それから、異世界で何度か一夜を明かした。
 たまにテントの周囲に何かが現れることがあったけど、それも気がつくと姿を消す。これも都市伝説によくある現象だと思った。
 たとえば雪山の話。山小屋で一夜を明かすと、死んだ仲間が呼びかけてきたり、あるいは吹雪の中で人が尋ねてきたりする。
 恐怖のままに意識を失うといつの間にか朝になっている。そういう類の怪談は少なくない。
 エレベーターで襲ってきたナニカはむしろ異質な方で、こういう拍子抜けみたいな奴が普通なのかもしれない。普通が何かはさておき。
 そうやってレベルアップしていったところで、いよいよ、遠出をすることにした。
 チェーンの喫茶店。その片隅で、私たちは次の探索計画を練っている。
 二人で地図を覗き込む。私は遠くに書いてある箇所を指し、
「目標は遠くに見えている、あの湖にしようと思うの」
 地図は徐々に埋まってきている。エレベーターを中心に、周囲の地形はすでに把握できていた。
 問題は、遠目に見えていた巨大な湖だ。
「先輩が異世界で生きているとしても、水辺の近くにいると思うから」
「確かに、水が確保しやすい場所に居住区は設けるでしょうね」
「ただ、歩いてどのくらいかかるか分からない。一応、食料もちゃんと持っていこうと思うわ」
「弾もね」
「それは私にはわからないから、カナタに任せる。もちろん、途中で狩りができれば、そのぶん食材は浮くけど、無理はしない」
「あくまで行軍が優先ってことね。いいよ」
「まずは一日で歩けるところまで歩いてみましょ。それで湖に到着できればよし、できなければ撤退して出直す。もっとも、エレベーターから大まかに測った距離が正しければ、一日で到着できるはずだけど」
 測量のまね事をして、湖までの距離は計算している。およそ15キロ。
 今まで私たちが探索していたのは主に5キロ圏内。遠出しても10キロ弱だ。そこから一気に足を進めることになる。時速4キロで歩けば4時間ほどだけど、休憩したり探索したりだから、実際の速度はもっとゆっくりになることが予想できていた。
「じゃあ、この日ね。楽しみね、はすみ」
「ピクニックじゃないんだから」
 そう、何が出るかわからない異世界を歩くんだ。これはピクニックじゃない。
 言うなればーー探検だろうか。

☆ ★ ☆ ★ ☆

 約束の日。すでに盛夏は過ぎ去り、朝晩の気候は秋めいてきている。
 そんな中、私たちはエレベーター塔を背に歩き出した。不思議なことに、街道のようなものがある。
 この世界はそんなのばかりだ。人間が住んでいたような気配があるのに、人間は住んでいない。現実世界と近いように見えるのに、どう見ても現実世界じゃない。
 本当に、この世界は何なんだろうーー。あるいは、宍室先輩に会えれば、その謎も解明できるんだろうか。
 街道を進み、坂を上る。周囲に木が増えてきた。目測では、このまままっすぐ進めれば湖に当たるはずなんだけど……。
「お?」
「あれ」
 二人して声が漏れた。
 木々の合間から覗いたのは、線路だった。踏切があるけど、街道は少し行ったところで途切れ、その先は森になっている。
「どうする?」
「少し方向がずれるけど……。とりあえず、線路沿いに歩いてみようか」
 道がないところを進むよりはその方がいい。それに、線路沿いなら、先輩が住んでいるかもしれない。電車でどこかに通っているかはともかく。
 線路沿いを歩いていくと、やがてトンネルに入った。そのままトンネルを進んでいく。
 オレンジ色の光に照らされた線路は、電車のトンネルというより道路という感じがした。トンネルそのものはたいして長くない。出口は白く光っていた。
 そのまま線路を進むと、
「え?」
 トンネルを出た先。そこは真っ白だった。
 敷石もレールも枕木も白く染まっている。線路の両脇は密度の濃い木々が並んでいるけど、それらの木も草も真っ白だった。
「こんな白い世界、あったっけ?」
「あったらさすがに気づくと思うよ」
「だよね」
 エレベーターから見える範囲にこんな場所はなかった。となると、すでに怪異に騙されている……?
「あそこに駅があるね」
 100メートルほど先には駅が見える。とりあえず、そこまで行ってみることにした。
 線路を進んでいくと、駅の看板が見えてくる。そこには、『ひつか駅』と書かれていた。
「ひつか駅……。これも都市伝説?」
「うん。電車に乗っていると迷い込む場所で、真っ白な世界にある無人駅。ホームに女の子がいて、その子に持ち物を渡すと元の世界に返してくれるんだって」
「でも女の子なんていないね」
 いたら怖いけどな。
 脇の階段からホームに上がる。ホーム上には誰の姿もなかった。駅名の表示板にベンチ。それと黒電話ならぬ白電話が、隅っこにひっそりと置かれている。
「何もなさそうだね」
「そうだねぇ……っ!?」

 ーーージリリリリリリ!!

 突然響いた音に、二人でびくんと飛び跳ねた。心臓が止まるかと思った……!
 鳴り響いているのは隅っこの白電話だった。けたたましく鳴っている。
「あれ、誰を呼んでいるんだと思う?」
「他にいると思う?」
「だよね」
 ごくりと喉を鳴らしながら電話に近づき、受話器を取る。
「もしもし」
 呼びかけると、電話の向こうから聞こえてきた声は、おもいのほか可愛らしいものだった。
『私、メリーさん』
「……っ!!」
 メリーさんの電話。知らない人はいないくらい有名な都市伝説だ。
 メリーを名乗る少女が電話をかけてくる。

 ーー今、ゴミ捨て場にいるの。
 ーー今、タバコ屋さんにいるの。
 ーー今、あなたの家の前にいるの。

 電話をかけるたび、徐々に近づいてくるメリー。やがて家の前まで来たメリー。その後は、メリーに惨殺されるとも言われている。
 とびきり有名で、危険度も高い都市伝説……!
「メ、メリーさん。ここはどこ?」
『私、メリーさん。あなたはだあれ?』
「……?」
 私は首をかしげた。
 メリーさんの電話は、一方的に居場所を告げてくるだけのもの。こちらと会話は成立しない、そういう怪異だ。
 だけどこのメリーは、こちらと会話しようとしている?
「わ、私は、比奈山はすみ、だけど」
 言ってから、しまったと思った。なんで私は怪異に本名を名乗ってるんだ。
『私、メリーさん。はすみ、あなたはどこにいると思ってる?』
「どこに……?」
『私、メリーさん。ここはアナタたちの世界じゃない。ここは寄る辺なき者の里。欺き、騙し、仮面を被る者の里』
「あなた……この世界を知っているの!? この世界は何なの!!」
『私、メリーさん。ここはマヨヒガ』
「まよひが……? 迷い家!」
 迷い家、あるいはもっと正確にマヨヒガ。柳田国男という、民俗学の先生が書いた本に書かれている、山中に存在する家のことだ。
 その家は、何の脈絡もなく現れる。立派な家で、今さっきまで人がいたような気配があるのに、家の中には誰もいない。
 一説には、この家は山の神様からのプレゼントで、家の中にあるものを持ち帰ると繁栄するという。ただし、一生に一度しか訪れることはできず、同じ場所に行っても二度と家は現れないのだとか。
『私、メリーさん。マヨヒガを荒らす者、喰らう者、呪う者。私たちでは狩れぬ者』
「迷い家を荒らす……?」
『連れて帰って。迷惑なの』
 ぷつん、と通話が切れた。