ラナスはひとり、寮の廊下を歩いていた。
 フレーゼの後、ディル、ラナスと連戦。結果は、ペリキュラムの勝利だった。
 エクイットも先読みの能力で善戦したが、いかんせん読めるのはほんの僅か。それも、フェイントを織り交ぜることで多少なりとも誤魔化される程度の代物だった。
 ディルは軍人としての経験があり、ラナスにはコンピュータ並に正確な回転をする頭がある。ペリキュラムの性能だけで戦ったフレーゼとは、どうにも次元が違った。
 ちなみにアルマは、情け容赦ない攻撃でエクイットを叩き潰した。もしペイント弾ではなく、ゴム弾などを使用していたら、エクイットを叩き壊されたような気さえするほどの気迫があった。
 一通りの戦闘が終わると、そのデータを基に少しばかりのプログラム修正を行う。おかしい部分、実用的ではない部分を改善し、より戦いに優れたシステムへと作り変えていく。
 そのプログラム修正の手伝いを申し出たのだが、断られたのだ。それも当然で、本来なら外部の力を借りた試験運用さえ異例なくらいだ。ラナスにしても断られることは予想しており、要するに暇潰しに聞いただけに過ぎない。
「……本当に、時間が余ってしまいましたね」
 本を読もうにも、紙本は高く、なかなか入手できない。データだけなら艦の彼女専用端末に入力されているが、ここの設備ではそこまでのアクセスはできそうになかった。
 仕方なしに、ラナスはメンバーのあてがわれた部屋に足を向けた。ひとりでいるよりは、誰かといた方がよほど暇潰しにはなる。
「ん?」
 廊下の角を曲がったところで、ラナスはたたずむ人影に気付いた。よくよく見れば、それはイリスだ。何かを考え込んでいるらしく、ラナスが曲がってきたことにも気付いていない。
 ラナスはなんとなく彼女の雰囲気が気になり、角に身を潜めた。
「――くそッ!」
 イリスはどこかイラついているようだった。
 そういえば、と思い出す。
 先ほどの試験戦闘も、彼女らしくない戦いだった。イリスの戦いは、別に相手を打ちのめすことが目的ではない。戦闘不能になった相手に追撃するなど、彼女らしくなかった。まるで、何かのやつあたりをするように。
 と、イリスは急に顔を上げ、ラナスの方に向かって歩いてきた。慌てて周囲に隠れる場所がないか探すが、殺風景な廊下では隠れようがない。
 そうする間にもイリスは歩き、とうとう角を曲がった。
「む? ラナスか」
 気付いた途端、イリスは少し顔を歪めた。
 見つかってしまったものは仕方ない。ラナスは、開き直ることにした。
「イリスさん。何があったんです? 今日もさっきも、らしくありませんよ」
「らしくない、か」
 自覚はしていたのだろう。イリスは苦笑を浮かべた。
「悩み事なら相談くらいは乗りますよ。昨日今日の付き合いではないんですから」
「そう、だな。そういえば、お前はカトレアに次いで私と長い付き合いなのか」
「ディルさんとはあまり変わりませんけど」
 イリスは、ぽんとラナスの頭に手を置いた。
「心配させてすまない。だが、これは私が決着しなければいけない問題なんだ。相談するわけにはいかないよ」
「そう、ですか? なら、ひとつだけアドバイスです」
「何?」
「馬鹿は勉強するより休息した方がマシ」
 言って、ラナスは薄く笑いを浮かべた。
 ぽかんとラナスを見つめていたイリスは、やがて笑い出した。
「はは、そうだな。ありがとう、少しだけ気楽になった」
「それはよかったです」
 じゃ、と告げて、イリスはその場を立ち去った。その後姿を眺めていたラナスは、少しだけ嬉しそうに笑い、すぐにいつもの無表情に戻るのであった。

 翌日も、試験戦闘を行った。勝敗は、ディオート・クラットの二勝一敗一引き分け。ディルはミスし、互いに顔を赤くするという稀有な事態を引き起こした。
 プログラム修正を終えた夕食の席で、マッティオは四人に言った。
「明日の戦闘で、だいたい修正は終わりです。ですから、明日の戦闘で最後です。もっとも、いつも通りの時間でいくと、帰るのは明後日になるでしょうが」
「明日は勝つからな」
 ディルは今日の戦績が気に入らなかったらしく、不満げな様子で言った。
「それで、イリスさん。依頼の関連もありますし、今夜、ボクの部屋に来てくれませんか」
 マッティオが言うと、イリスは顔を伏せた。
「おいおーい、ウチの隊長をたぶらかすのは止めてくんねーかな」
「たぶらかすなんて。仕事の話ですよ」
 ディルの軽口にマッティオは苦笑で答える。
「大丈夫だよ、ディル。隊長を襲うなんて、そうそうできやしないんだから」
「あー、まあな。隊長を襲うなんてーのは命知らずのやることだ」
 ディルは言ってから、しまった、という顔つきでイリスを見返した。
 けれど予想に反し、イリスは何も言わずに席を立った。
「――整理したいことがある。先に失礼するぞ」
 立ち去るイリスの背中は、いつもより小さく見える。
 その哀愁が漂う背中を、フレーゼは驚きの眼差しで眺めた。
「ディル。隊長、何かあったの? 風邪とか?」
「あー。たぶん、そんなんじゃねーな」
「大丈夫だと思います」
 はぐらかすディルの代わりに、ラナスが答えた。
「イリスさんは、とても強いですから。どんな時でも、どんな問題でも、絶対に自分で解決しようとします。他人任せは、あの人の性に合いません」
「うん。それはあるね」
 同意しつつも、ラナスの言葉の真意までは掴めていないフレーゼだった。
「ま、要するに隊長を信頼しとけってことだな。あの人は、それが最善の答えでなくたって、後から最善に直そうとするような強引な人だからよ」
「それって強引ってか、努力家って言わない?」
「ポジティブだな」
 あれー? などと、フレーゼは首を傾げた。
 三人の談話を眺め、マッティオは楽しそうに言った。
「みなさんは仲が良いんですね。このご時勢に、珍しい」
「あー? そりゃまあ。毎日、顔を突き合わせるわけだし」
「仲が良くないとやっていられない部分はありますね」
 ディルとフレーゼの顔を交互に見やり、マッティオは続けた。
「ボクにはみなさんが、少し羨ましいですよ」
「望むだけではなかなか入手できません。努力しないと」
 少女の辛辣なまでの言葉に、けれどマッティオは嫌な顔ひとつしなかった。
「そう、ですね。やはりボクは、みなさんが羨ましいようです」
 さて、とマッティオも立ち上がった。
「ボクもイリスさんとお話がありますし、これで失礼します」
 立ち去るマッティオの後姿を眺め、ディルは呟くように言う。
「真面目な兄ちゃん、だな」
「ディルよりはね」
 なんだとう、とディルはフレーゼの首を絞めた。フレーゼは無意味な抵抗を試み、ラナスはそんな光景を遠くの景色のようにお茶を楽しむ。
 ディオート・クラットのメンバーは、どこにいてもあまり変化はないのであった。

 マッティオは自室の椅子に座り、ただひたすらにイリスが現われる時を待っていた。
 彼が待ち始めて、一時間近く経った頃。ようやく、扉を叩く音が聞こえた。
 マッティオは、まるで電流が流れたかのようにビクンと反応し、扉に突撃した。
「はい、どうぞ」
 開いた扉の先には、予想通りの人が立っていた。
 マッティオは来客を中に入れ、ふたりは向かい合うように座った。
「イリス。答えは、出た?」
「――ああ」
 イリスは深く頷き、続けた。
「私は、グラヴィールドーム出身の、軍人だ」
「そうだな」
「そしてお前は、私の昔からの馴染みだ」
「ああ。だからこそ、またボクとやって欲しい。立て直すためには、君の力が必要だ」
 イリスは言葉を切り、目を閉じた。
 再び開いた時。その目に、迷いの色はなかった。
「だが、私はそれ以前にディオート・クラットの隊長だ。もう、投げ出すわけにはいかないよ」
 マッティオは何かを言おうと口を開きかけて、止めてしまった。
 そんなマッティオにトドメを刺すように、イリスは言う。
「世界はどこからでも変えられる。ただ、そのためには力が必要なんだ。そして、私にはその力がない。グラヴィールを離れ、世界を見て回ってよくわかった。私は、凡人だ」
「そんなことはないよ。君は十分、誰よりも強い」
「そんなものは、私が他の誰より多く人を殺したからに過ぎない。私ではなくても、得られる程度の力だ」
 努力できるという、その事実を才能と呼ぶ人がいる。
 けれど、結局。本当の意味での才能とは、努力などとは関係がない、生まれ持ったものらしい。
 生まれた時点で積み上げられている差。互いが同じだけの努力をすれば、同じように積み上げられ、その差は埋められない。
 そして、世界を変えるほどの力には、すでに積み上げられた存在が不可欠だった。
 世界中を回り、傭兵として生き。彼女は、それを痛いほど実感した。自分の力では、世界の有様までは変えられないと。この荒れ果てた土地を開くには、足りなさ過ぎると。
「だが、見つけたんだ。私なんかにはない、生まれながらの才能の持ち主だ。戦う才はないが、あいつには力の才能がある」
「誰、だい? それは」
 イリスは、ふっと笑った。
「わからない、か?」
「――いや?」
 本当に心当たりがないマッティオは首を傾げてみせた。その様子に、イリスはますます笑みを深くする。
「フレーゼ・ハイブリーダ。試験戦闘で連敗している、あの阿呆だ」
「フレーゼ君?」
 それは、矛盾しているように思えた。
 世界を変えるには、力が要るという。才能によって積み上げられた、高みまで想いを届けうる力が。
 だが、現に彼には力があるようには見えない。たかだかエクイット相手にすら勝てないような、その程度でしかない。
「あいつはな、戦う相手を選ぶんだ。あいつが戦うべきだと思った相手には、全力が出せる。私は、決めたんだよ。あいつに、フレーゼに、私の全てを賭けると」
 今はまだ、半端な力でしかないけれど。
 彼はいつか、本当の力を手に入れる。その才能を持っていると、イリスは信じた。
 だから。グラヴィールには、戻れない。彼女の想いを託すべき相手は、そこにはいないのだから。
 マッティオは口をぱくぱくと開閉させ、しばらくたってようやく、言葉を口にした。
「その覚悟は変わらない、んだろうね。頑固な君のことだから」
「よくわかっているじゃないか。さすが、マッティオ殿だ」
 言って、イリスは立ち上がった。
「別れだ、マッティオ。だが、決別じゃない。お前はお前のやり方で、私は私のやり方で、願う世界を手に入れる。それでいいだろう?」
「――イエス、としか答えられない質問だな」
 ふふ、と小さく笑って。イリスは、部屋を後にした。
 閉じた扉を、マッティオはしばらくの間、見つめ続けていた。