メリーさんとの通話が切れてしまったので、受話器を戻す。
「誰からの電話?」
「メリーさん。怪異よ」
「怪異って会話が成立するんだ」
「私も初めて知ったよ」
 ーー迷い家。
 ここが迷い家なら、文字通り迷い込むことはあるかもしれない。神隠しの一種だし、あるいは、カナタがそういう正しい来訪者なのかも。
 迷い家は迷い込んだ者に繁栄をもたらす。一方で、無理やり侵入してきたに等しい私には、どういう反応をするだろうか。
 巨頭オの廃村で死んでいた人が脳裏に浮かぶ。
「……」
 ぶるりと背筋が震えた。
「そうだ……」
 ここが本当に迷い家なら、普通の人が二度も三度も訪れることができるはずはない。なのに、私たちは何度もここに足を運べている。
 それは何故か。その手段があるからだ。
 その手段は何だ。
 エレベーター。あれは、この世界においても、異常なものなのかもしれない。
 
☆ ★ ☆ ★ ☆

 ひつか駅の出口には、一枚の扉があった。そこから出ると、なんとまあ、元通り自然に溢れた道が続いている。左右は畦道で、水が張られた田んぼが続いていた。
 後ろを振り返ると、確かに白い駅がある。線路も見える。けど、真っ白じゃない。普通の線路だ。
「どういうことなんだろ……。駅の中にいると、世界が白く見える?」
「そういう怪異? じゃあもしかして、この駅も食べられるのかな。あるいは、食べられる獣が隠れているとか」
「いるかもしれないけど、今日の探索は別にひつか駅を目的にしてないもん。今度にしましょ」
「んー、そうね。駅の中に隠れた相手を探すには道具が足りなさそうだし」
「道具って?」
「バールとか」
 壁を壊す気か。いやまあ、隠れられるならそういうところかもしれないけど。
 駅を後にした私たちは、続いている畦道を進んでいく。
 畦道には生温い風が吹いていた。外の世界は、すでに秋口だというに、吹いている風はまるで夏の夕暮れ時。どこからか、蝉の声でも聞こえてきそうだった。
 左右の田んぼには水があるけど、稲はない。田植前って感じだろうか。けど、せっかくの水気も、清涼感はまったくない。
「暑いねぇ」
「うん。嫌な空気ーーん?」
 進行方向。どこまでも続いている気さえしてくる田んぼの中に、何かがいた。白っぽくて、うごめいている……?
「何かしら、あれ」
「……田んぼで動くものって」
 そんなのーーくねくねしかない。

 ーーくねくね。怪異の中でもとびきり理解不能な、なんとも言えない存在。
 遠目に見る限りではくねくねと動くだけの何かでしかない。けれど、双眼鏡なんかを使って、それの存在を”はっきり”見てしまうと、自分自身も気が狂ってしまうという。

 八尺様は、土地に根付くおばけとも言える。人間を呪う存在だと言い換えられる。
 姦姦蛇螺は、人間に絶望しただけの巫女さんだ。
 ヤマノケですら、人間に憑依する霊体と言えないこともない。
 一方で、くねくねはそうじゃない。そういうものですらない。それが何であるか、説明がまったくつかない。人間のような形ですらなく、ただくねっているだけの存在。
 理不尽そのもの。まさに都市伝説の怪異として、象徴的な存在。
「カナタ。あいつは、この距離で見るぶんにはたぶん大丈夫。あれが何なのか理解すると発狂するから気をつけて」
「発狂するとどうなるの?」
「くねくね踊って、そのうちああなる」
「……その理屈だと、あれも元人間ってことじゃないの?」
「んー。たぶん、違うんじゃないかと思う」
「なんで?」
「勘」
 そうは言うけど、なんとなく理由も説明できる。
「くねくねーーあの怪異についての話でね。あいつを見た男の子は、確かにくねくねと踊り出す。おじいさんが出てきて、この子はもうダメだ、頃合いを見て田んぼに放すしかないって言う」
「じゃあやっぱり怪異になっちゃうんじゃ?」
「けどさ、考えてもみてよ。見ただけで呪われる存在になるのに、なんでわざわざ田んぼに放すの? だって田とか畑って、農家の人は毎日行くんだよ? そんなところに放置したら危ないでしょ」
「そういえばそうだね」
「もともと都市伝説ってね、原型となる話があるわけ。たいがいは誰かが創作するものだと思うけど、それが語り継がれていくうちに、尾鰭がつくの。元の話に、次の話者が付け足すのね」
「うん?」
「くねくねになっちゃう、っていう恐怖話は、たぶん付け足しじゃないかなって思ってる。だってその前半ーー理解不能な現象に対して、説明がついてしまうもの。都市伝説の怪異って、もっと訳わからないというか……人間の理解を拒む存在なんじゃないかって」
「よくわかんないけど、だからどうなの?」
「見ちゃヤバいのは確実。でも、見てもくねくねになるわけじゃないと思う。気が狂うのはそうだと思うけど」
「大差なくない?」
「私的に大事なの」
「はいはい。まあいいよ、こっから撃てばいいんでしょ?」
 カナタは銃を構える。
「その銃、あんな遠くまで届くの? というかあそこまで、どれだけ距離があるのよ」
「目算だけど500メートルってとこかな。この銃ならギリ有効射程ってくらい」
 カナタは引き金を引いた。ガガガガ、と銃撃が始まる。
「……これ、当たってる?」
「たぶん」
 けれど、くねくねは健在だった。今も元気にくねってらっしゃる。
「近づきたいところだけど、近づくと発狂するんだよね?」
「目で見て、それが何であるか理解するとね。目撃した人いわく、『わからない方がいい』だって」
「んー。わからない方がって言われても、わかるくらいの距離でないとねぇ。それに、本体に当たればいいってものとも限らないし」
 そうなのだ。
 この世界の怪異は、見えている本体はだいたい弱点ではない。だから下手に撃ったところで、ダメージにはならなかったりする。
 この距離から討伐できないとなると、近づくしかないわけなんだけど……。どのみち、目的地への進行方向も前だ。どうしたって、くねくねに近づくことになる。じゃあ退けばいいってなもんだ。
「……っ」
 後ろを振り向く。遠く、白くくねる存在。くねくねだ。