「はすみ、この人……」
「うん」
 黒くて長い髪。生気を失った白い肌。そして、闇のように真っ黒なワンピース。
 当時とはだいぶ印象が違う。それでも、間違いない。私が唯一、心を許した他人。
 宍室冬子先輩。
「先輩。会えると思ってましたよ」
「……そう?」
 響いた声は、意外なことに、あの頃のままだった。
 だからこそ、余計に心に響く。
「私たちを殺そうとしていたの、先輩だったんでしょ?」
 私の言葉に、隣に立っているカナタの方が目を丸くしていた。
「え、でも、この人ってはすみの先輩……」
「先輩とか後輩とか、殺意には関係ない。カナタの方が詳しいんじゃない?」
「それは……」
「もちろん、いつからそうだったのかは分からないけどね。学校で仲良くしていた頃は、まだ違ったと思うんだけど。でも、この世界で私たちを殺そうとしていたのは、間違いなくこの人だよ」
「なんで、そんなことが言いきれるの? この世界の怪異は人を襲う。私のせいではないわ?」
 先輩は小首を傾げる。
 私はくすりと笑い、
「八尺様や巨頭オは偶然だったと思いますけどね。リゾートバイトのナニカとか、昨日のくねくねだって。まるでそこに住んでいて自然に湧いたっていうよりは、明確に私たちを目指してきている雰囲気がありましたから」
「それだけ?」
「そういうことが気づいたきっかけですけど。他にもヒントはありました」
 メリーさんの電話。
 エレベーターで異世界に行く方法。
 それは、私にとって重大なヒントだった。
「メリーさんは言っていました。ここはマヨヒガだって。マヨヒガは人の前に現れ、そこにあるものを持ち帰ると幸福になると言われています。ただし、マヨヒガは二度訪れることはできない。生涯に一度だけです」
「そうかもね。でもそれが?」
「この異世界には、エレベーターの方法を使えば、必ず来ることができます。マヨヒガってそういうものじゃない。だとしたら、誰かが作ったんじゃないでしょうか。マヨヒガに定期的に来られる方法を」
「そんなことができるの?」
「できるかどうかは分かりませんけど、事実はそうかなって。ただし、マヨヒガは本来、同じ人間が訪れる場所じゃない。そのせいで、この空間そのものがねじれてしまったとしたら? この世界に何度も来られるようにした人間を中心にして、世界のありようが変わってしまった」
 ちょうど、出汁の中に味噌を混ぜたら、味噌汁になってしまうみたいな。
 ひとつの、強い個性を持つものが、他の個性を引きずってしまう。もともとの出汁は性質を残すけど、それはすでに出汁の汁じゃない。味噌汁だ。
「きっと、ヤマノケもくねくねも、他の怪異たちも。ああいう存在ではなかったんだと思います。人を欺く能力はあれど、そのありようは固定されていなかった。それを、一人の中心人物が生まれたことで、その知識の世界に引きずられた。だからこの世界は、都市伝説みたいな世界なんです」
「だから?」
「都市伝説が大好きな女が、世界の中心になったから」
 あなたです、と私は告げた。
 けれど、先輩はくすくすと笑うだけ。
「それだけで、私が世界の中心だとでも言うの?」
「そうですよ。だって、この世界において最も異質な怪異はーーエレベーターですから」
「最も異質?」
「あの怪異だけが、元の世界とこの世界を繋いでいる。あそこは界面です」
「なるほどね。でも、エレベーターと私に接点なんてないわ?」
「あるじゃないですか。私は、先輩の名前を呼びながらこの世界に来ているんですよ?」
「私の名前を呼びながら?」
 そう。エレベーターの方法は、特定の順番にボタンを押さなければいけない。
 4、2、6、2、10、5。
「4262は、たぶん4466って読み替えるんじゃないですか? エレベーターじゃ同じ階を呼べないから、そういう順番にせざるをえなかった」
「それが?」
「4466からの、10、5。シシムロ、です。シシムロトーコ」
 そのことには、早くから気付いていた。気付いていたけど、その意味までは深く考えたりしなかった。偶然かな、なんて思っていた。
 でも違う。この女は、この世界を捩曲げるために、自分の名前をキーにして世界の扉を開いたんだ。
「でも、それじゃあなんで私は、人をこの世界に呼ぼうとしているの? ただ殺すだけなら、そんな必要はないわよね?」
「そうですね。だからこの先も想像ですけど。もしかして、先輩も都市伝説になりたかったんじゃ?」
「都市伝説に?」
「理不尽に人を襲い、正体すら分からぬ存在に狂わされる。そういう体験です」
 都市伝説が好きな、底抜けに明るかった先輩はもういない。
 人を騙し、罠に嵌め、陥れるーーそういう怪異に、なってしまったんだ。
 私の説明に、宍室先輩はくすくすと笑った。
「さすが。さすが私の後輩。あなたは聡明だわ。聡明過ぎて、他人とは合わない。だから弾かれる」
「そんなことして、何になるんですか?」
「あなたが自分で言ったでしょう? 私は理不尽な現象そのものになる。そうすることで、人間たちを呪うの」
「……何が、先輩をそうさせたんですか?」
「理由なんて意味がないわ。どこにでもありふれるもの。それは、あなたにも当てはまる」
「私にも?」
「人間、嫌いでしょ?」
 ぞくりと、背筋が震えた。恐怖からじゃない。
 自覚からだ。
「私についておいで。人間を苦しめてあげる。殺してあげる。狂わせてあげる。今はまだ紙一重向こう側。だけど、この世界と向こうの世界が繋がれば、世界に怪異があふれるようになる。人間は、わけも分からぬまま死んでいくようになる」
 宍室先輩が手を差し出す。ちょうど、行き倒れに手をさしのべるかのように。
 私は、その手にゆっくりと触れーーぎゅっと握りしめる。