雨雲はテレビを見ていた。 今、テレビ画面に映っているのは海外の映像だ。どこかの紛争地域を特集した番組。本当に悲惨なシーンは映っていないが、それでも辛い実情が画面越しに伝わってくる。 レイアは雨雲の膝を枕にして眠り込んでいた。本当によく眠る女だ、と思う。一方、日向は雨雲の後ろで座禅を組み、瞑想していた。霊力の集中をしているらしいが、雨雲も正確なところは理解していない。 テレビを眺めながら、雨雲は敵のことを考えていた。 正直、スナイパーやフード、白桃といった敵は、彼にとって邪魔以外の何物でもなかった。彼の目的はあくまでDDクラブであり、わけのわからぬ敵と戦うなんてことはしたくない。 だが、相手はそうもいかないだろう。 ちらりと自分の膝を見る。そこにはすーすーと寝息を立てる女性の顔がある。 レイア。仮の名前を与えられた、精霊を自称する存在。 彼女が本当に精霊なのかは知らないが、人間でないことは間違いない。そして、相手は彼女を狙っていた。 レイアと一緒にいる限り、つけ狙われることになる。 (……どっかに捨ててこようか) なかなかの名案に思われたが、それやるとたぶん日向に怒られる。 (ならいっそ、レイアに突撃させる) やっぱり怒られるだろう。どうも非人道的作戦は許されないらしい。 では、何か人道的な手段で相手を説得せねばならない? (できるのか……?) 相手の目的も知れない状況では説得のしようがない。交渉は、相手が好むカードを提示することで、こっちが欲しいカードを手に入れることだ。有効なカードがわからないままではゲームが始められない。 今はまだ、情報が足りないのだ。 (あのスナイパーあたりから情報が手に入れば理想だが) 雨雲の見立てでは、彼女は組織の中でも重要な部分にいるはずだ。その彼女が持っている情報を全て引き出すことができれば、きっと優位に立てるだろう。 だがしかし。 相手がスナイパーでは、拷問したところで口を割るか怪しい。そもそも本気で拷問をしたくはない。 なんとかして引き出すことはできないだろうか……。 ぶつぶつと口の中で考えをまとめている内に、特集は終わってしまった。 テレビを消そうと立ち上がりかけたところで、扉の開く音が聞こえる。ちょうどよく立風が部屋から出てきたらしい。 「おいそこの居候」 「ちょっと一晩ばかりお世話になっただけじゃないか。で、見つかったのか?」 「お前が言っていた方はまだ。ただ、気になる書き込みを見つけたんだ、お前が判断してくれ」 「書き込み……?」 ネットワーク上に記載された誰でも閲覧できるコメントのことだ。 インターネットの表情報は嘘と真実が入り混じり、欲しい情報を手に入れるのは困難を極める。嘘をついても表情や雰囲気が出ないだけに、嘘と見抜きにくいのだ。書き込んだ人間が匿名であることも、真実味を加速させる。 それだけに、雨雲はあまりそういった情報を重要視していない。立風に頼むのは常にハッキングであり、各種掲示板の情報などは頼んだことがなかった。 立風の部屋は、相変わらず電子機器に埋め尽くされている。いくつか並ぶモニターの一つを立風は指さした。 「どれ……?」 画面に映っていたのは、どこかで見たことがある、有名な掲示板だった。内容に目を通す内に、雨雲の表情も険しくなってくる。 さっと目を通し、思わず言葉が漏れた。 「面白い」 そう、面白い。 相手がこういうコンタクトを取って来るとは、さすがに予想していなかった。 『火より雨へ。明日、例のホテルにて』 書き込みはそれだけだった。 「どうやってこれを見つけた?」 「この書き込みが脈絡なく何か所かの掲示板に書き込まれている。まあ脈絡ないのはこの手の掲示板じゃよくあることだけど、こういう意味のわからない文章が何か所にも記載されているのはあまりないんじゃないかな」 それはそうだ。これだけでは、何も面白味がない。冗談には見えず、かといって本気だとしても、どういう意味を持つのかわからない。 雨と火を除いて。 「どうする、『雨』?」 「火、か」 彼女の名前は知らない。だが、これがあのスナイパーを示していることは間違いあるまい。例のホテルというのは、ドンパチやったあのホテルのことだろう。 罠にしてはあまりに稚拙。罠ではないとすれば、 「これ以上のチャンスはないね」 最高にして最大のチャンスとなるかもしれない。 「ってことは、行くんだ?」 「ああ。もちろん」 動かねば、情報は手に入らない。 虎穴に入って、さて、何が見つかるやら。 ラブホテルの一室で、灰塚は銃の手入れをしていた。 彼女の隣では中年男が寝ている。ベッドの上に横たわった彼は、しばらく目を覚ますことはないだろう。 その間に、灰塚は手早く作業を終わらせていった。持ってきた銃の全てを手入れし終えたところで、残った銃――狙撃銃を取り出す。 愛用の古い銃だ。銃としては名器の部類だが、兵器としてはお世辞にも優秀とは言えない。メリット以上にデメリットが多すぎる、現行の戦いにはとても使い物にならない武器だ。 けれど、灰塚はこの銃を手放すつもりはなかった。この銃でなければ生き残れない場面もあった。この銃と共に、灰塚は生きてきた。 他の銃よりも時間をかけ、丁寧に手入れをしていく。分解し、部品の一つ一つに至るまで細かく掃除をしていった。 他の銃の倍以上の時間をかけて整備を行う。思い出を噛みしめるように。 そこにある矛盾。 月宮の武器として、剣として、己を殺し仕えてきた自分。 古い銃を愛し、感傷的になっている自分。 自分という存在はあるのか、ないのか。 雨雲によって揺さぶられた『個』が、今、灰塚の存在を大きく揺るがしている。 この先、月宮の武器として生き続けるのか。 それとも、灰塚という個人として生きるのか。 その岐路に立っていることを、言葉にすることはできずとも、灰塚は感じ取っていた。だからこそ、雨雲京介に会わなければいけないと思った。 彼と会い、場合によっては戦い、どちらの道を進むのか決めなければいけない。そうしなければ、自分は矛盾する両者に潰され、消えてしまうだろう。 「……雨雲、京介」 あの不愉快な男。どこまでも不愉快な、男。 どうして呼び醒ましたりしたのだ。忘れたままなら楽だった。何もかもを感じず、何も思わずにいられればそれでよかった。 何かを感じることは辛い。痛みは直視できない。 だから、月宮と共にいるというのに。なのに、あの男は、何も知らず人の心の中に踏み込んでくる。 「絶対に、殺す」 脳裏によぎる、幼い頃の思い出。 ――小鉄が戦争を経験したように、自分もまた、紛争を体験していた。 まだ幼かった自分には、大人たちの言う聖戦の意味はわからなかった。知っていたことは、倒さねばならぬ敵の見分け方と、その殺し方だけだ。 あの場所ではそれで十分だった。それ以外の何かなど知らなかった。 生きることが全てで、それ以外を考える余裕もなかった。あの頃のような恐怖は、今はもはやない。 世界を知った灰塚は、一つの考えに辿り着く。それを月宮に話したところ、彼はこう言った。 『それはちょうどいい。ボクもそう思っていたところだ』 そして、月宮から計画を聞き、灰塚は彼の下で生きることを決めた。自分の何を捨ててでも、その願いは達成したいと思えた。そのために、滅私奉公すると決めた。 霊力を手にし、月宮の命令に従って、敵を殺してきた。 「後悔は、しない」 自分にはその資格がない。 「……」 整備を終え、組み立てなおした狙撃銃。具合を確かめ、いつも通りの反応が返ってきたことに満足した。 ふとベッドの上に目をやる。 「……?」 すっかり存在を忘れていた。この、やけに薄暗い変なホテルに入った途端に態度が一変した男。思わず本気で殴り飛ばして気絶させてしまった。霊力は咄嗟に抑えたから、まだ死んではいないようだが。 とりあえず朝まで目を覚ますことはないだろう。それなら、いい。どちらにせよ、雨雲が約束の場所に現れるまで、まだ間もある。 灰塚は持ってきた銃を体の各所に隠すと、最後に愛用の狙撃銃を抱え、そのまま浅い眠りに落ちた。 夜明けは、そう遠くない。 |