵器、MAS。それは、迷いがある者に使いこなせるような代物ではない。今のフレーゼでは、間違いなく起動しないだろう。
「でも……」
「わからない奴だな。では、はっきりと言ってやろう」
 すぅと息を吸い、イリスは叫んだ。魂の底から、震えるように。
「傷つけたくないと! 傷つけられないと口では叫び! 結局、傷つける以外の術を見出だせない者に、戦う資格などないと言っているんだ!」
 決定的に足りない覚悟。それが、戦ってでも守ろうとするイリスたちとの間にある、絶対的な壁となっていた。
「いいか、フレーゼ。今回の戦い、お前の参戦は禁ずる。わかったな?」
 イリスの強い語調に、フレーゼは頷くしかなかった。

 会議が終わった後、イリスは格納庫にたたずんでいた。
 目の前には小型の機動兵器、アルマの顔がある。
「――アルマ。私の選択は、間違いなのだろうな」
 兵器は語らない。ただ主の気が向くまま、その敵を砕く存在に過ぎない。
 それは、常識外れの人型兵器でも、同じことだった。
 イリスはひたりとアルマの金属肌に触れた。返って来るものは、冷たい感触だけ。
「お前は、私を責めるか?」
「兵器がどーして隊長に文句を言うんスか」 ぎくりという擬音が飛び出しそうなほどに肩を震わせ、イリスは首を後ろに向けた。
「アルマは何も言わないッスよ。想いはあるだろーけど」
 ステラの肩に座り、金髪の男がにやついた顔でイリスを見下ろしていた。
「……ディルファン・アジャシス。盗み聞きは悪趣味だ」
「さっきからいたッス。誤解ッスよ」
「さっき、から?」
 ディルは頷き、
「隊長が来る前からッス」
「そんなに前なのか? 何をしに来たんだ」
「んー、ま、相棒のご機嫌をうかがいにってとこッスね」
 よっと掛け声ひとつ、ディルはステラの頭を支えに立ち上がった。
「隊長。どうしたんスか、らしくないッスよ」
「――そう、見えるか?」
「全開ッス」
 格納庫は静かだった。距離が離れていても、互いの声がきちんと届くほどには。
 イリスはアルマの頭に背を預け、天井を見上げた。
「戦うことに迷うつもりはない。何があっても戦うさ」
「なら、アルマの意見は関係ないッスよ。そんなんを聞くのは隊長らしくない。何があろうと、世界中でテメエがいっちばん偉いってツラして歩くのが、オレの知っているイリス・シャングイナなんスけどね」
「ずいぶんと偉そうなイメージなんだな」
 苦笑を浮かべ、イリスはふっと、無表情になった。
「なんだろうな。たぶん、誰かに認めて欲しくなったんだろう。私は間違っている、と」
「正しいと、じゃなくて?」
「馬鹿を言うな。どこの世界に、兵器のために人間を犠牲にするなんていう考え方がある」
 兵器は所詮、兵器にすぎなくて。
 人間のために作られた道具を守って人間が死ぬのでは、何が目的かも怪しくなる。
「私はこれから、盛大な馬鹿になるつもりだ。だが、その前に認めて欲しかったんだろうな。そうすれば、私は私の価値観を信じられる。自分を信じ抜ける」
 ディルは熱にうかされたように、ポーッとイリスを見つめた。そして、呟く。
「よく、わかんねッス」
「だろうな。あるいはこれが、迷っているということなのかもしれん」
 ただ、自分以外の誰かに認めて欲しかっただけ。それは何の意味もないけれど、深い意義がある。
 ディルはじっとイリスを眺め、言った。
「じゃ、オレでいいッスか?」
「何?」
 振り向いたイリスに向かって、ディルは深く息を吸い、叫んだ。
「勝手ばっか言ってんじゃねーぞバカヤローッ! ちったあ他のヤツのことも考えろこの戦争筋肉馬鹿女ッ!!」
 ぜーぜーと肩で息をするディル。ぽかんと彼を見つめるイリス。
 先に動いたのは、イリスだった。
「――はは」
 漏れたのは、笑い声。楽しそうな、心の底からの笑いだった。
 ディルはそんなイリスを、あきれたように眺めた。
「どうしたんスか? なんか、キレちゃった?」
「ははは、いや、すまん」
 目元に浮かんだ涙を拭い、イリスは続けた。
「ありがとう、ディル。おかげですっきりした」
「変なスイッチ、入っちゃったスか?」
「いや。私は正常だよ。異常なまでに正常だ」
 イリスは立ち上がると、するするとアルマから降りた。
「すまないな、ディル。もうしばらくは私の勝手に付き合ってもらうぞ」
 言うと、宣言通りディルの返事も待たないで、イリスは格納庫から立ち去った。
 呆然とその後ろ姿を見送ったディルは、ふと、笑みを漏らした。
「何を今さら」
 器用にも、ごろりとステラの肩に寝転がり、叫んだ。
「人気者はツライねーっとくらあ」
 そのまましばらく、ディルは天井を見続けた。

 ラナス・プラネッシアは自室の通信機のスイッチを入れると、カトレアに繋いだ。
『はい、こちらはカトレアですわ』
「こんばんは、カトレアさん」
『こんばんは。どうしたんですの、あなたが通信するなんて珍しい』
「ちょっと、聞きたいことがありまして。構いませんか?」
『どうぞ。乗員のメンタルケアは、わたくしの仕事ですから』
「いえ、そうではなく――」
 ぷるぷると首を振り、
「ユールフォビアさんからもらったデータとカトレアさんがセーブしていたデータ、わたしの部屋の端末に転送してくれませんか? 少し、調べたいことがあるんです」
『構いませんが、わたくしがデータ検索した限りでは問題ありませんでしたわ。それでも構いませんか?』
 ラナスが頷くと、わかりました、と言って、イリスは目を閉じた。
『――転送完了。これでいつでも見られますわ』
「ありがとうございます」
 データが届いていることを確認し、ラナスは再びカトレアに向き直った。
「……これは何の関係もない、ただの質問なんですが」
 前置きし、ラナスは言った。
「カトレアさんは、わたしをどう思いますか?」
『ラナスさんを?』
 ラナスは軽く頷いた。
「わたしにとってはカトレアさんも家族です。でも、カトレアさんにとってはどうなのかなって」
『わたくしにとってのラナスさん、ですか……』
 画像のカトレアは、口にその細長い指を当てた。
『家族、というのは少し違いますわね。コンピュータのわたくしには、家族というものの実感が沸きませんわ』
 それからたっぷり一分ほど、カトレアは思考に費やした。ラナスも何かを言うことはせず、答えを待った。
 しばらくを黙考タイムに使い、カトレアはぽつりと呟いた。
『――お友達、でしょうか』
「友達、ですか」
 カトレアは自分の答えに納得したように、うんうんと頷いた。
『わたくしからみなさんを見ると、少し羨ましく感じますわ。生きている人間だけが得られる感触を、みなさんはご存じですもの。そして、みなさんはわたくしに、そんな暖かさを分け与えてくださる』
 暖かさ。
 人と人の繋がりの中でしか得られないもの。
 生きている存在の間でしか、得られないもの。
 それを、ディオート・クラットは持っている。そして、触れ合う者に、そっと与えてくれる。
 それは、傭兵という立場から考えると変なものだ。けれど。それは、どこまでも変わりようのない、ただの事実だった。
『わたくしは、わたくしたちのために命を懸けるみなさんを守ります。わたくしの、全力で。もう二度と、失いたくないんです』
「――それは、わからないでもないですね」
 失う悲しみは、持っているから。
 触れ合うほどに、暖かいからこそ、離れたくはなくなる。一緒にいたいと、触れ合いたいと、失いたくないと思うようになる。
 けれど、常にそうだとは限らない。望むと望まざると、そんな個人の想いは関係なしに飲み込んでしまうような、大きな流れがある。
 流され、翻弄され。彼女たちは、ここに辿り着いた。
 ようやく得られた、安らぎの土地。果ての安らぎは、もう失うわけにはいかない。
『そんな答えしか、出せませんけど』
 どこか悲しげに笑うカトレア。ラナスは、小さく笑みを浮かべた。
「十分です。ありがとうございます、カトレアさん」
『あらあら。それは、わたくしの台詞ですわよ?』
 少しばかりおどけて、カトレアの映像はモニターから消えた。
 ラナスは、ブラックアウトして鏡のようになったモニターに映る自分を眺めていた。
「これが、必要とされるということ」
 兵器や実験動物としてではなく。ラナス・プラネッシアという、個人を。
 しばし、ラナスは胸の内に宿る想いを抱きしめ。
 そして、端末に手を伸ばし、カトレアから受け取ったデータの検索を始めた。
 無表情なのに、その顔は、どこか緩んでいた。