フレーゼはいつも通り、自室で草花の手入れをしていた。彼にとっては至福の時である。
 その幸せは、開いた扉によって打ち砕かれた。
「フレーゼッ!」
 叫びながら部屋に入って来たのは、金髪を気障ったらしく伸ばした碧眼の男――ディルだった。
「ディル? どうかしたの?」
「どうかしたの? ぢゃねぇっ!」
 ディルはいきなりフレーゼの肩を掴むと、がくがくと揺さぶり出した。
「ちょ、ディル!? 落ち、落ち着いて!」
「こいつが落ち着いてられるかッ! いいからとっとと出しやがれー!」
「出せって何を!?」
「まだしらばっくれるつもりかテメエ! このヤロウ、いかに温厚なディルファンお兄さんもそろそろ怒るぞ!」
「もう怒ってない!? これのどこが温厚!? 温厚の意味がわからない!」
 ふたりが騒いでいると、再び扉が開いた。
「何をしているんだ、騒々しい」
 お次はウェーブがかった髪を揺らす、凛々しい女性――イリスだった。
「た、隊長! たす、助けて下さい!」
「何をしているんだ、馬鹿」
 ため息をつきながらも、イリスはつかつかと歩み寄ると、力任せにディルを引きはがした。
「で、ディル。今度はどんな問題を起こしたんだ?」
「あ、もうオレが悪いって前提なんスか」
 さすがにイリスには逆らえないらしく、ディルは素直に引き下がった。いつもの軽口を叩く余裕さえ出ている。
 ディルは深く息を吐くと、事情を説明し出した。
「実はこの間、幻と呼ばれる名酒『地獄返し』を手に入れたんス。匂いはちっとも酒らしくないのに、飲んでみると深い味わいが広がるって、酒好きには有名な逸品なんスよ」
「ほう。それで?」
 酒には興味も知識もないイリスは、さらりと流して先を促す。
 ディルはそんなイリスの態度にどこか不満げながらも、話を続けた。
「きちんと食堂のフリーザーで冷やしていたのに、それがなかったんスよ。どこにも」
「そうか。お前が酔って飲み干したんじゃないか?」
「オレはそこまで酔うことはないッス」
 実際、ディルが前後不覚になるほど酒に酔うことはない。もっとも、飲んでいるのはいつも、アルコール度の低い麦酒だが。
「隊長もラナスちゃんも酒は飲まないし、カトレアにいたっては飲み食いすらしない。この艦にゃあ他に誰もいないし、となれば、フレーゼしか疑う相手がいないってことになるッスよ」
 話を聞いたイリスは言葉の意味をきちんとかみ砕いて飲み込み、頷いて言った。
「ふむ。確かに理論的だ」
「よっしフレーゼさっさと吐きやがれぇッ!」
 改めてフレーゼを揺さぶろうとするディルの肩に手を置き、イリスは止めた。
「待て。だが、フレーゼが飲むとも考えにくい。こいつは私より酒は強いが、自ら飲む人間でもないだろう」
「えー……、じゃあ、誰だって言うんスか?」
「暇だし、少し調べてみよう」
 言って、イリスはひょいとディルの肩越しに覗きこんだ。
「フレーゼ。お前も来るか?」
「あー、行きます。平衡感覚を取り戻したら」
 目を回しながらも、フレーゼは答えた。

 三人はまず、ラナスの部屋を訪れた。この艦における生命体は、残るはラナスのみであるためだが。
 扉をノックすると、中で人の動く気配がした。と、扉が開き、ラナスの小さな頭が現われる。
「どうしたんですか、みなさん、おそろいで」
「ラナス。ディルの酒がなくなったらしいのだが、何か知らないか?」
「いえ。わたしはなにも」
 首を横に振るラナスはいつも通りで、嘘をついているようには見えない。そもそも、嘘をつく理由もないが。
 だから、イリスも素直に引き下がった。元より、ラナスがどうこうしたとは、イリスも考えていない。
「そうか、邪魔したな」
 ラナスと別れると、三人はメイン・ルームに足を向けた。
「やっぱラナスちゃんじゃなかったか。となると、カトレア? でも、あいつはコンピュータなのに、どうやって酒を移動するんスか?」
「さあな。だが、カトレアは時に私でも予想外のことをするからな」
「隊長でも予想外なら、僕らにはもっと無理ですね。この艦との付き合いが最長なの、隊長ですし」
 などと言っている間に、メイン・ルームに到着してしまった。
 扉を開いて中に入ると、即座に明るく照らされ、カトレアの立体映像が姿を見せた。
「イリスさん、ディルさん、フレーゼさんまで。どうしたんですの?」
「カトレア。フリーザーから酒がなくなったらしい。何か知らないか?」
「あらあら、それは大変」
 ちっとも大変そうじゃない声で、けど、と続けた。
「わたくしは何も。よろしければ、艦内カメラの映像を再生しましょうか?」
「頼む」
 イリスが頷くと、今まで外の荒涼とした景色を映していたモニターが切り替わった。映し出されたのは、鮮明な食堂の映像である。もっとも、明かりもない食堂は薄暗いため、よく見えない。
「これが現在の食堂ですわ。いつ頃から再生しましょう?」
「オレがフリーザーに酒を入れたのは、昨日、補給した時だぜ」
「となると、昨日の夕方頃だね」
 いかにカトレアが優秀なコンピュータで、ペリキュラムには兵器生産設備も整っていると言っても、食料品ばかりはどうしようもない。
 そこで、定期的に信頼性のあるドームから食料品を仕入れ、それを艦内の備蓄庫に保存しておくのだ。
「わかりましたわ。昨日の十七時以降の映像を再生します」
 画面がまたまた切り替わり、やはり鮮明な食堂の映像が映し出された。カトレアはそれを、早回しで再生する。
「あ、ディルだ」
 部屋が明るくなり、ディルが登場した。三倍速で手に持った食料品をフリーザーに入れていく。
 最後に酒が入っているのだろう、透明なボトルをフリーザーに入れ、ディルは夕食の準備を始めた。続けて他のメンバーも現われ、夕食タイム。後片付けも終わると誰もが姿を消し、しばしの沈黙が続いた。
 それを破ったのはまたしてもディル。どうやら朝食の準備らしい。
「こうして見ていると、ディルが一番、長く食堂にいるね」
「食事当番だからな」
 ディルは体調が悪い時を除いて、常に料理を担当している。彼自身の趣味でもあるし、安定した質はイリスの黄色い料理などとは違って、誰でもおいしく食べられるからでもある。
「でも、ディルより長く食堂にいる人はいないし、やっぱりディルが犯人じゃないの? 単に飲んだことを忘れただけとか」
「飲んでねーってば。オレだって常に食堂を見張っているわけじゃねーからな。誰かがオレのいない間に酒を持って行ったって、オレにはわからねーよ」
 確かに、食事の準備を除けばディルだって食堂にはいない。そのタイミングなら、猿でも持ち出せるだろう。
 昼食、夕食と過ぎたが、フリーザーを開いたのはディルだけ。そのディルも、酒に手を出した形跡はなかった。
「おいおい、まさか蒸発したなんて言わねーよなぁ?」
「待って、誰か来た」
 食堂に入ってきたのは、ゆらゆらポニーテールを揺らす小柄な少女。
「ラナス、ちゃん?」
 ラナスはカウンターの向こう側に入ると、戸棚からハーブを取り出した。そのまま帰ろうとして、ふと思い出したようにくるりと振り返り、まっすぐフリーザーの前へ。
 扉を開き、手に取ったのは『地獄返し』だった。
「――なるほど。水と間違えたんだな」
 イリスはラナスの行動を説明するように言った。
 ディルが入れた酒のボトルには、特にラベルも何もない。中身も無色透明で、しかも無臭。つまり、飲まなければわからないのだ。
「ラナスちゃんが犯人だったってわけか」
 通常画面に戻ったモニターをまだ見つめながら、ディルは呟いた。
「それなら話は早いね。ラナスちゃんに会いに行こう」
「ああ。カトレア、すまないな」
「いいえ。お役に立てたようで、何よりですわ」
 三人はカトレアに別れを告げ、再びラナスの部屋に向かった。

 コンコンと扉を叩く。が、中からの応答はなかった。
「もう寝ちゃったのかな?」
「いや。中で物音がする。まだ起きているな」
 扉に耳を密着させたイリスは、フレーゼの言葉を否定した。
「……、入ってみよう。様子が変だ」
 言い、イリスは扉を開いた。
「ラナス、お前が――」
 その先、イリスの声は言葉にならなかった。
「どうしたんですか、隊長?」
 聞きながら、フレーゼとディルも室内に入って、
「うおッ!?」
「えッ!?」
 惨状を目の当たりにした。
 そこらに散らばる服やら書類やら。まるで突風が吹き荒れた後のようだ。そして、嵐の中心地に、彼女はいた。
「あれぇ? みなさん、どうしましたかぁ?」
 ラナスはベッドの上に仁王立ちしていた。振り返ったその顔は平静そのもの。だが、格好は常の通りとは言いがたかった。と、言うよりは、
「……ラナス。その格好はどうした」
「あつかったので、ぬいだんですが?」
 何も着ていなかった。
 それはもう、見事なまでの全裸だった。
「フレーゼ、ディル。今すぐに外に出ろ」
「は、はい」
 慌てて顔を赤らめながらそむけるフレーゼに対して、ディルの反応は。
「……やっぱラナスちゃんじゃ、まだ胸はないッスね」
「死ね」
 イリスの回し蹴りがディルを部屋の外まで吹っ飛ばす。一撃必殺、廊下の壁に寄りかかって倒れているディルは、完全に気絶していた。

「わたしが間違ってディルさんのお酒を飲んでしまったわけですか」
 翌朝。二日酔いに少しだけ顔を歪めたラナスは、朝食の席でそう言った。
「うん。ハーブティー、アイスで飲んだでしょ? その時に使っちゃったのがお酒だったみたいだね」
 カップ一杯の酒でしかなかったのだが、アルコール度が高い酒だったらしく、そのせいで昨日のような惨事になったらしい。
 結局、イリスが服を着せ、フレーゼも協力して部屋を片付けた。ちなみに、ディルは廊下で朝を迎えた。
「みなさんにはご迷惑をおかけしたようですね、すみません」
「いい。事故のようなものだからな」
「じゃあ、事故の被害者ってオレじゃないッスか?」
 寝不足顔で、それでも朝食を用意したディルは、今にも死にそうな声で言った。
「お前の場合は自業自得だろう。酒なら酒と、ボトルに書いておけばよかったんだ」
「そりゃまあ、そうッスけど……にしちゃあ、ダメージが大き過ぎる気がするッス」
 痛むのか、頬をさすりながらディルはぼやく。
 その様を見ていたラナスは、ふと聞いた。
「そういえば、ディルさんはどうして、わたしの部屋の前で寝ていたんですか?」
「夜這いだ」
「ちょ、隊長ッ! それは洒落にならないって言うかラナスちゃん、その軽蔑っぽいまなざしは何!?」
「……冗談は存在だけにして下さいませんか?」
「だからッ! オレは無実だー!」
「無実とは言いがたいね。軽犯罪ってとこかな?」
「テメエ、フレーゼ! お前は男の友情と女上司! どっちが大事なんだよぉ!?」
「そんな、浮気を疑う妻みたいなことを言われてもね」
 ディオート・クラットの朝は、今日も平和だった。