「おれは賢者じゃないぜ」
 じり、と距離を置く。一瞬で距離を詰められる相手に意味はないが、気休めだ。
 刀はユーバに貸したままだ。今は武器もない。勝てる相手ではない。
「……? ああ、知らないのですか」
 対するルーナは平静そのもの。当然だ。今の彼女にとって、この状況は昼下がりのティーブレイクとなんら変わらない。
 自分の命を脅かす者など誰もいない。
「あなた、賢者の孫でしょう?」
「あ?」
「賢者は勇者と結婚はしていません。なぜなら彼女は、キラーマシンをこれ以上は作らせないという役目があったからです」
「どういうことだよ」
「言葉通りですよ。キラーマシンは魔王がいなければ起動しない、ただのゴーレムに過ぎません。ですが、魔王はいずれ蘇る存在。その時に大量のキラーマシンが存在すれば、今度こそ人間たちに勝ち目はなくなります。なので彼女は、製造工場ーー魔王城を押さえる役目を受けざるを得なかった。魔王城を城ごと異空間に閉じ込め、自分はその場から離れぬことで人柱になったのです」
「でも、おれは生まれてるんだぞ」
「後々、魔王城跡は集落になっています。ショナイ山の奥地がそれです。セト・シアンも残りたがったようですが、勇者ゆえに政治が絡み、田舎に隠居することができなかったようですね」
「……!!」
「賢者の孫であるがゆえ、セト・シアンも甘やかしたのでしょう。刀を与え、自分の技術を与えた」
 でも、とルーナは続ける。
「無駄に終わりますね。ここで全ての技術は再び絶えるのですから」
「おれを殺しても……。人類はお前の敵になるんだぞ」
「そうですね。元より全人類は敵ですが……。それが何か?」
 平然と言う。
 彼女は冷静だ。本気で言っているのだ。
 全人類を敵に回し、全人類を憎んでなお、彼女は飽き足りないのだ。
「どうしますか、アルフォンス・スター。あなた一人でわたくしに勝てないことなど自明の理。あの勇者でさえ歯が立たない相手です。今のあなたにできることは何もない」
 できることは何もない?
 じゃあ座して死ぬのを待つのか。
 ーーそんなわけがない。
「悪いがおれは、デュアリストなんでね」
 徒手空拳が何だ。勝ち目がどうした。
「勝つ。それ以外に価値を知らないんだよ」
「それでこそ、わたくしが見込んだ男です」
 容赦なくハルバートを構えるルーナ。その切っ先が揺らぐ。
「ん……」
「セリル!?」
 目を覚ましたセリル・ブラッキーは、ルーナを、そしてアルスを見た。
「あー。ルーナ、やっぱりそうするのね」
「予想していながらキラーマシン起動は止めなかったのですね」
「これでも魔王だもの」
「今の魔王はわたくしです」
「それもそうね」
 セリルはそっとアルスに寄り添う。
「二人まとめて串刺しにしろと?」
「誰がそんな命令するか」
 セリルはそっとアルスの手を握った。
 ほんのりとした暖かさ。そして同時に伝わる、柔らかな魔力。
「アルス。一発で」
「……ああ」
 何をすべきか。何を成さねばならないか。
 そんなもの、わかりきっている。
「……」
 ルーナは無言でハルバートを構え、床を蹴った。
 その動きが目で見える。捉えられる!
「四の太刀!!」
 刀はない。ならば己の腕で!!

「光輝燦然!!!」

 アルスの手刀とルーナのハルバートが激突し、弾き合う。
 そこに込められた魔力量はほんの僅かーーアルスの方が、強かった。
「ッ!!」
 ハルバートが負け、砕け散る。
 そのままアルスは全力の魔力をルーナに叩き込んだ。
「ぐッ!!」
 さながらドラゴンに踏み潰されたかのような衝撃。床を砕いたルーナはそのまま転がり、屋上の端から転げ落ちた。
「ルーナ!!」
 アルスとセリルは慌てて屋上から飛び降りる。
 建物の屋上から路地に叩きつけられたルーナは、息も絶え絶えだった。
「ルーナ……。あんた、なんで手加減したんだ」
「……アルス。わたくしのスカートをめくってみなさい」
「は?」
「いいから」
「あ、ああ」
 そっとスカートを少しだけ持ち上げる。
 膝から下だけでも、消えない傷跡が見て取れた。
「内腿や腹はもっと酷いですよ。局部に至っては見ただけで失神するかも」
「なんでこんな……」
「魔族というのは、こういうことなのです。わたくしの他にも、大なり小なりこういう目に逢っている者がいます」
「でも、だって……」
「あなたたちは戦勝した種族なのです。敗者は全てを奪われる。尊厳も、財産も、ほんの僅かな希望さえも」
「……」
「都市に住んでいなかったあなたは知らないでしょう。知る必要がないからです。わたくしは、同胞を見捨てることなどできない……」
 あの冷徹なルーナ。その頬を、雫が伝う。
「もうどうでもいいのです、こんな世の中。この混乱に乗じ、同胞たちは逃げたことでしょう。そして、全ての元凶は魔王たるこのわたくし。セリルという一人の学生を人質に、キラーマシンを起動させ、混乱を招いた。これで良いのです」
「……先生」
 くすりと笑い、ルーナ・ディルアーガは続ける。
「わたくしはルーナ。魔王ルーナです。間違えないように、不出来な賢者君」
 そう言って、ルーナは目を閉じた。
 呼吸の失くなったその身体を、アルスはそっと抱き締めてやった。