扉の前に日向。そこから少し下がった部屋と扉を繋ぐ短い廊下に雨雲が立つ。 ビジネスホテルの部屋に刀を振りまわすスペースなど存在しない。せめて外に飛び出さなければ。 「日向、頼む」 雨雲の指示に、日向は無言で頷く。 刀を手に、扉のノブに手をかけ―― 「ッ!」 一息に開け放つ。 同時、繰り出す斬撃。刃と刃が交錯する。 表にいたのは西洋剣を持った女の子だった。それだけを確認した日向は刃をさらに押し込み、 「ぬるい!」 弾いていなす。 勢いが死んだ少女を蹴飛ばして転がし、手から離れた武器は刀で切断した。 なおも立ち上がる少女に当て身を食らわせ気絶させたところで、日向はようよう向き直った。 「外は狙撃手、中は歩兵ってところね、たぶん。どうする?」 「中で待つ」 雨雲は間断なく答えた。 「随分と狙撃手を警戒するのね?」 それが日向には少し意外だった。中にはどれだけの敵がいるのかさえわからないというに、外にいる、おそらくは唯一の狙撃手を警戒するなど。 「目の前にいない敵には言葉さえ届かないからね」 言葉が届かなければ、説得できないのであれば、雨雲には何もできない。 だから、彼は遠くの敵をこそ警戒する。目の前の敵などいかようにでもすればいいし、いざとなれば逃げれば済むのだから。 「それに、この襲撃そのものが狙撃するための伏線とも考えられる。動かなければ死にそうな状況だが、下手に動いても死ぬことになるだろう。うまい作戦だよ。 まずはレイアを起こして、様子を見よう」 「この部屋で? すぐに取り囲まれるわよ。相手、そんなに目立つことを意識しているようには思えないし、まずいんじゃない?」 「日向、今の女の子、どうだった」 脈絡のない質問に日向はきょとんとしつつも、 「えっと、弱い。すごく。まるで霊力が使えるだけの素人みたい」 「その通り、おそらく彼女は素人だ。いや、彼女も、と言うべきかな」 雨雲は廊下に倒れる少女を見やる。ご丁寧にも、このビジネスホテルの制服である女性用のスーツを着用していた。が、その顔立ちは幼い。明らかに未成年者だ。 「白桃を見ればわかる。彼女は明らかに素人だったろう?」 「そういえば、そうね」 霊力の使い方に関しては、よどみなかった。使い慣れてはいたのだろう。だが、広いとはいえ室内で槍をぶん回し、雨雲とはおしゃべりを楽しんで、服装は明らかに戦いに不向きなもの。 日向はプロフェッショナルというわけではないが、日向家の者としてある程度の戦闘訓練は幼少の頃から受けている。刀の使い方や体さばきは我流で磨いた部分も多いが、基礎は両親から習ったものだ。 彼女に限らず、霊力を持つ家系に生まれた者は、小さい頃からそれを使いこなす訓練を受ける。戦いの訓練もその一環。 「この子も白桃も戦闘訓練を受けなかったと見ていい。よほど幼い頃に家から離された、ってのが妥当なところかな? だけど、あの狙撃手は別。明らかな戦闘訓練を受けている。素人だらけの烏合の衆くらい、彼女を相手にすることと比べればどうってことはない」 純粋に力の有無だけで結果が決まるなら、軍隊よりも武器商人の方が強い。 軍人が一般人に負けないのは、武器を『使いこなせる』からだ。 「あの子たちは殺すってことを甘く見ている。隙があるなら、広げるだけさ」 青年の瞳に、狩人の色が宿る。 雨雲京介の警戒具合とは裏腹に、灰塚もまた困惑していた。 (氷室め……) 灰塚の役目は、援軍が来るまで敵を監視すること。 確実に殺害するための先兵だが、ここで氷室の部下たちが乱入してしまった。 連絡を取って連携できるのであれば問題はないのだが、いかんせん彼女がどこにいるのかさえわからない。こちらの居場所を雨雲に気取られるわけにもいかない以上、こちらからコンタクトするわけにもいかない。 八方が塞がっている。 (本当に、余計な真似を) もともと彼女は氷室という女性が好きではなかった。冷静沈着に見せかけて、ひどく感情的でヒステリック。月宮のため、という名目さえあればいくらでも暴走する彼女は、スナイパーの性質を持つ灰塚にとっては邪魔なのだ。 だが、嘆いたところで始まらない。こうなってしまったからには、観察よりも実際に動き、あの腹の立つ男を撃ち抜くのが手っ取り早いだろう。 灰塚は頭の中に叩き込んである、あの建物の構造を思い返す。 (出口は二箇所) 表の出入口と、裏の非常階段。窓は基本的に開かない構造となっている。 だが、それは普通の人間の話。霊力さえ使えれば壁でも窓でも遠慮なく切り開いて外に出ることができる。 「……」 灰塚は跳んだ。ビジネスホテルの屋上に降り立ち、全力で気配を研ぎ澄ます。 灰塚の霊能力は、目に見えない霊力を感じ取ることができる。彼女だけの、特殊な能力だ。 建物の中に感じる霊力は、全部で六つ。その中には雨雲の連れである二人のぶんも混ざっているのだろう。霊力は感じ取れるが、さすがにそのうちのどれが敵であるのか、そこまではわからない。 この中に氷室はいるのだろうか。彼女と連絡すれば――いや。 彼女の手は借りたくない。 「なら」 勝手に動くしかない。 おそらく三人はバラバラでは行動しないだろう。敵の数も質もわからないのに無謀な行動には出まい。 となれば、固まっている二人の霊力。 ――二組。片方は氷室と誰か、といったところだろうか? そして、もう片方が当たり。 「どっち、だろう」 一方は階段を下りているようだ。徐々に離れていくのがわかる。もう一方は逆に上っている。屋上から脱出するつもりか? そういえば、初めて会ったのも屋上だった。そこは普通の人間が存在しない、言うなれば誰をも巻き込まないルートだ。安全を確保しつつ脱出するには最適だろう。いや、だが、彼が赤の他人を巻き込むことを恐れるだろうか? 見た限りだが、彼は冷徹な人間に見えた。少なくとも、命を大切にしているようには、とても見えなかった。 ならば正面? そうだ、そちらならば壁となる人間も多くいる。 灰塚は自分の能力の弱点も知っている。狙撃は遠くから確実に相手を殺せる技術だが、その半面、障害物が多い場所では完全に力を発揮できないのだ。 弾道が曲がらない以上、他の物体に当たるようなルートでは、いかに霊力弾でも必中させることができなくなる。 ならば。 「下、か」 灰塚は、表に向かって跳ぶ。 それを正しい判断と信じて。 早くしなければ。 白桃に続いて塔原まで失った今、貴重な実験動物が半減した。 今のところ計画は最終段階の手前、最後の調整中だったが、それも意味がなくなってしまった。調整に必要な二人はいなくなってしまったのだから。 この失態は痛い。このままでは月宮様にもご迷惑となってしまう。穴を埋めるためにも、誇りを取り戻すためにも、まずは雨雲京介と日向雪乃を殺害してしまわなければ。 そうしなければ何も始まらない、始められない! 「氷室さん?」 呼ばれ、スーツ姿の女性は我に帰る。 「どうかしましたか?」 「……いえ。それより、まだ雨雲京介たちを確保できていないのですか?」 「残念ながら。廊下で部下の一人が武器を破損した状態で発見されました。気絶していたので、敵方にやられたのかと」 「襲撃に失敗、逃走を許したということですね」 「申し訳ありません。現在のところ、裏口に一名、正面玄関に一名を配置、残る二名には屋上から順番にアタックさせています」 「結構。相手がそう目立つ行動をするとは思えません、おそらくは裏口から出ようとするでしょう。そちらに向かいます、よろしいですね?」 「はい、了解しました」 答えた部下を引き連れ、氷室は非常階段を目指す。 脳裏によぎるのは月宮の姿。 彼には、敵戦力の再評価を行うと報告した。だが、それだけでは甘いだろう。 戦力を評価するのは勝利するための準備に過ぎない。すなわち、勝てばいいのだ。そうすれば相手が強かろうが弱かろうが関係がない。 彼女は最初に得た情報が大きく間違っているとは思っていなかった。塔原の件も白桃の件も、敵戦力の評価がどうという問題ではなく、単純に向き不向きの問題だったのだろう。 となれば、数を用意すればいい。その全てが相性で負けるということはないだろうから。 今回、これだけの人数を用意したのだ。真っ先に一人を潰したようだが、その程度は予想の範囲内。白桃を倒せるほどの相手なのだ、部隊の一名を倒すくらいはなんでもないだろう。 だが、それだけに過ぎない! 数もわからぬ敵に囲まれれば敵は動揺し、必ずや隙を見せるだろう。そして、折を見て、この手で――! 殺してしまえば、脅威にはなりえない。いかな者も、生きてこそだ。 (そうだ、殺す。それでいい) 彼女は気付いていない。 その考えこそが甘さを含んでいるのだと。 |