その日、青年はシャツとジーンズという気楽な格好でテレビを見ていた。ゴミや洗濯物が転がっている汚い部屋であるが、別に掃除しようとか思わない。一人暮らしの男性の部屋などこんなものだ。 さして面白くもない番組を眺めていると、 ぴんぽーん チャイムが鳴る。その音に青年は飛び起きた。 今日はまだ呼んでいないというに――! 青年は歯噛みしながらも、こそこそと部屋の隅に隠れる。とはいえ、1Kのさして広くもない部屋。隠れるとはいっても限度がある。 「京くーん。いるー?」 扉の外から女性の声がした。予想通りの声なのでとりあえず無視。このまま留守と勘違いしてくれればいいが、それでも入ってくるだろう。 顔を合わせたらおしまいだ。なんとか部屋から脱出せねば。 まっさきに青年が見やったのは窓だった。ここはアパートの二階。高さはそれほどでもなく、逃げ出そうと思えば逃げ出せる気もする。しかし窓は表通りに面しており、そんな姿を近所の人に見られた日には通報は免れない。 では他の手段は? 部屋の外に通じているのは、扉と窓がひとつだけだ。他には何もない。 となれば、一時的に身を隠してやり過ごし、扉から脱出するのが最善の策! 「それなら……」 「どうするの?」 びくぅ、と青年の肩が飛び跳ねた。ぎぎぎ、と振り返ると、そこには男である自分より背の高い女性の姿が。 「ひ、日向……」 日向と呼ばれた黒ジャケット姿の女性は部屋の中を見渡し、 「京君、ちゃんとお約束したよね? こーゆーのは食べないって」 女性が指し示したのはコンビニ弁当の空き容器。 ――先に処分しておくべきだったか。 後悔はいつだって先に立ってくれないのだ。悲しいことに。 「それに、なーに、この部屋。お掃除もしてないし、洗濯物もたまってるし、そもそも窓を最後に開けたのいつ?」 「あー、昨日かな」 「嘘。三日は開けてないでしょ。ここんとこ寒かったもんね」 わかっているなら質問しないで欲しい、とちょっと思った青年であった。 はぁ、と女性はため息をついた。 「京君、カッコいいのになーんで自分の身の回りのことはこんなにだめなのかな?」 「カッコいいなんていうのは全員が共通して持つことができる認識ではない以上、日向の個人的な感想に過ぎないじゃないか。そんな感想と自分自身の理想の間に存在するギャップについて語られても僕としては回答のしようがないと思うんだけど、そもそもここは僕の部屋であってその使用方法は僕自身が決めるべき事柄であり、僕の食事内容に関しても料理ができない僕としてはこういった簡便な食事方法に頼らざるをえないわけだ。掃除をしていないと言うけれど僕はどこに何があるのか把握しているわけで、それは片付けが終了していると言い換えても過言ではないと推察できるんだけどそこのところはどうだろうか」 「長々と言い訳ごくろうさま。言いたいことはそれだけ?」 怖い。 そりゃもう怖い。 この女性――日向は、ちーっとも笑っていない。青年が語り続けている間も無反応。 まずい。これは、相当に怒っている。 「えっと、だね」 青年が二の句どころじゃない次の言葉を見つけるより早く、日向は腰に手をやった。 そこにあるのは、現代人には似つかわしくないもの。 黒光りする鞘だった。日向は鯉口を切る。 「い、い、た、い、こ、と、は?」 「あー、日向。とりあえず刀はやめよう、刀は。危ないから」 すらり、と引き抜く。それは白刃。銃刀法に軽く引っかかる、正真正銘、本物の真剣であった。 「日向? いや、日向さん? 僕の話を聞いてる? むしろ聞こえていますか?」 「京君、すぐ私との約束を破るのね。どうしてかな? 忘れちゃうからかな?」 「待て日向、そもそも君が僕を傷つけてしまっては本来の目的から反してしまうというか、護衛対象に剣を向ける奴がいるかァ!?」 「なら、体に刻んじゃうしかないよね。痛い目にあえば京君もきっとわかってくれるよね」 「刻むって本当に刻まれちゃうから! 痛いどころじゃ済まないから君の剣は! というか本当にやめてェ!?」 ちっとも聞こえていない。いまや青年の命は風前のともし火。 「動かないでね、京君。手元が狂っちゃうと首まで落ちちゃうかもしれないから」 「君はどこを刻む気だ! だいたい、手元が狂っただけで死ぬような方法を使うなァ!」 「だって京君はいつも言ってるじゃない、死ぬことなんて怖くないって」 「無駄に死にたいと言った覚えは一度もない!」 そこでピタリと動きを止めた日向。青年がいぶかしんでいると、日向は暗い表情を床に向ける。 「京君、嘘でも死ぬなんて言っちゃやだよ?」 「僕は嘘をついたことなんて一度もない」 「それこそ嘘。私と初めて会った時だって嘘ばっかりだったじゃない」 「そうだったっけ」 そんな昔のことは忘れた、と言わんばかりにそらっとぼける青年。彼はいつだって嘘をつき、それによって生き残ってきた。 「……ねえ、京君、あのね」 日向の言葉は半ばで切れた。青年のポケットから携帯電話のメロディが流れ出したからだ。 引っ張り出すと、青年は通話ボタンを押した。 「ああ、僕だ。うん、うん。オーケー、わかった。感謝する」 短い通話を終えた青年は、改めて女性を見た。 「行くよ、日向」 「行くって……、やっぱり、あの用事?」 「そう」 青年は軽く頷き、外出用のジャンパーを手に取る。安物な上に着古された代物だ。 「狩りの時間だ」 そこにいたのは、掃除もできない駄目人間。 そこにいるのは、笑顔を浮かべた恐ろしい狩人。 日向は知らず、深くため息をこぼす。 ところ変わって、どこぞのお屋敷。 洋風のお屋敷だった。書斎であるこの部屋は壁という壁を本棚が埋め尽くし、最奥にある窓辺には、大きめの机が設置されていた。もっとも、部屋そのものがかなり広いので、この大きな机でも邪魔になることはない。 その机に向かっていた男性が、椅子をきしませながら振り返る。 男性の前には五人の女性たちがいた。年齢も格好もバラバラ、共通しているものと言えば性別くらいなものか。 いや、もうひとつあった。それは雰囲気。ここにいる女性たち、その誰もがただならぬ気配をまとっていた。まるで、そう、抜き身の刀か何かのような、鋭い気配。 「報告は以上かな?」 けれど、男性は臆することもなく声をかけた。その問いかけに、五人のうちの一人、スーツ姿の女性が答える。 「以上です、月宮様」 「そうか。なら、そうだね」 男性はスーツ姿の女性が持ってきた報告書に視線を落とした。そこには、彼が立てた計画に障害となりそうな人物がリストアップされている。 「この、正体不明の少女。こちらの対処には塔原に頼もうか」 「承知しました」 フードで顔をかくした少女が答える。 男性はページをめくり、 「こっちの探偵社関連は小鉄、君に任せよう」 「アイアイ、サー」 大柄な野戦服姿の女性はびしりと敬礼をしてみせた。 そして、男性はさらにページをめくる。 「この、男と女の二人組。この連中には白桃、君が適任だと思う」 「はいはーい、まっかせてー」 五人の中で最も現代風の格好をした女の子がへにょんと敬礼をした。小鉄の真似らしい。 「氷室と灰塚は待機。他の障害はとりあえずほっておこう。すぐさまどうにかなる、という問題でもなさそうだからね」 そこまで告げたところで、男性は報告書を机の上に置いた。 「さて。こちらが本格的に活動を開始しておよそ二週間、そろそろ障害が増えてくる頃だ。君たちは各個に障害を排除しつつ、問題があったらすぐさまボクに報告してくれ。いいね?」 はい、と全員が返事をしたところで、男性は軽く頷いた。 「じゃ、それぞれ自分の役割を果たして。そうそう、灰塚だけはちょっと残っていてくれ」 「……? はい」 学生服の上からタクティカルベストを着込んだ少女は、軽く首をかしげながらも、素直に頷いた。 他の四人の女性たちはそれぞれ部屋を出て行く。全員が退出し、部屋の扉がしまった後もしばらく、男性は口を開こうとしなかった。少女も何かを問いかけるでもなく、黙って直立している。 「――灰塚」 五分近くは待っただろうか。ようよう男性は口を開いた。 「君はボクが指示したら、彼女たちを狙撃してくれ」 こくん、と少女は頷いた。そこに、ためらいは欠片もなかった。 「やる時は一撃だ。失敗だけは絶対にしないようにしてくれ。まあ、君ならば心配はいらないと思うが」 「もちろんです、マスター」 「よろしい。じゃ、君も自由にしていいよ」 「はい」 ぺこり、と頭を下げ、最後の少女も出て行く。それを見送り、男性は思い出したように机の上にあったマグカップを手に取った。 コーヒーは、すっかり冷めてしまっていた。 「さて。どう動くかな」 冷め切ったコーヒーをすすりながら、男性はひとりごちる。 |