広々とした社長室。大企業であるこの会社を統べる者の部屋だけあって、成金趣味ではない、それでいて落ち着いた雰囲気が漂っていた。
 そんな部屋、コンコン、と扉をノックする音が聞こえる。革張りの椅子に座った中年男はそちらを見もせずに返事をした。
「どうぞ」
 続けて、扉を開き二人の人物が中に入ってくる。二人が机の前に並んで立った時、男は初めて視線を書類から持ち上げた。
「……? 誰かね」
 ようやく見た顔は、男にとっては知らない顔だった。いや、どこかで見たことがあるような気もするのだが、いまいち思い出すことができない。
 片方は二十歳そこそこの青年。ジャンパーにジーンズという、およそ人をたずねるとは思えない格好ではあるが、表情だけは柔和な笑みを浮かべており、営業に見習わせたいくらいだ。やけに鋭い犬歯は目立つが、それを言うのは酷だろう。
 もう片方は女性。青年よりは年上だろうか。上背があり、青年よりも背が高いくらいだ。男は女性の姿を眺め、その腰のあたりで視線が止まる。
 女性は腰から布袋をさげていた。そう、それはまるで――。
「お初にお目にかかります、霧島社長」
 男の思考は青年の言葉によって途切れた。社長は青年に視線を戻す。
「僕は雨雲京介。彼女は日向雪乃と申します」
「雨雲……?」
 珍しい苗字だ。その名前を彼の過去の中から探すと、ある男が思い起こされた。
「知らん名だな」
 だが、男はそんなことはおくびにも出さず、そらっとぼけた。彼との関係は表に出せるものではないし、そもそもあの男はもう何年も前に死んだはずだ。
 けれど青年はまったくひるんだ様子もなく、
「覚えてらっしゃいませんか? 今でも会合には顔を出されておられるようですが」
「いちいち要領を得ない話し方をするね、君は。結論を言いたまえ、結論を」
「そうですか。では結論を先に述べさせていただきます」
 青年はうやうやしく礼をすると、再び顔を上げた。
「――ッ!?」
 その瞬間、長い年月を社長として過ごしてきたはずの百戦錬磨の男が、動けなくなった。蛇につかまった蛙のように。
 青年の目つき。先ほどまで優しく笑っていたはずの目が、いまや笑いの欠片も見当たらなかった。冷徹で冷酷で冷血な、どこまでも冷え切った瞳が、こちらを覗きこんでいる。
 それは、たくさんの死と死と死を見つめてきた、いくつもの修羅場を実際に目の当たりにした人間の目つき。
「DDクラブに関わった人間は一人残らず処断する。そのために来ました」
 青年が目配せすると、隣の女性が腰の包みを解いた。
 果たして、それは男の思った通りのもの。黒い鞘に収められた一振りの刀が引き抜かれた。白刃が男を見下ろす。
「あなたが彼女たちにした行いを再現してみせましょうか。彼女はこう見えても、そのくらいのことは簡単にしてのける実力があるのです」
 再び目配せ。女性は頷くと、刀をひゅんと閃かせた。
 直後、机がゆっくりと左右に分かれ、床に倒れこむ。それは音さえほとんどない斬撃。達人の域だった。
「これは綺麗な太刀筋ですので、切られた側も苦痛はほとんどないでしょう。ですが、彼女は苦痛を与える切り方というのも身につけていまして」
 いかが致しましょう、と青年は問う。
「お望みがあればその通りにしてみせますよ。腕と足を切り落としてだるまのように転がしてみましょうか。それとも指をひとつずつ切り落とし炒めて夕食としてお出ししましょうか。あるいは下半身から細切れにしてどこまで意識が保てるか試してみてもいいでしょうし、骨から肉だけを綺麗に取り除いてみればダイエットになるかもしれませんね」
 ぺらぺらと語る青年。男の顔が徐々に青ざめていくのは、青年の言葉をそのまま想像したからではない。
 青年が、ちっとも笑っていないからだ。
 この青年は本気だ。本気で言ってのけたことを実現させる。それを過去の自分たちのように動揺さえ浮かべず、いや、むしろ喜んで見つめることだろう。
「な、何が、欲しい」
 男がようやく搾り出せた言葉は、それだけだった。
「金銭ならばいくらでも用意しよう。身分が欲しければ私の秘書ということにすればいい。私の名前を出せばこの業界では大抵の場所に顔が利く」
 言葉を出せば案外と冷静さも戻ってくる。そうだ、今はどれほど無様であろうとも生き残らなければいけない。今、ここで死さえ回避できれば、後のことはどうとでもなる。まずは目の前の危機を乗り切らねば。
 男の心理変化を知ってか知らずか、雨雲青年は少しばかり眉を寄せた。
「それで彼女たちが生き返るとでも?」
「そ、それは、本当に申し訳ないことをしたと思っている」
「申し訳ない、と。なるほど。あなたは彼女たちの墓前でも同じ言葉を吐くのでしょうね」
「い、いや……、その……。そ、そもそも、君は、いや、あなたは、あの子たちの知人なのか?」
 質問に、青年は皮肉な笑みを浮かべる。
「顔見知りという点では知人と呼べなくもないでしょうね」
 青年は自分を指し示し、
「僕は彼女たちの身の回りの世話と用具の整備を担当していました」
「ぁ……」
 思い出したのだろう。そう、男はこの青年に会ったことがある。まだ彼が子供だった頃に。まだ彼が何に抵抗することもできなかった頃。
「結構。では、あなたにお聞きしたいことがあります」
「な、何だ」
「DDクラブの会員名簿はお持ちですか?」
 なんだ、仲間を売れということか。
 その程度で助かるのであれば遠慮する必要などない。
「い、いいだろう。だが、私が持っているのは連中の連絡先と通称のデータだけだ」
「構いません。本名などいくらでも調べられます。なにせ、あなたがたは簡単に検索できるような有名人ばかりですから」
 ぐ、と歯噛みした。だが、実際にその通りだ。
 DDクラブ。あのイカれた連中は、私生活までも監視されているような人間ばかりだ。だからこそ鬱屈がたまり、あのような倫理を超越した遊びを楽しみたくなる。
 かくいう自分もそのひとり。経済誌に何度も取材を受けている敏腕社長。もしもあれが世間に公表されるようなことがあれば、身の破滅だ。
 この青年、すぐにでも始末する必要がある。
「わかった、少し待ってくれ」
 霧島社長は切られた机の引き出しからUSBディスクを取り出した。
「こ、これだ」
「お預かりします」
 雨雲京介は小さな記憶媒体を受け取ると、それをポケットに無造作に突っ込んだ。
「では社長。今日のところはこれで失礼させていただきます」
 青年は丁寧にお辞儀をする。そして、剣士の女性を引き連れて部屋を後にしようとした――その足が、扉の前でぴたりと止まる。
「他言無用などとは言うまでもありませんね」
「あ、ああ、もちろんだ。決して誰にも話さない」
「いえ、そういうことではありません」
 青年は振り向くと、女性の陰に隠れた。
 女性は鞘に戻したばかりの刀に手をかける。
「な、おい、まさかッ……!?」
「ご安心を。これはただの護身です」
「おい、それはどういうことだ!」
「本来ならあなたも守るべきなのでしょう。ですが、僕はあなたがたを守りたいとは思わない」
「京君、そもそもあの人を守ってる余裕がない」
「……だ、そうです。残念でしたね」
「だから、君たちは何を言っているんだと――」
 霧島社長がそれ以上の言葉を継ぐことはなかった。
 キン、という硬質な音に続き、天井に丸い線が走る。間を置かず、切り取られた天井が落下してきた。人と共に。
 バン、と床に降り立ったのは、意外にもまだ幼いと呼んで差し支えない少女だった。
「んー……?」
 少女は埃の立つ部屋をくるりと見回す。そして、自分の後ろで呆然としている中年男性に注目した。
「あなたが社長のキリシマさん?」
「い、いったい、なんだ、何なんだ今日はッ!?」
「んー……、厄日?」
 舞い上がった大量の埃が落ち着くにつれ、少女の姿も鮮明になる。
 服装は若者の町を歩いていても違和感のない、ごく可愛らしいものだ。だが、その手に握る三つ又の槍は、誰が持っても違和感が残ることだろう。ましてや少女では。
 案の定、男の視線も槍に注がれた。その穂先がゆうらりと動き、
「じゃね」
 閃く。
 次の瞬間、部屋の壁に何かが激突し、赤い液体が陰湿な音を奏でた。
「さてー、邪魔者のおそーじ、おしまい」
 くるん、と槍を回転させる。遅れて男の体が床に倒れ込んだ。
「次はあなたたちなんだけどー、どうしよっか」
「見逃してくれ」
「それはー、だめだめ。てゆーか、それって男の子が即答すること?」
 くすくすっと笑った少女は、足を肩幅に開き、槍の先端を女性に向けた。
「あたし、白桃。楽しく死んでね?」