屋敷の玄関を出たところで、灰塚はバッタリと大柄な女性と出くわした。 「おや、灰塚。また任務か?」 「……小鉄」 相変わらず野戦服を着込んだ色気のない女は灰塚の頭に手を乗せ、 「仕事熱心なのはいいが、お前は熱心すぎるな。本当なら昨日はサポートしてやりたかったんだが……、間に合わなくてすまない」 「それは、いい」 別に小鉄も遊んでいたわけではない。責めるのは筋違いというものだろう。 「それよりも、小鉄に聞きたいことがある」 「ほう? 珍しいな、何だ?」 この無口な同僚が自分に質問をしてくるのはあまりないことだ。彼女は、小鉄の知る限り、月宮以外を信用していない。 あるいは自分も少しばかり信頼されているのかと、小鉄は少しばかり嬉しくもある。 「小鉄は、精霊が実在すると思う?」 「精霊? 吸血鬼ではなく?」 こくんと頷く灰塚。 灰塚はいつも無表情な上に言葉に感情が乗らないので、質問の意図がわかりにくい。本気なのか冗談なのかもわからないのだ。――だがまあ、彼女が冗談を言うところも想像しにくい。 「精霊、な。そちらの方面は疎いんだが、神様と似たようなものなのか?」 「よく、わからない。でも、たぶん、そう」 「神様なら……、いる、と思っている」 小鉄は自分の考えをありのままに述べる。元より頭を使うのは得意ではないのだ。 「お前は私の昔話、聞いたことがあったかな?」 ふるふると首を横に振る。なら、と小鉄は話を続ける。 「私は一応、正規軍にいた経験がある。小さな国の小さな軍だったが、資金はあったからそれなりの装備はあった。それが逆に仇となったんだ」 「……?」 「内紛さ。クーデター。王制を嫌った国民たちが反乱を起こし、我々はその鎮圧に向かった。だが、軍の内部から武器を横流ししている奴がいたらしくてな。始まったのはお互いの潰し合い、だ」 思い出す。現実の地獄。 ああ、あれこそまさに地獄だ。人が人でなくなる時。あの場所に人間と呼べる者などいなかった。 人間は人をあんな風に殺せない。人間は人をあんな風に扱えない。人間は人がいるかもしれない場所にあんなことはできないし、人間はあんなことをしてまで生き永らえたりしないはずだ。 「戦場には人としての倫理観など存在しなかった。殺すか殺されるか、そのどちらかだ。生き死にを自分で決めることさえできず、死とはただ与えられるものだった。お前もそんなところは見たことがあるだろ?」 今度は、小さく頷いた。灰塚を拾った時のことは今でもハッキリと覚えている。 自分とは別の地域だったが、同じように内紛に巻き込まれた場所で、彼女はゲリラとして生きていた。狙撃の能力を持った優秀なゲリラ。それゆえ、彼女は誰からも孤独だった。 「そんなところで、私もまた、お前と同じように救われた。地獄しかないあの場所で、私を助けてくれた月宮は神様のように見えたもんだよ」 あれは、そう、奇跡以外の何物でもなかったのだろう。 彼が訪れなければ、小鉄は死んでいた。いや、あそこで自分は確かに死んだのだ。 そして、小鉄という新たな名前と共に生まれ変わった。今では銃弾で死ぬことさえないというに、死はより近くなったような気もする。 「月宮自身は神様じゃない。だけど、あいつを私のところに送った何か、あいつが偶然にも私と出会ったその根拠、それは『神様』と呼んでいいものだと思っている」 「奇跡を、起こすもの?」 「そういうことだ。お前の満足する答えとは少し違うかもしれないが……、それでもいいか?」 問いかけると、灰塚はちょこんと頭を振った。 「十分」 「そうか。……ところで、どこかに出かけるのか?」 「――ちょっと、そこまで」 「そうか」 ちょっとそこまで。 あの感情がなかった少女が、そんな言葉を吐く日が来ようとは。 そう思うと、目頭が熱くなる。 「灰塚。風邪には気をつけな。それと、怪我をしたらすぐ手当をすること。どんな理由があろうとも、自分の命を粗末に扱うなよ」 「小鉄……」 灰塚も気付いたのだろう。しかし、小鉄は何も言わない。 それが灰塚の選択なのだ。ならば、口出しすることは何もない。 「いいか、灰塚。『生き死にを決めるのは他人ではない』。それだけは、きちんと覚えておけ」 「わかった。感謝する」 それが、小鉄が聞いた最後の言葉だった。 飛び出していった灰塚の後ろ姿がもう見ることができない。小鉄は見上げ、陽光のまぶしさに思わず目を細める。 「もう戻ってこない、だろうなぁ」 それは、ちょっとだけ寂しかった。 雨雲京介の居場所。 それがわかれば苦労はしない。前は情報もあったが、今は手掛かりさえない状況。これでは探すこともできない。 灰塚は街中で、特に何をするでもなく佇んでいた。こうしていれば雨雲が見つけられるとは思っていない。けれど、彼に会う必要性は感じていた。そして、じっとしていることなど、とてもできなかったのだ。 体が動くままに動いて、しかし彼の姿はない。どうすればいいのかもわからず、ただ戸惑うばかり。 狙撃手としての能力にならば自信もあるが、人探しなどと言われては。一般人が相手では、どう話しかけていいかもわからない。 「ね、君」 ふと気付くと、自分の前に中年の男が立ち止まっていた。顔を見る限りでは冴えない人間だ。ずるくて小心そうな空気がある。 「君、ヒマなの?」 ……まさか雨雲の手の者とも思えないが。 灰塚が答えずにいると、男は指を立ててみせた。その数、三本。 「今夜、これでどう?」 「――?」 何を言っているのだろう? 今夜。夜に、三本? 紛争地域で育ち、危険な地域を脱してからは常に月宮と共にいたので、こういった存在に触れ合うことがなかった。そのため、灰塚は彼が暗に示していることがわかっていないのだ。 「何が、目的?」 よくわからないので素直に聞いてみた。少なくとも殺意はなさそうだし、こんな人間に負けるほど自分も弱くない。 対する男は、灰塚がそういったものに疎いとようやく気付いたのだろう、少し戸惑った顔を見せた。 「えーと、その、要するに一緒に……、ホテル、泊まらないかってこと」 「ホテル」 つい先日、雨雲を狙っていたホテルを思い出す。男のイメージするホテルとは明確な差があるのだが、双方、そこまでは気付いていない。 そういえば、お金は持っていない。別に野宿でも構わないが、泊まれるならば泊まった方が後々に楽だろう。この男がどうして一緒に宿泊したいなどと言い出したのかはいまだによくわからないが、まあ、損がありそうなら逃げるなり殺すなりすればいい。 そう思い、承諾しようと声を出しかけて――思いつく。 「あなた」 「ん?」 「お金は、ある?」 「も、もちろん」 男に緊張が増す。そうとは知らず、灰塚は続ける。 「なら、行ってみたい場所がある。連れて行って欲しい」 我ながら名案だ。 相手の目に触れるかはわからない。だが、どこからか情報を仕入れて、塔原のところまで辿り着けた雨雲のことだ。情報収集能力は決して低くはないのだろう。 ならば、これだけの動作でも、十分におびき寄せることが可能かもしれない。 「いいけど、どこ、かな?」 男を見上げ、灰塚は答える。 「インターネットができる場所。有料で誰でも使える場所があると聞いた」 「あ、ああ、ネカフェのことか……。いいけど、そんなところでいいの?」 こくり、と灰塚は頷く。 インターネットならば、こちらから呼びかけることができる。はず。 詳しい仕組みは全く知らない灰塚であったが、氷室や白桃から聞いた情報によれば、そういうことが可能なツールであるはずだ。 もしも雨雲京介が気付けば。労せず、彼と会うことができる。 「なら、行く」 「あ、ちょ、ちょっ……!」 男の手を引き、灰塚はすたすたと歩き出した。 ――とりあえず、この瞬間、決まったことが一つだけある。 この中年男は、不幸な目に遭うだろう、ということだ。 |